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家族の死、愉しい義務。

共に過ごしたボタンインコのリリが落鳥した。

この文章を書いている今、僕の顔面は、比喩ではなく、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。しかし、声はあげずにいる。我慢しているのではなく声が出てこない。ショックで現実を受け止めらないことからなのか、脳があの子に関する記憶だけを繰り返し思い出させる。そしてそれがかえって、あの子が本当に記憶だけになってしまった虚しさをなお一層強めている。

あまりの虚しさに、最初少し声をあげて泣いたものの、次第に気力が失われてしまった。朝日が昇っても、寝られずにいた。昼ごはんを食べていても、仕事をしていても、ふとした拍子で涙が出る。時間が止まって無音になったかのように感じられるのに、涙だけが止まらない。

直接の息子・娘というわけではないが、愛情をかけて育てた子との死別がここまで虚しいものだとは思いもしなかった。昔、祖父母の家で犬に触れたり、金魚を育てたり、そういうことはあった。しかし、これほどまでの愛情は感じなかった。あの子を含むインコたちのことを、ペットと表現するのを避けていた。あれこそがまさしく家族というものに違いない。したがって、直接的に自分が愛情を長く注いで共に過ごした生き物、家族との別れでこれほどの辛さの出来事はなかった。

この歳になってようやくわかったが、命の重みというのは、いるときの大切さから"重い"と感じるのではなく、いなくなったときの虚しさによって感じられる、"軽さ"によっての方が、強く理解するものなのだ。

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初めてリリが家に来た時、とても大人しく、元気が無いのかと不安になったことを覚えている。身体はとても温かいが、静かすぎるため、不慣れな僕は病気や身体の弱さを疑った。それでも、餌を食べて育ち、時間が経てば立つほどあの子は力強くなり、か弱そうに見えたあの頃の印象からすぐにかけ離れていった。

実は迎えるとき、隅の方で静かにしてるあの子を見て、すぐさま迎えようと決めたわけではなく、限られた選択肢の中での若干の妥協だった。結果あの子を選ぶことになったわけだが、その妥協は僕の人生で"最も賢明な妥協"だったと断言できる。

リリには人間らしさがあった。他にも共に過ごした子はいるが、飛び抜けて人間らしさというか、物事を考える力と、自分の意思というのが強いのはリリだった。縄張り意識が強く、狭いところを好んだ。袖やフードの中、太ももの隙間、閉じかけたパソコンの間に入ったりするのが好きだった。戻そうとして手を伸ばしたときには必ず威嚇をした上で噛み付いてきた。一見すると距離があるようにも見えるが、隙間から覗く顔がどれだけ可愛かったか。寝る時は木の棒にとまって寝ることもあったが、ぶらさがっているインコ用の家に入って一人寝静まることが多かった。パーソナルスペースが大事だったのだろう。僕の頭の上もそのうちの一つで、我が物顔で乗っかってきた。

熱中するタイプだった。噛みごたえのあるものを見つければ徹底的に噛みちぎっていった。あまりに丁寧に封筒を開けるものだから、天然のペーパーナイフのようになっていた。切り取りが完了すると運べる限りを自分のカゴに持って帰るのだが、その様子は威風堂々とした凱旋行進を思わせた。あるとき僕のMacBookのキーをいくつか外して、使い物にならなくしてしまった。最初は呆れ、怒ったが、他人に「なぜキーがないんですか?」と聞かれるたびに、「インコが取っていってしまって......」という返しをするのは、あの子の達成感を思うと不思議と楽しかった。

力強かった。飛び立つ前はよく立ち幅跳びの選手のような予備動作をし、エネルギッシュにこちらに向かってくることを予感させた。ピピッ!と、ビームを出すかのような鋭さで鳴くので、部屋の外にどれだけ漏れ出ているのか僕は常に心配していた。でも、その大きな声のおかげで目覚ましはいらなかった。同時に、起きろと言わんばかりに顔を踏みつけてきて、爪が肌に刺さって痛かった。でも、たとえ爪が刺さっても、気になるからこそ近寄って来てくれていることを思えば、毎回嬉しかった。

か弱かった。あるとき産卵期で体調が悪そうで、よく目を瞑ったり羽根を広げる動作をしていた。普段強そうだった子でも、弱ったように振舞うことがあった。こまめに餌の分量を変えればそれは治ったが、リリのそんなギャップは、普段力強くても、インコという生き物がいかにか弱く繊細で、大切に扱わないといけないか教えてくれた。

綺麗好きだった。毎日体を洗っていた。それに、体を洗う用の噴水を買い与えても、水飲み用のケースの蓋をわざわざ開け、一番風呂を浴びるかのような豪快さで体を突っ込んでいた。まるで神聖な儀式だったが、その甲斐あってか、どんなに餌を食べても、歩き回っても、常に羽根も爪も嘴も、全てが綺麗に保たれていた。唯一ものが付いていたのは、誕生日を祝ってもらっているときにあの子がミサイルのように誕生日ケーキに突っ込んできたときくらいだ。そのとき以外は、抜けた羽根一本一本が濁りのない、夜空のような深みのあるダークブルーだった。

美しい立ち姿だった。歩き方は軍隊の兵士のようで、そこまで素早い動きではないが足を高くあげ、ズンズンと前に力強く進む子だった。朝起きたとき、自分はしっかりと目覚めているのにお前は何をしているんだと言わんばかりに、こちらをじっと見つめて綺麗に直立していることもあった。写真を撮るときに一番映えるのはあの子だった。ピンと伸びたおかげで整った身体のラインが、あの子を至上のモデルにしていた。その綺麗な立ち姿は、長らく僕のiPhoneのロック画面の背景を飾っている。

根が優しいタイプだった。普段は手を伸ばせばすぐに攻撃してきたが、唇で「プププ」と音をたててみると、いつもゆっくり歩み寄って嘴を僕の唇にくっつけ、同じように「プププ」と鳴き返してきてくれた。回数を重ねるほど鳴き声や押す力が強くなり、その行為が根っこの強い愛情と繋がりを感じさせてくれた。同じカゴに住んでいる子にも、普段はぶっきらぼうだったが、病気になったり羽が折れて痛そうな時は必ず寄り添ってあげたり羽根を繕ってあげたりしていた。

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生き物はいつか亡くなるというのはわかっている。自然界では当たり前で、別れを常に覚悟しておかなければならないというのは事実だ。それでも、その事実から目を背けたかったのが正直なところだ。

先日、ポーランドで開催されたカンファレンスに登壇しにいったついでに、個人的な旅行で1週間近くパリにいった。ホステルに停泊したため、相部屋の人が何人かいて、そのうちの一人がロンドンに法学生として留学していたカナダ人の男の子だった。

彼と話す時間はいつも楽しく、一緒に美術館に行ったり朝飯を食べたりした。ブロックチェーン専門の法律家になりたいらしく、向上心溢れる姿には背筋を正さずにはいられなかった。パリの楽しさは半分以上彼によるところだったと言える。

そんな彼に、帰る直前に旅行はどうだったか、楽しかったかと聞かれて、答えに詰まった。結果「半分半分だ。総合すると来てよかったけど、楽しい反面、居心地悪い時間も多かった」というような返答をした。本心だったが、卒業旅行を満喫する彼にとってはとても意外だったのか、驚いたそぶりを見せた。

パリで嫌だったのは、甘ったるいのに鼻に刺さる街の匂いや、騎馬警察の馬が垂れ流す馬糞でも、地下鉄の鬱屈とした空気でもない。少しシャンゼリゼ通り周辺を外れて、住宅街のある地域に行くと、そこにはしばしば車に轢き潰された鳩の死骸があった。それを見るのが本当に嫌だった。たとえいつか死ぬのが事実で、鳩の不注意によるものだとしても、自分が親しみを感じる生き物の死はこんなにも軽く、道路のシミ程度のものなのかと思うと真っ暗な気持ちになった。

周りに日本人がいないこと、マイノリティであるという実感を持たざるを得ない状況による孤独感よりも、鳩の死骸の方がはるかに堪えた。単純に見慣れずグロテスクだったからという理由は、全くない訳ではなかったが、それほど大きなウェイトを占めていなかった。

鳩を見るたびにリリを含むインコのことを思い出した。いつかはこうまでグロテスクでなくとも、死んでしまうのだろう、と考えるたびに、その事実から目を背けたがる逃避的な思考を自覚した。どんな風に死んでしまうのかと想像するのも嫌で、どうかずっと生きて欲しいと考えずにはいられなかった。同時に、そんな夢見がちで生き死にに向き合う覚悟のない自分が嫌だった。

自分にとってのパリは、上を見れば歴史ある建物や雲ひとつない美しい空が生を謳歌せよと訴えかけ、下を見ればすぐさま死について考えさせられる憂鬱な街で、ひどく対照的な風景を持っていたと言える。

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僕は記憶力がそれほどいい方ではない。一方でそれが功を奏するのか、辛いことがあっても立ち直りが早い方だ。良くも悪くもそういう割り切りをできてしまう自分が好きではない。そして、同じように今回のことを風化させてしまうのがとてつもなく怖く、あの子に無礼だと思った。

かつて、商品説明に過ぎないのに、あまりの情愛の深さを感じられる文章に衝撃を受け、即座に購入した本が一冊だけある。『ソロモンの指環 動物行動学入門』という本で、その文章はこういうものだ。

孵卵器のなかでハイイロガンのヒナが卵から孵った。小さな綿毛のかたまりのような彼女は大きな黒い目で、見守る私を見つめ返した。私がちょっと動いてしゃべったとたん、ガンのヒナは私にあいさつした。こうして彼女の最初のあいさつを「解発」してしまったばかりに、私はこのヒナに母親として認知され、彼女を育てあげるという、途方もない義務を背負わされたのだが、それはなんと素晴らしく、愉しい義務だったことか……

走馬灯のように思い出されるリリの、愛おしく、与えられたことに感謝するべき「愉しい義務」の記憶と、なぜこんなにも虚しく感じるのかの理由が鮮明なうちに、思いつくもの全てを言語化しておきたかった。これは吐き出しどころを失ったエゴだが、こうでもしないと虚しさが情愛に満ちた想い出を圧倒してしまいそうで怖かった。こんなに人生を彩ってくれた経験が、虚しさに覆われていいはずがない。

同情してほしいわけではない。同情されても、祈っても、述べきれない感謝を書き連ねて美談として演出しようとしても、死んでしまった子は帰ってこない。しかし、書かずにはいられなかった。

前に進むため、脳が涙を止める道を選び、記憶に蓋をしようとしているのを感じる。それに抗えるように、いつか霞がかって思い出せなくなる前に、できる限り鮮明な記憶を、自分なりの方法で残すこと。それ以上により良く弔う術を、自分は知らない。

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