FT「中国の問題は過剰生産ではなく過剰貯蓄」への論考

4月30日深夜に5ヶ月連続投稿記事を掲載したついでに、5月1日に6ヶ月連続投稿をアップしようかと。

Xにて政治学者・鈴木一人氏がフィナンシャルタイムズの記事

 「中国の問題は過剰生産ではなく過剰貯蓄」

を紹介していた。
英語記事なので多少自動翻訳で意味がズレる所はあるものの、日本で余り見掛けない論点が提示されてるのではと感じた。

なので、今回はその記事の紹介と個人的意見を述べて行きたい。


引用記事 ”China’s problem is excess savings, not too much capacity”

著者は カーネギー国際平和基金の上級会員との事。


記事の論点整理

論点①中国の2つの問題は区別されるべき

中国の問題として

  • 過剰生産能力

  • 過剰貯蓄

はしばしば混同される。

論点②過剰生産能力は中国固有の問題ではない

何故ならば、大規模経済国でも特定セクターに優遇、支援を行う政策を取る事は普通に見られるからだ。

論点③中国の高い国内貯蓄率こそが問題だ

中国国内で生産されたモノを、中国国内の多くの世帯は購入できない。
また、脆弱な社会セキュリティネット、過剰な交通インフラ投資など、中国国内の政策、社会的富の再配分の制度設計が構造的貯蓄を生んでいる。

論点④過剰貯蓄が内需を抑制している

これは中国だけの問題ではなく、ドイツや日本も同様の行動を取っている。
国際競争力の為に国内賃金、延いては内需を抑制する行為は、古典的な近隣窮乏化策だ。
内需不足の結果起こる失業を、貿易黒字によって輸出している。
貿易相手国は失業率の上昇、財政赤字の増加、家計債務の増加のいずれかの形で引き受けざるを得ない

論点⑤貿易赤字国は自国経済防衛の為、貿易や資本流入制限を企図する

中国は他国同様、今後も特定セクターの保護、支援を行い続ける。
そして、それは他の経済圏との間で衝突を引き起こしたり、保護主義を呼び起こしたりする。
弱い国内内需の問題を外部化する事が目的となっている輸出が続くならば、世界経済は悪化し続けるだろう。


時間泥棒の個人的見解

見解①論点の切り分けは必要

  • 過剰生産能力

  • 過剰貯蓄

の区別は論点を明確化する上で大事な事だ。
過剰生産が過剰貯蓄を生むのは当然として、消費意欲減退が貯蓄性向を高め、国内消費が減った結果として過剰生産規模を大きくしてしまう。
その意味で、両者には深い相関がある訳だが、ある国で両者が発生している時にその因果を適切に論じなければ、その対応についての提案も、今後どうなるかの未来予測も外れてしまうだろう。

見解②中国経済問題の安直な一般化は適切ではない

「何処の国でも、多かれ少なかれ特定セクターへの優遇、支援はなされている」

と一見正論そうに見える主張だが、中国のそのやり方はWTO違反が疑われるレベルなのだ。
そして、それが余りに露骨で米国の許容範囲を超えた事で、WTOの人事に関して米国が放置を決め込み、WTOの上級機関は完全に機能を失ってしまっている。
公平公正なルールの下でなければ、自由な経済競争は実現出来ない。

中国をまるで自由経済、自由貿易におけるただの1プレイヤーであるかのような評価を前提に主張を行うのは、読者が誤解をするばかりだろう。

見解③中国国内の社会的分配が機能不全を起こしている事は完全同意

そもそも、社会主義を標榜しながら、これだけの経済格差を構造的に抱えてる時点で、社会全体を調和的に改善に向かわせる事など土台無理な話だ。

見解④構造的にはドイツ、日本と一緒との見立ては暴論

まず、日本の場合。
プラザ合意まで、円安ドル高水準を保つ事を国是として来た日本は、高い経済成長率を実現出来たが、それは米国がそれだけ割を食って来たと言う話でもある。
その為、プラザ合意で円高ドル安を求める事が既定路線となった事自体は、遅かれ早かれの問題だったと見る。

ただ、日本の問題は、バブル崩壊に際して日本経済の地力を余りに低く見積もり、金融引き締めを徹底してしまった事に起因する。
銀行の信用創造機能が失われる方向で政策が次々打ち出され、バブル的以前の実体ある好景気水準を下回る資産評価を当然視し、金融機関は融資打ち切り、貸し剥がしを積極的に行うようになった。

資産の過小評価とそれに合わせた金融業務が、実務上も金融引き締めを加速させ、デフレに陥り経済成長を自ら止めてしまった。
しかも、自分達で経済成長を止めたにもかかわらず、財務省・日銀は行政の無謬性に拘り、長らく自分達の敷いたレールが行先を間違えていた事を未だに認めていない。

これがこの30年、日本だけが経済成長をほぼゼロで過ごして来た根本的な原因だ。
「内需を適切に喚起しない行政」と言うフレームは事実だが、それは外需依存の経済体制を目指したものでは決してない。


続いてドイツの場合。
ドイツはユーロ導入によって、EUの中で一番経済的恩恵を受けた国だ。
ユーロ導入以前のドイツ通貨はマルク。
工業立国であるドイツは世界各国に工業製品を輸出する貿易大国であり続けた。
製品の対価として外貨を受け取り、それをマルクに両替して国内資産化すれば自然とマルクは高くなる。
原材料や部品の買い付け用に外貨をプールしておくにしても、設備投資や人件費、株式の配当等々、外貨を売ってマルクを用立てる必要の方がずっと多い。
そうしてマルク高は恒常化してしまう。
通貨高は貿易立国にとって足枷となる。
過剰な通貨信認によって、国内経済活動が抑制されてしまう二律背反に苦しむ事になるのだ。

それがユーロ導入によってどうなったか?
ユーロ圏の経済落ちこぼれ国家が通貨の信用を常に毀損するリスクを背負っている。
ドイツがどれだけ安定的な経済運営を行っていようが、他国の破綻リスクがユーロを安く誘導する。

本来、破綻しても仕方ない程、財政が苦しくなった国は通貨価値が暴落する。外貨建て借金を抱える企業は破綻するかも知れないが、その通貨安は相対的に人件費を安くする。そうなると、周辺国から労働移転が起こったり、各種資産にお手頃感が出る事で経済回復期を迎える。

しかし、ユーロ圏と言う中にあっては、破綻寸前であっても通貨暴落はほぼ起こらない。
経済弱小国は、財政破綻を免れる権利を得た代償として、一時的経済混乱と共に起こる経済回復の波に乗る事も出来なくなった。
日本における財政破綻自治体が多くの行政サービスを切り詰めながら借金返済だけの為に存在しているのと同じように、ユーロ圏弱小国も国としての行政サービスを極端に削りながら国家債務を返済するだけの機構と化している。

ドイツ経済はこうしたユーロ圏の死屍累々の上に成り立っている。
進んだ工業化によって域内の労働を一手に引き受ける一方、グローバル化の波に乗るようにその生産拠点を南アフリカ共和国や中国、東南アジアへ移転し、より安く生産を行いながら世界シェアを伸ばす競争に勤しんでいる。

しかもドイツは世界一の財政規律論者でもある。
財政の支出と収入はバランスしていなければならないと強く確信している。
だが、財政をこの方針で運営して行くと、過剰な通貨信認を発生させ、通貨高に苦しむ事になってしまう。
今のドイツはかつてマルク高に構造的に苦しんだ過去を完全に忘れてしまっている。
「持続可能な財政運営」として「財政収支バランス」絶対視を行うが、ユーロを使っているが為に通貨安は維持されている。
ユーロ圏全体の富を吸収する強い経済力を持っていながら、ドイツは自身の成長にキャップを嵌める選択をしている為、他のユーロ圏諸国はより強いデフレ圧力に晒される事になる。
となれば、ユーロ圏の弱小国は更に経済的に傷んでしまい、財政状況はますます悪化する。
すると更にユーロは弱小国の破綻リスクに起因して安くなり、その最大の恩恵を受けるのはドイツとなる。

ドイツはユーロ圏にいる恩恵を最大限受けつつ、ユーロ圏全体を衰退させる装置と化してしまっている。
しかも、財政に関してドイツは組織としての欧州委員会と一緒になって、加盟国全てで財政規律を押し付けようと躍起になっている。
ドイツの為に構造的デフレ圧力を受ける各国に、自前のデフレ圧力である財政規律を推奨しているのだ。
客観的に見て、これはユーロ圏全体の緩やかな死を推進していると言っても過言ではない。

ドイツの内需不足は端的に言って、財政規律絶対論による自家中毒だ。
自分では毒だと知らず、体に良いはずだと依存し服用し続けている。
「構造的内需不足」と言う答えだけ一致していても、何故そうなっているのかをきちんと紐解けば、日本とドイツには明らかな違いがあるのだ。


そして、中国との違いはより鮮明だ。
中国は内需を抑制せんとして来たのではなく、国内事情だけで世界需要に見合わない製品生産に邁進し、それを廉価販売で世界中の競合他社をなぎ倒す経済活動を国を挙げて推進してきたのだ。

国内のみならず世界需要すら気にする事無く、生産力の限りを尽くして作りまくるのだから、そりゃ中国国内需要に見合わない構造的内需不足は常態化する。
「どうして中国国内で消費されないのか?」
と問うたところで、生産の現場はそんな話に興味はない。
考えた所でその行為に意味は無いのだ。

 「構造的内需不足」
と言うキーワードで纏められると、ちょっとそのまとめに信憑性を感じてしまう人もいるかも知れない。
だが、結論だけ共通するからと一括りにして語ろうとしても、的確な分析など出来るはずが無い。


見解⑤今後のブロック経済化、経済圏同士の対立は不可避

結論までの過程について、異論を抱く部分は少なくなかった。
結論に関しては概ね同意する。

ただ、その理由として、単純に経済合理性から来る対立構造とするのは、国際関係を読み解く上で重要な要素を見落としている。
それは「経済安保」の観点だ。

コロナ禍において、世界的にマスクを始めとした医療用品不足が顕著になったが、その原因の一つが製品の重要度に関わらず、生産拠点を他国、それも政治体制の異なる権威主義体制国家に任せてしまった事だった。
自国都合で貿易を止め、外国企業の生産品を接収したり輸出不可とする中国の振る舞いは、戦略物資を必要な時に必要なだけ調達出来ない現実を自由主義圏にまざまざと見せ付けた。

戦略物資について、サプライチェーンから政治的リスクの高い国を外す事、要は中国外しを推進する事は自由主義圏の共通認識となったのだ。(未だにドイツは分かってない様子が窺えるが)

つまり、純粋な経済合理性から来る国家間の対立ではなく、「経済安保」の観点から決して譲ってはいけないラインが意識され、今後ずっとその対立軸は維持される事が確定したのだ。

これは少なくともロシア、中国、イラン、北朝鮮と言った権威主義国家陣営が存在する限り、半永久的に続く約束事だ。


まとめ

細部に関して、賛同できない部分、私から見て論理の穴が多いと感じる記事だったが、

  • 過剰生産能力

  • 過剰貯蓄

についての切り分けは、情勢の正しい理解に繋がる大事な視点だと感じた。

この手のニュース解説、個人的見解記事を定期的に書いていけたら良いなと思いつつ、今回はここまでとする。

拙文にお付き合い頂き、有難う御座いました。

<了>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?