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きっと誰だって自分の話がしたいのだ

小川洋子さんの文章は独特だなあと思う。

どの作品もとても静かでひたひたとそばにある。ちょっと狂気さえ感じるような異常な世界。なのに、どこかある部分で強く共感してしまう。

好きな作家さんは?と聞かれたときにかなりの確率で名前をあげるのだけど、作家読みするわたしには珍しく、まだまだ読んでいない作品はある。

一気に読んでしまったら引きずり込まれるような、なんだかそんな感じがするのだ。

そんななかでここ最近『夜明けの縁をさ迷う人々』『薬指の標本』と続けて読んでしまったから、もう頭の中が小川洋子ワールドでいっぱいだ。

『薬指の標本』は表題作の『薬指の標本』『六角形の小部屋』と二作が収録されている。

思い出の品をなんでも標本しておくことのできる<標本室>で働くわたしがある日プレゼントされた、吸い付くようにぴたりと合う靴。履き続けると靴が足に侵されてしまうという忠告を聞くもそのままでいたわたしは…。

あらすじだけでもぞわりとしてしまう『薬指の標本』に対して、『六角形の小部屋』のはじまりはどこか普通だ。

たまたまスポーツジムで見かけたミドリさん。彼女のことがなんだか気になって追いかけてみると、そこにあったのは六角形の「語り小部屋」だ。人はその小さな小屋にひとりで入り、語る。他の人の話はわからない。ただただ自分だけの言葉を吐き出し、向き合い、そして静かに出て行く。

ただそれだけなのに、話しているうちに自分の求めていることがわかってゆく。らしいのだ。

わたしはもう、小部屋で何を語ったらいいのか悩まなくなった。ベンチに坐れば、何かしら話が浮かんできた。そして語り終えると、自分が求めていた言葉たちはこれだったのだと納得することができた。小部屋を出たあとの胸の濃密な感じにも、戸惑わなくなった。やがて、その濃密さは血液とともに脳へ運ばれ、記憶細胞の限られた一か所へ流れ着き、そこへ封じ込められるのだということがわかったからだ。

わたしは普段ライターという仕事をしていることもあって、自分の使う言葉には他の人よりも敏感でいたいと思っている。だけど、この話を読んでみてふと思う。

はたして「自分」についてどれだけ語ってきたことがあったのだろうか。頭で思っていることはたくさんあるけれど、はたしてそのなかの一体どれくらいを口に出して、表に出してきたのだろうか。

多分、ほとんどしていない。元々自分のことを他人に話すことが苦手だったこともある。(最近は少しましになったけれど、今でも話すときはぐっと力が入ってしまう)

でも、誰かに話すのではなくとも、頭の中の言葉をわたし自身が理解するつもりで話してみることで何か別のものが見えてくることもあるのではないか。…そんなこと今まで一度だってしたことない。

話していくうちに頭のなかのごちゃごちゃとしたものが整理されてすっきりする、というのは女性に多いというけど、一旦外に出してみて客観的にものを見るのはきっと誰にだって必要なことだし、誰かに自分の話をしっかりと聞いてもらうのは嬉しいものだ。

きっと誰だって自分の話がしたいのだ。話してすっきりさせたいのだ。

そういうことを全部受け止めて、話されることによって出される「何か」を、語り小部屋は回収していたのではないかなあと思った。

この語り小部屋が実際になんだったのかについては最後の最後まで明かされることはない。突然、ふと主人公の前から消えてしまうのだ。

「同じ人だけが繰り返し利用するのは良いことではない」と管理人のユズルさんも言っていた。だから、あちこちを小部屋を持って旅をするのだ、と。

もし、万が一、わたしの住む場所に来たら通ってしまうかもしれない。ここまで語り小部屋について思いを馳せてしまったら、きっともう小部屋の魅力には抗えないだろうと思うからだ。

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