ベテラン迷子のいいわけ
よく迷っている。
優柔不断とか、そういうことではなく。
道が覚えられないのだ。
お店に一度でも入るとどっちの道から入ってきたのかわからなくなるので、先頭切って歩き出すと「そっちじゃないよ」と何度訂正されたかわからない。
歩いているときでもあれもこれもが気になってきて道を逸れることはしょっちゅうだし、逸れて気になるそれを十分堪能したあと「さて」と立ち上がった瞬間またどちらから来たかわからなくなる。
ということで大変よく迷う。
「迷子になる」と言うと、もういい大人なのに恥ずかしいので「空間把握能力が欠如してる」と言うようにしている。なんとなくかっこよく誤魔化せる気がしているのだけど「ただの迷子でしょ」と言われ、ぐうの音も出ないので、大体もっと恥ずかしくなって終わる。
もっとうまい言葉で誤魔化せないかなと定期的に検索しているくらいだ。
そんなわたしでも、さすがに人と待ち合わせをしているときに遅れるわけにはいかないので、本当に笑い事ではなく必死の覚悟でGoogleMapとにらめっこして、一本一本、曲がるたびに道を確認しながら行くので「待ち合わせ」の件に関してはなんとか迷惑をかけずに対人関係を築いてこられたように思っている。
しかし、会えた瞬間にわたしの必死なんて溶けてなくなるので、またあれやこれやが気になって歩き出してしまう。「お願いだから、ひとこと言ってから立ち止まって」これも人生で何度言われたのだろう。
つくづく人と歩くことに向いていない。
致命的に人と会わせて行動できないことも合わせて「ひとりたび」がすきになったようにも思う。
ひとりたびは誰にも怒られない。
どれだけ迷っても、わき道をしても、気分が変わって帰ろうと思っても、誰にも迷惑かけない。
思うがままにとことん迷って、大きな目印だけなんとなく覚えておいて、たまに遠くに行き過ぎて本気でどこにいるのかわからなくなって、それで冷や汗をかくこともあるけれど、でもそれでも「あれ!楽しそう!」っていう自分のアンテナに忠実に動いたそれがとっても素敵だったときの喜びは何物にも代えがたいなあと思うのだ。
地元でも、旅先でも、迷える限りは迷ってどんどん歩きたいと思っている。
自分のアンテナを信じて生きてみたい。
だけど、それを気にしないで、迷うことに躊躇わずに一緒に飛び込んでくれるような人がいたら、もしかしたら今度は一緒に歩いてもいいのかもしれない。
・・・そんなことを何百回と降り立っているはずの新宿で迷ったあとに考えた土曜日の夜。
もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。