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和田秀樹『「依存症」社会』

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要点整理

・「行為」への依存は、あまり認知されていない。
・依存症は、正常な脳のプログラムを書き換える。
・依存症は病気であり、意思の問題ではない。
・依存症に頼るビジネスが、健全な社会を破壊する。
・啓蒙、通院、集会が依存症への治療になる。
・依存症を止めるのは、広告規制とアクセス規制。

感想

スマホ世代は「電子ドラッグ」によって、ゾンビ化している。

私が初めてスマホを持ったのは高校生になった時でした。今では小学生でも持ち始め、中学生でも持っていないないのは少数派、高校生になっても持っていなければ、貧乏か虐待かを疑われる、そんな時代になっているのでしょう。

そんなスマホ世代の若者たち、に限らず、大人たちも、スマホとそこにある数々のコンテンツのせいで「ゾンビ」になっている。と思うのです。

スマホ依存を引き起こす原因を「電子ドラッグ」と名付けました。これを、「人間の報酬系などに作用し、依存度の高い精神的快楽を引き起こすデジタル上のコンテンツ」と定義します。

報酬系とは、SNSにおける「いいね」のような成果に対する報酬から快楽を覚え、それをまた得ようと行動をすることです。動画の趣旨とは少し外れていますが、報酬系や、ネット上のコンテンツが、人を依存させる仕組みについては下記の動画を参照してください。

「SNSのいいね制度」「ソーシャルゲームの課金制度」「YouTubeの関連動画」
これらのことを「電子ドラッグ」と呼んで差し支えないでしょう。そして、これらに、時間や、金銭を使い、「何度もやってしまう」「やらないと、見ないと落ち着かない」と思った経験はありませんか。あるならば、もうすでに「ゾンビ化」しているかもしれません。

「哲学的ゾンビ」とは、自分の意思もなく行動しているような人間のことを揶揄した哲学用語です。ここで言う「ゾンビ化」も似たような意味として、「活動原理や本来の意思を外部からの作用によって意図的に曲げられ、主体性を奪われた状態」と定義します。

「電子ドラッグ」は人間をそんな状態に変える作用をするのです。

仕事も学校もない休日、何をしていますか? 昨日夜遅くまでしていたにも関わらず、朝起きて、SNSをチェックして、ゲームをして、動画を見て、誰かからの連絡に返信をして、またゲームをして、食事中もスマホを手放さず、そうして寝る直前までスマホと一緒にいる。そんな生活を送っていはいませんか? 

「電子ドラッグ」は「快」であり、「ゾンビ化」は「楽」です。何も考えず、指先の動きだけで、永遠の快楽を享受できる、夢のような話ではあありませんか。しかも、見るだけなら他人に迷惑をかけない、お金もかからない、人間の活動としてこんなに良いことはないように思われます。

しかし、そのような快楽に身を任せた人間というのは、脆いものです。実はスマホに依存している以上に、今の自分の環境に依存しているのです。子供であれば家庭に、社会人であれば会社に。

「ゾンビ」に生命力はありません。今の環境にたまたま生かされているだけの存在です。その状態から自力で脱却するのは、並大抵のことではありません。極寒の中、どんどん冷めていくぬるま湯に浸かっているようなイメージでしょうか。

あなたは「ゾンビ」として生かされたいですか? それとも「人間」として生きたいですか? 

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