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「赤髪」

 母は色白の肌に茶目に茶髪の巻髪。「色素が薄くていいね」と羨ましがられる見た目。その通りに体も弱く、よく貧血で倒れていたらしい。ただ、本人は黒髪ストレートにあこがれていたと言う。無いものねだりはお互い様だ。
 私は父に似て地黒で真っ黒な目に黒髪ストレート。母に似た兄と比べられて「女の子なのにね」と言われたものだ。幼いころは知らぬ大人に勝手に残念がられ、思春期に入れば同級生から暗にけなされ「母に似ればよかったのに」と唇を噛んだことを思い出す。
 「色素が薄いことには価値がある」と勘違いしていた。生まれたころからの植え付けが引っこ抜かれたのは大学生の時。女子大に入学し、教職員以外は全員女性という世界において、見た目の価値は自分自身で決めるものとなった。流行を追いかけるも良し。独自の世界を表現するも良し。要するに「本人が気に入っていれば正解」なのだ。
 「ショートケーキ女子」という言葉が流行していた時代。薄茶色に染めて綺麗にカールされたロングヘア。茶色のマスカラとふんわりチーク。白いブラウスとパステルカラーのスカート。20代の女性が集まるとみんな同じような恰好をして、見分けがつかないと揶揄されていたそんな時代に、友人たちは思い思いの姿で自分を愛していた。
 お気に入りの自分を認められることは私に掛かった呪いを解いた。茶髪は正義。パンツスタイルはモテない。外に出る時は化粧をしろ。つまりは「男に都合のいい女を演じろ」という呪い。まっぴらだ。解放された私がまず行ったのは染髪。ピンクにした。ナンパもキャッチも目に見えて減った。見た目の強さは心の強さと受け取られるらしい。パンツは動きやすく暴れやすく、推しへ捧げる喜びの舞が踊りやすく都合がよかった。化粧は大好きな友人と出かける日にだけ本気を出した。真っ黒のアイラインとマスカラ。ギラギラのカラコン。毎日ファンデーションを塗りたくるよりよっぽど肌に優しい。ニキビが減った。いいことしかなかった。
 他人はいつでも無責任に「こうあるべき」を押し付けてくる。私は知らず知らずに洗脳されている。赤髪は魔女の髪と嫌われた時代。赤髪は猫の生まれ変わりであると愛した人がいた。私は茶髪が正義とされる時代に派手髪で街中を闊歩する自分を愛している。

while the rest of the human race and descended from monkeys, redhead derive from cats.
--by Mark Twain

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TR: 赤髪 / 紙魚著||アカガミ
PTBL: 紙魚的日常||シミ テキ ニチジョウ <> 11//a
AL: 紙魚||シミ <@tinystories2202> 

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