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人を賢くするキッチン

「スマートキッチン」は、長らくの間避けてきたトピックだった。新しいテクノロジーはもちろん好きだし、ましてやキッチンに関することなのだから、本来なら興味がないはずがない。けれど、そのアイデアに出会うとき、それはいつも言葉にならない寂しさを伴った。はじめその感情は、変化に対する抵抗感だと思っていたから、中々口には出さないでいた。

去年のSmart Kitchen Summit Japan は、そんなゆらゆらが何年か続いた末のできごとだった。

見渡せば、いつのまにかキッチン内のほぼすべての器具に「スマート」の魔法がかかっていた。それらは私達の料理の習得を丁寧にサポートしてくれたり、日々の料理を時短できるように効率化してくれたり、あるいはプロ級の味を簡単に家庭で再現する力を与えてくれたりする。民主化された最新技術が、家庭のキッチンの可能性を大きく拡げていた。

その新技術への興奮の裏で、ずっと感じていた寂しさが、やがて言葉になっていく。

スマートキッチンは、皮肉にも、人間を愚かにしてはいないか。

今日のスマートキッチンの語られ方だと、どうしても時短や手間の簡略化といった側面が注目されてしまう。キッチンで過ごす時間を節約すれば、その分仕事や他の楽しいことをたくさんできるし、料理が簡単になれば、その達成感やよろこびを、従来ほど努力せずとも得ることだってできるから。実際日々の料理の大変さに苛まれている人にとっては、これほど魅力的なことはない。

もちろんこれはスマートキッチンのいち側面でしかないし、捉え方に若干の悪意がある。スマートキッチン器具の多くは、ただの時短以上の未来観を見据えているはずだ。

これ自体は、例えば電動ミキサーや電子レンジが登場して料理が楽になった構造と変わらないのかもしれない。一見「人に楽をさせる」ための道具であるこれら器具は、普及して数十年、家庭料理のレパートリーを大きく拡げてくれた。いまでは「楽をしている」とい感覚で電動ミキサーを使う人はいないし、電子レンジを使った手の込んだ料理だって無数にある。

新しい技術の登場によって「楽する」事ができると同時に、新たな高みが可能になる。それは、キッチンに限らず、人類の発展の歴史全てに当てはまる構造のはずだ。

だったらなぜ、電子レンジで野菜に火を通すのはOKだけど、スマート調理器具に具材を入れてボタンを押すだけとなると、寂しさを感じてしまうのか。単に「慣れ」の問題なのか。

人間はむずかしい生き物で、苦労の多い過程をあえてしたがる一面がある。これは國分さんの「暇と退屈の倫理学」でよく捉えられていて、例えばうさぎ狩りに行く猟師に最初からうさぎ肉を渡したり、賭博をする人に最初から賞金を与えてたりしても、彼らは幸せにならない。彼らはその報酬が欲しくてやっているのではなく、その過程にある一喜一憂に興奮を感じているのだから。

その観点からすれば、もしスマートキッチンが、ボタンを押せばおいしい料理が完成する機械を目指しているのならば、それはいわば、うさぎを百発百中仕留めてくれる猟銃や、押せば必ず目が揃うスロットマシンをつくろうとしていることと変わりない。はじめはその性能の凄さに感動するかもしれないけれど、次第に「飽き」がやってくる 。以前のようなドキドキや達成感は、もう二度と得られない

日々の料理は大変で嫌だけれど、全自動でご飯をつくってくれるのは「何か違う」。そんな葛藤を抱えた僕たちは、いよいよ押し寄せてくるスマートキッチンの波と、どう向き合ったらいいのだろう。

人をスマートにするキッチン

いずれにしても、料理の自動化、効率化、スマート化は今後さらに加速しそうだ。しかし、効率的で楽な料理によって、従来の料理がすべて置き換わるわけでは決してない。
これら新技術は、家庭料理の「選択肢」を増やしてくれたと捉えたほうがむしろ正しい。その日の気分や余裕に合わせて、料理にかかる時間や手間を調整できるのは、すばらしいことだ。
帰りが遅くなった日でも、スマートキッチンでぱぱっと調理して食卓を囲めば、パッケージ商品を解凍するよりずっと人間的で健康的だ。その分、手間のかかる料理は、休みの日に家族でたんまりと時間をかけてすればいい。

時間や手間の効率化に重きをおいた前者の料理を仮に「タイプA」と呼ぶとすると、「タイプB」の料理もその反動としてまた注目を集めそうだ。すなわちクリエイティブで、手間がかかって、自己目的的な料理が、スマートキッチンの波の中でどう変わっていくか、これもまた今後重要なトピックとなる。

重要な点として、スマートキッチンはタイプAの料理もタイプBの料理も、両方支援しうる。タイプBの料理は、スマートキッチンと親和性がないわけでは決してない。ストーリーがまだ足りないだけだ。技術による料理の進化は私たちの人間としての生活をどう豊かにするのか、まだ明確描けていない。
だからこそ僕たちは、「未来の料理」のあり方をプロトタイプし続けたい。
「キッチン」はいつの時代も社会現象が一番顕著にあらわれる現場であったけれど、今回も例に漏れない。どんどん複雑化していく世の中、自分で思考・判断する力が何よりも重要になってきている。そんな中、様々な問題発見・解決が自然に発生するキッチンには、この時代を生き抜くヒントがある気がしてならない。そんな、私たちに考え続けるよう挑戦してきて、一人ひとりの人間としての可能性を拡げてくれるキッチンこそ、真に「スマート」なのかもしれない。

そんなわけで、果たしてスマートキッチンは人間を賢くしているのか、それとも愚かにしているのか。

答えは今のところ「イエス」である。

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