2019年11月6日 第90号 つかいよう

片野朋起です。

どこにいても、ある一定数は、嫌いな人間で現れるものです。嫌いといってもいくつかタイプがあるかと思います。なんか苦手、考えが合わない、といったものから、生理的に無理、顔が気持ち悪い、など、人格に及ばないところまで気に入らなくなってしまう者みたいです。

バカとハサミは使いよう、なんて言葉は死語ですが、実際、どんな人にも使えるところ、バカなりに役に立つ部分、というものが、どうやらあるみたいです。どうしようもない奴だけど、これをやらしたら上手、というのが、誰しもあると観察されます。適材適所だなって言葉をつかうと、当たり障りのないところに落ち着いてしまいますが、ある側面では事実をとらえているでしょう。

誰にとっても、向き不向きがあります。バカはバカなりに、自分の得意な分野で、人並みの結果を出せるように仕事なりなんなり、誰かとの共同作業・生活をやっていくことしかないみたいです。

自分では得意だと思っていないこと、なんなら、嫌々やっていることであっても、第三者から見たら、得意だねなんて言われるシーンもあるでしょう。ここが難しい。つまり、自分自身で自分が何を得意なのか、ということを正確に見抜くことができていない可能性があるということです。自分の能力を最大限に引き出すためには、自分の判断にのみ基づいていてはいけないのでしょうか。あるいは、自分自身で自分を正しく見極めることができる眼を持つようにならなければならないのでしょうか。

得意・不得意もあれば、好き・嫌いもあるでしょう。好きなことが得意になれればいいのでしょうが、嫌いだけれど、他者から見たら得意と思われてしまうことが往々にしてあり得ます。嫌だけれども、不愉快だけれども、近くの誰かを助けられるから、喜ばせることができるから、なんとかやってあげちゃう。もしかしたら、これを仕事というのかもしれません。

「働くというのは、傍(はた)にいる人間を楽(らく)にさせてあげることだ」

という、路傍の石の名フレーズが頭をよぎります。




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