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便利さを選ばない人を否定する権利は誰にもないという話

社会人になって4年経つが、クレジットカードやオートチャージ、最近だとQRなどいわゆるキャッシュレスにどっぷり浸かってわかったことがある。 自分にはそれほど自制心がないということだ。

クレカでもQRでもなんでもいいが、とにかくお金を使う痛みがない。さっとカードを取り出してサインするだけ。そこに、自分が汗水たらして稼いだお金を使ったるで!今!みたいな痛みは無い。

なので、自分みたいに自制心のない人間はついつい使いすぎる。結構食べる方なのに、1日2食を強いられるほど金欠になったときにそれに気づいた。もっとも、自炊しろという話ではあるけども。

集中したい作業があったとする。たとえば執筆作業では、たいていはPC、もしくはスマホを使うと思う。だけど、このふたつは何でもできすぎる。ネットにはつながるし、SNSだってある。なんなら映画だって観れる。これらのエンタメは、特定のタスクを必ず終わらせなければいけないときには、大きく集中をさまたげる。

AIのメディアをやっていて、自動化だ効率化だと言うし聞くけれど、世の中はそんなに、お金を使う痛みを感じることのできる(感じなくとも自制できる)人間や、どんな環境でもタスクに集中できる人間ばかりではない。そういう理由であえてのアナログ、あえての不便を選ぶ人は必ずいる。

そうしたときに、便利を選ばないその人たちを馬鹿にする権利は誰にもない。ただ、システムに適応しない人間もいるし、個々人に最適なシステムがあるというだけ。自分に関しては、もう「選ばない」という選択をできないほどに、どっぷりと依存しているのだけど。

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