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教材の公共性

「教育」というと,すぐに学校を思い出す。「教育」には学校以外に家庭教育・社会教育があるのに関わらず,その中でも学校の割合が多くを占める.
その担い手である教師は絶対的権威を持ち,家庭教育・社会教育の機能すらも学校の教師に委ねられてきた。しかし現在、人々の学校不信・教師不信が日々増大している。学校の公共性への疑念が生じてきている。公共性は画一化への動きと繋がる。この記事では既存学校の対極にある「教師なし・授業料不要のエンジニア養成機関『42 Tokyo』」を取り上げ、現在の公教育制度の限界と課題,それらの解決方法について述べていく.

キーワード:公教育,公共性,多様性,学校の役割,社会彫刻

こんにちは!たかーぎ(@takagi_1129)こと,高木俊輔です.

現在はN高というネットで授業が受けられる高校に在籍しつつ,ハッシャダイという教育系の会社でデータアナリティクスだったり業務改善だったり新規事業を作ってコケたりなどをしています.詳しいリンク集はこちら 🔗

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今回の記事では,タイトルにもある通り”公教育”というテーマと,最近リリースされた「42 Tokyo」について述べていきます.

本文の流れとしては,「学校教育の問題点とその解決法」から始まって「そもそも公教育ってなんなの?」,「『42 Tokyo』が新しい公教育といえる理由」などに触れていきます.

教育とは「『手に入れたい未来』を手に入れるためのトレーニング」だ

まず,〇〇に関して語るのであれば「〇〇とは何か」を定義しなければいけない.教育とは何か についてこの記事では以下のように定義する.

手に入れたい”未来”自体はなにでもいい,例えば「サッカーの試合で勝ちたい」でも「教育を通して人を成長させる」でも なんでも.

「目的(手に入れたい未来)」が決まれば,あとは「目標」と「手段」を決定していくことになる.目標・手段を知ったり,使えるようになったりするため全てが『教育』の対象だと思っている.

「公教育」という概念を提唱したコンドルセには影響を受けました。この記事の最初には「社会彫刻」という言葉を使いましたが、目に見えない本質を具体的な姿に育てる、さらに新しく発想・展開させていく。
コンドルセが示した、「社会は,その全力をあげて一般の理性の進歩を助長し,教育をすべての者の手の届くところに置かなければならない」というビジョンからは、大きな示唆を得ています。

世界大百科事典「フランス革命【学校】」より
独立宣言に先立つバージニア権利章典(1776)以来,すべての人は生来ひとしく自由かつ独立であることが強調され,公立・無償の学校への道が開かれた。ついでフランス革命期には,ジロンド派憲法草案(1793)で〈初等教育は,すべての者の需要であり,社会は,すべての構成員に対し,平等にこれを引き受けるものである〉とされ,同年のモンタニャール派(山岳派)憲法でも,教育はすべての者の需要であるとしたうえで,〈社会は,その全力をあげて一般の理性の進歩を助長し,教育をすべての者の手の届くところに置かなければならない〉とされていた。

なぜ今「教育」なのか

なぜ,僕自身がこれだけ教育に対して考えているのかというと,「万物の始まり」だと思っている.

「すべては教育から始まる」

そういっても過言でないと思っている,もちろん私自身が大阪の田舎でインターネットに救われ,たまたま選ばれた文部科学省の「いまみらい教育」を受けて,高校を退学になり,15歳の春に上京してきたのは”教育”が存在したからだ.

余談だが高校を3ヶ月で退学になった話はこちらから読める↓

あなたがこの記事を読むために,今手にしているパソコン・スマートフォンも誰かの手によって作られた.インターネットが発達し,誰もが簡単に・安価にアクセスできるようになって,「いいブラウザ」も「いいLine」も買える対象でない(無料)の時代では資本主義的資産の差は関係ない.マルクスもびっくりする21世紀社会.これが共産圏でなければなんと言おう.

これこそが前章でも挙げた,万人が利用するモノの向かう先は「福祉」であり「公共」なのかもしれない.

そんなインターネットによって私の今があると思っている.人間は自分の抱えた問題・経験したこと(ペイン)に対してしか成すことが出来ないと思っている.”私自身が教育に関わっていること”は選んだものではなく,”これ以外なかった”のかもしれない.

自分の中で教育とは”こうなんじゃないか”というのが今の定義だ.

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そんな”福祉公共的”な教育について,大きく分けると教育に出会える場面は3つある.

- 学校
- 社会
- 家庭

人類が誕生してから文化を作り,道具を工夫し生産性を高め努力してきた,
19世紀に始まった産業革命によって大量生産モデルが確立され,経験・体験を元にした学習は当たり前のものに変化し,学校が登場したが,民族国家を強固にするため,「よき労働者・よき国民・よき兵士」のための教育が追求され,教育機関が知的生産の核へと変化していった.その後,”大学への準備学校”として中等教育期間(高校)が発達した.

しかし,学校が教育の場として担い切るのは限界になってきたように感じる.

なぜなら,学校を運営する「校長」と入学してくる「生徒」の利害が一致していないことが浮き彫りになってきたからだ.

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学校とは,「一定の社会がその子供達を,その社会の存続ために教育する期間」であるため,個人を”統制的に”形成する必要がある.その結果,子どもを束縛し、一方的な上からの押し付け教育になってしまった.

このツイートを見てもわかる通り,学校教育での問題点は「学校側と生徒側の利害が一致していない」に収束する.

そもそも帝国大学(東大)では、官僚養成のための教育で,上司の意図をよく理解し,自己を棄て,上司の欲する文言を作成するのに特化した教育が行われていた,それも出来るだけ短期間で.
その基礎であろう小学校では,教師の言っていることを丸暗記し,要領良く答案に記述し,教師の言っていることを理解のできることが優秀だとされていたのである.

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それであれば,どのような解決策があるのだろうか?

アメリカの教育者ジョン・ホルトによると,学校教育において「従来の学級」と「開かれた学級」の違いは以下の通りだという.*

従来の学級の構造
・教室内の要素は教室・生徒の2つだけ
・教師は情報と命令を与え,生徒は受け入れ従う or 拒否するの2択
・構造は外部から与えられ,教師も・生徒も構造の中のものに過ぎない
開かれた学級の構造
・要素の数は教室にある人間の数だけある
・構造が柔軟で動的,関係性は日々変化する
・構図は有機的で内部から発生し作り出されるもの

以下に現在の日本の学校教育が前者に近く,大多数に合わないものは生きづらいかが分かるだろう.

しかしながら,悪いのは「学校」ではなく,『学校制度』なのだ.

例えば「大学共通テスト」はくだらない問題だし,この章で述べた”利害が一致していない”ということで説明できる.

もし世界で使えるような英語力を付けたいのであれば,「英語を学ぶ」のではなく「英語で何ができる?」を問うべきなのは自明だ.

前章の「力とは『手に入れたい未来を手に入れられるもの』」と述べたように,『ペーパーテストの点数を取る』というのを目指しているわけじゃない.『行動力(手に入れたい未来を手に入れる力)』をつけるような教育がメインになっていく.

そのための具体的な教育側のアプローチが「公教育」だろう.

「42 Tokyo」は新しい公教育だ

そんな中,フランス発のエンジニア養成機関#42Tokyoの1期生が募集開始されました.(開校自体は2020年4月〜)

11月7日より応募を開始し、その後3回に及ぶ試験を経て2020年1月から入学試験を開始、2020年4月の開校を予定している。42が日本に上陸するのは今回が初。

これを「公教育」と呼ばずしてなんと呼ぶだろう?16歳以上なら誰でも受講できる完全無料のエンジニア養成機関がついに日本に.

「42」とは民間の非営利型プログラミング・スクールで、フランス人のビリオネアXavier Niel氏によって設立された学校。2013年にパリでオープンし、2016年にはサンフランシスコにも設置され、現在世界12カ国で展開されている。
公式サイト: https://www.42.fr/

より詳しい42の説明に関しては,こちらのフランス本校の「42」の生徒である長谷川文二郎さんの記事が分かりやすいと思います!

しかも…42 Tokyoのコンセプト動画がとてもかっこいい👇

補足だが,私が「公教育」を考える上で影響されているイヴァン・イリイチの「脱学校論」ではの次のように述べている。

学校によって徐々に教え込まれる制度化された価値は、数量化された価値である。学校は人間の想像力をも含めて、否、人間そのものをも含めて、すべてのものが測定できるような世界へ若者を導き入れる。しかし本当は、人の成長は測定できる実体ではない。それは鍛錬された自己主張の成長であり、どのような尺度やカリキュラムをもってしても測ることができないし、他人の業績と比較することもできないものである。このような学習においては、想像力に富む努力においてのみ他人と競い、また、人の歩き方をまねるのではなく、人の歩んだ道を辿ることができるのである。私が尊重する学習は、測ることのできない再創造なのである.

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そんな脱学校論を踏まえて考えてみると,「42 Tokyo」は日本にとって大きな影響を及ぼすだろう.これから42 Tokyoが実社会に適している理由を説明していく.

大きく42の特徴は主に2つに分けられます。

1つ目に「誰もが平等に挑戦ができる」というスローガンのもと、年齢、学歴、性別などに関わらず参加可能で、かつ学費が無料という形で学習機会が提供される点。

とはいえ、応募した全員が参加できる訳ではなく、1カ月間に及ぶ実技テストを必要とする点に留意が必要です。テスト期間中、実践プログラム同様にピアツーピア方式(※後述)で、数百人の応募者が一斉に課題に向かいます。同テスト中では試験課題を解くだけでなく、プログラミング仲間に出会うこともできますし、42の学習方式が自分に合っているかを確かめる機会にもなります。


2つ目に、教育システムが「実践的」である点です。

具体的には、授業形態として従来の学校教育のように教師が一方的に講義を行うという形ではなく、学生同士が主体的に学びあう「ピアラーニング」方式を採用しています。

自分で調べ、人に聞き、自分で考えることを繰り返す、という実践的な環境によって、学習者の問題解決能力を育むことが同スクールの狙いです。何か分からないことがあればGoogleで調べ、それでも分からなければ隣の人に聞き、それでも分からなければその隣の人に聞く、といったようにサポートし合う形で学習が進みます。こうした学習プロセスの中、実際の現場で必要とされるタフさや試行錯誤の過程を学ぶことができます。

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放任主義を具体的に述べると、生徒同士が学び合い、試験に備えたりする「P2Pラーニング」の仕組みをカリキュラムに組み込んでいる点が挙げられます。

「42USA」では、常にチームプロジェクトを課されます。その際、定期的にメンバーが入れ替わる生徒同士のチームが編成させられます。チームはランダムで選ばれた3-5人の学生によって編成され、学生同士で成績を付け合い、プロジェクトの貢献度を互いに監視、評価し合うのです。

社会に出れば、例えば顧客の前でも自分の主張を守る必要性も出て来ます。このようにプログラミングスキルだけでなく、自主性を養う点を考慮した上で考えられたのが「P2Pラーニング」の仕組みです。

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一方、生徒同士の評価だけでは、談合や忖度が発生する可能性が大いにあります。そこで、チームプロジェクトとは別に、各学生は毎週コーディングのテストを受けなければなりません。個別テストがチームプロジェクトでサボっていないか、友達を口説いて不当に評価を上げていないかを監視する、言わばダブルチェックのような機能を果たしているわけです。

P2Pラーニングは従来の教育制度とは全く違います。構内を案内してくれたCOOのBrittany Bir氏は次のように語っていました。

「従来の大学制度の問題として、学生の将来からしたら何の関係性もない授業が必修として提供し続けられている点が挙げられるでしょう。これは大学側の都合によって発生している問題です。つまり、長年使い続けられている教育システムを運用・保持していくためだけに、学生目線でない授業が無理に提供させられているのです。

日本の大学ではクラスを複数選択し、各クラス毎に全く別々の人たちと関わり、別々のプロジェクトを持ちます。確かに複数のプロジェクトを持つマルチタスクの仕組みとしては悪くはないですが、将来使えるのかどうかもわからない知識を学ばされる授業が混ざっている点が非効率だと主張するのがBrittany氏なのです。

そういった意味で常に1つの与えられたタスクやプロジェクトのみに取り組む、メリハリのあるシングルタスクの仕組みを取り入れ、効率的に生徒のゴールに向かって4年間を過ごせる「42USA」のカリキュラムには新規性が伺えます。また、1つの課題に対して集中的にチームでコミットするため、密なコミュニケーションが要求され、社会性が付く点も特徴としてあげられるでしょう。

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教師側のデメリットがP2Pラーニングによって解消され、かつ生徒の主体性と多様性を尊重できるとも語っていました。つまり1人の職員が全てのクラス・生徒の管理を行うという多大なプレッシャーと責任の伴うことをする必要がなくなります。

その分、生徒それぞれが明確な責任を持ってプロジェクトに取り組むことができる環境を整えることができます。

驚くことに、学習スペース(六本木グランドタワー)は24時間365日解放されているため、生徒はいつでも、柔軟なスケジュールで学習を行うことができます。

協賛企業としては、以下の日本を代表するインターネット企業らが名を連ねています。かといって、本校の卒業生が以下の企業らに就職しなければならないのかと言われればそうでもなく、あくまで日本の開発者エコシステムを活性化させることが狙いです。

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DMM.com会長であり、一般社団法人42 Tokyoの理事長を務める亀山敬司氏は、本校の開講に対し以下のようにコメントを残しています。

42は”無料”にも関わらず、政府などの行政ではなく”民間”が提供する稀有な教育機関です。日本の今後の長期的なテック・エコシステムの発展の観点でも、非常にポジティブなムーブメントを巻き起こすに間違いはありません。将来的に、42 Tokyoから日本を代表する起業家やエンジニアが輩出されることに期待が高まります!

42 Tokyoへの参加はこちらから👇

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42以外にもたくさんある,「公教育」について

「手を伸ばせばそこにある・誰でも簡単に入手できる・”手に入れたい未来”を手に入れられるような力をつけるためのもの」は42に限らず他にもある.

「Think Global School」
テクノロジーを利用して旅する学校

「Holberton School」
授業料を就職後に後払いするプログラミングスクール

「Dyson Institute Engineering and Technology」
働き、給与所得を得ながら、エンジニアリングの学位を取得できる大学

「トビタテJAPAN」
文科省主催の留学支援

「Apple Develop in Swift」
Appleが完全無料で提供するSwiftの講座

「LINE entry」
LINEが運営するプログラミング学習プラットフォーム

「Google デジタルワークショップ」
ビジネスの成長やキャリアの向上に役立つ、幅広い無料の学習コンテンツ

「伊藤国際教育交流財団」
日本から海外の大学院へ留学する方、および海外から日本の大学院へ留学する方への奨学援助

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基本的には原価がサーバー代のみでWebサービスで無償でスキルを付けられるものが多い.企業や学校,行政などの”本来はツールを提供する場所”が自らオープンにして誰にでも可能性を広げているのはまさに『公教育』そのものだろう.

そんなWebサービスや学校を広めています,Twitterのフォローとかお願いします!

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これからの世界を作る仲間たちへ

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最後になるが,公教育の社会実装はインターネット上だけでは終わらない.

もしあなたが「少しでも教育によって世界を良くしたい・選択肢を広げた上で選択して欲しい」と思っているなら,目の前にいる人間に対しても教育を提供・享受することができる.

・SNSを通して自分の学び&情報を共有すること
・自分の得意な領域を教え,苦手な領域を教わること
・普段は気にかけない行政のサービスを利用してみること

これらは全て,『公教育』になると私は思っているし,身近なことから大っきいことまで全部やればいいと思っている.

これらは全て社会だ,なに一人社会から離れているもののなど存在しない.そんな人・モノに対して,目の前のものに対して全力でインフルエンスさせよう.

私も非力ながら自らが感じた課題に向き合って,現在のハッシャダイという会社に入って教育と家庭環境に絶望したり,塾の新規事業をやったり,目の前の友人である学生と対話したり出来ることから手を動かしている.やっていこう!やっていこう!最高!


最後に落合陽一氏の言葉の引用を.

明後日のことを考えるまえに明日のことを、そして今日のことを、願わくばそれが地続きであるように、今を起点として、見通せることを


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