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2022入試 問題分析⑤ 神戸大学の現代文

こんにちは。

5週目。割とバタバタしている中でアップできてて嬉しい限りである。

前回の分析はこちら。

今回は神戸大学の分析を始めていく。

◇神戸大学の国語について

現代文+古文+漢文の構成。問題構成は昔から本格的な国語、と言える。そして、聞きたいところが明確であり、国語の問題のレベルとしては旧帝大に匹敵する(というか上回ることもある)ものであるともいえる。

ここ最近は難易度がかなりマイルドになっていたのだが、今年はやや難しいものになっていると言える。

◇出典分析

◇解説

〇論理展開

本文の形式段落は㉖段落だが、論のまとまりにわけると4つになる。

⑴ 日本の近代文学について(①~⑤段落)
→ 水村美苗が『日本語が亡びるとき』という本を発表した際に様々な反響があったが、日本の現代文学は世界の中で意義があると言える状況にはない。 日本語文学は近代以降成熟したものの、グローバル化が進行し「英語の支配」が強まる中で、その将来には強い危機感が存在している。
⑵ 西洋哲学を輸入した明治期について(⑥~⑪段落)
→ 西洋哲学が輸入された際、存在しない語を作り出す困難に見舞われたが、言葉はあるがその意味の了解が漠然としており、理解の錯覚が蔓延したことは大きな課題として残された。
⑶ 哲学観の変化と「英語の支配」(⑫~㉒段落)
→ 1960年代に入るとこれまでの「理解の錯覚」を退けて明瞭な言葉で語ることを目指すように変化した。これは哲学をもっと普通の人にも広げるべきであるという考えがあった。そしてこれは現代にも引き継がれているが、現代ではむしろ哲学の国際化とそれによって英語の必要性の高まりがその背後にあり、決して人々に広めるという考えがあるわけではない。むしろ哲学は専門化していると言える。
⑷ 哲学の「専門化」への危惧(㉓~㉖段落)
→ 
哲学の専門化は悪いことだけではないが、結果として文学と同じく衰退の運命をたどる可能性もある。


〇問1 言い換え問題

<タケガワ解答>
日本に入ってきた西洋哲学の概念を表す語を受容するために、儒教や仏教の伝統に属する語を援用しつつも特殊なものとして、短期間に作り出す必要があったという困難のこと。(80字)

<解答根拠>
傍線部の換言なので「ことばを作ることの困難」という内容を書いていくことを意識する。

これは⑧段落を踏まえると、以下の要素を捉える。
・明治維新の直前に西洋の哲学が日本に入ってきたこと
・仏教や儒教とは別概念の語として受容する必要があった(それは時に仏教や儒教の言葉を援用する)
・特殊な語彙を短期間で作る必要があった (=困難)

ここを捉えられるか、という意味では「見つけられるか」の問題である。ただ、ある程度読解力が無いと難しいだろう。

<採点ポイント>
A西洋の哲学が日本に入ってきたこと
B Aの語を仏教や儒教とは別概念の語として受容する必要があった
→仏教や儒教の言葉を「使わないで」は減点対象。⑧段落の「しかも」に注意。
C 特殊な語彙を短期間で作る必要があったという「困難」としてまとめる
⇨ 文末に注意。「困難」などでまとめるとよい。

〇問2 理由説明問題

<タケガワ解答>
西洋哲学の用語はその漠然とした意味すら理解せずに作り出されたものであるので、それが用いられた文章を翻訳したところでその意味を正確に理解できるはずがないから。(78字)

<解答根拠>
理由説明問題。なぜ「こうした文を生み出した人」が「その意味を理解できない」理由を答える。

ここで、まず確認すべきなのは「こうした」<指示語>の内容である。

A 指示語内容の確認
→ この内容は⑪段落の「例示」に相当する。指示語が例示であった場合に取るべき方策は二つある。一つは「対応する論」の確認であり、もう一つは「論の抽象化」である。
今回は、後者が求められる。その意味ではやや難しいか。

カントなどの西洋哲学の文章を訳すことで理解したと思っているが、実際にはその意味理解が曖昧な文が作られることが多いのだ。

だから、意味理解が出来ない。ではそれはなぜなのか。

B 根源的な理由
→Aのような文を作り出す根源的な理由はなにか。それが、問1でも確認した「性急な西洋哲学の言葉作り」に由来するのだ。

これは⑩段落に書かれているが、性急に作ったが故に「理解の錯覚」が生じているのだ。

これらをまとめる。

<採点基準>
A 指示語内容の解釈
→「西洋哲学の文章を翻訳した文章の意味の理解が曖昧であること」に触れる。
B Aの根源的な理由
→ そもそも、言葉の作成段階から「意味理解が曖昧だったこと」に触れる。

〇問3 言い換え問題

<タケガワ解答>
理解の伴わない難解な言語を使用し、哲学を一部の専門家だけのものとするのではなく、日常的で具体的な用語を用いて万人が理解できるものにしていこうと変化したこと。(80字)

<解答根拠>
論のまとまり⑶の前半(⑫から⑯段落)を踏まえて考える。

正直、この論のまとまりの設定だけちゃんと出来れば答えはかなり出しやすい。やはり、読む力が大事なのだ

変化の前後を考える。

A 変化前
→ 意味の理解がなくとも哲学の用語を使う
⇒秘教的(=一部の人のもの)哲学
B 変化後
→日常的で具体的な言葉を使う
⇒万人/多くの人のための哲学

これらをまとめる。何度も言うが、論のまとまりさえ見失わなければもっとも平易な問題だ

<採点ポイント>
A 変化前の哲学
→意味理解がない用語を使うこと/秘教的(=一部の人)な哲学
B 変化後
→日常的・具体的な用語を使うこと/万人(=秘教的の対比として)の哲学をを目指す

〇問4   言い換え問題

<タケガワ解答> 
日本語の文学は明治期から成熟したにもかかわらず、グローバル化によって現在ではその意義を失いつつあるのと同じように、哲学もその内容が一部の専門家が意味理解も伴わないまま難解なものとしていたころから、平易で普遍的なものを志向しはじめると同時に、国際化の影響を強く受け、日本語を用いて行うことの意味を見出せなくなっていること。(160字)

<解答根拠>
神戸大学恒例、文章の全体を踏まえた160字記述の問題。

この問題はまず記述全体の文章構造を構想するところから始めたい。

傍線部には「またしても」とあるので、何と類比されているのかを考えると、直前に「文学一般」がきている。つまり、文学と哲学が同じ運命であることを書けば良いのである。ここから、構文を考えると以下の通りとなる。

【構文】
A 日本語文学の運命
B 日本語哲学の運命
C AとBに共通点があること

A 日本語文学の運命
→これは論のまとまり⑴の内容である。
つまり、日本語文学は成熟したものの、現在ではグローバル化が進行し、その意義については将来的な危機を抱えていると言えるのだ。

B 日本語哲学の運命
Aの内容との共通点を考えよう。(ここが最重要)ここは論のまとまり⑷から考える。
つまり、日本語哲学は秘教的なものから一般化し、「成熟」したのだが、同時に「グローバル化が進行」し、「日本語で哲学する意味が問われている」のだ。

C 共通点
→AとBの内容の対応を意識する。ただ羅列するだけではダメなのだ。

<採点ポイント>
A 日本語文学について
・近代以降成熟した
・しかし、グローバル化が進行した
・存在意義が問われるようになった
B 日本語哲学については
・秘教的なものから一般化した
・同時に哲学の国際化/グローバル化した
・日本語で哲学する意味が問われた
C AとBの内容の対応を確認

〇問5 漢字

a 変貌  b 芝居  c 漠然  d 完璧  e 膨大

◇全体的な感想

例年に比べて、「論のまとまり」を極めて細かく設定しないと解きづらいのかもしれない。そもそも「読む」ことが出来ないと問題を「解く」ことが厳しい大学なのだ。

それではまた。

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