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靴下をえらぶところから

小さいころから服とか靴とかが好きである。

よく母親から、小さい頃のエピソードとして、お店にあった茶色の革靴が欲しいと泣き叫んで、お店の人と母親を困らせたという話を聞かされた。まったく記憶にないのだけど、その当時から好きだったんだなぁと不思議な気持ちになる。

小学生のときは、古着ブームというかヴィンテージジーンズブームで、さすがに本物のヴィンテージは無理だったので、Levi's 501XXのレプリカを買ってもらったり。キムタクがドラマ『ラブジェネレーション』で使っていたポーターの鞄を買ったり。

何が好きなのかよく分からないのだけど、例えば、とてもシルエットの綺麗なジャケットに袖を通したときの興奮というか感動。美術館などに飾られている絵画などとは違う、日常に寄り添った「美しさ」に心を動かされているのかもしれないし、そのジャケットを生み出した、デザイナーのセンスや、それを形にした職人の技術など、その背後にある努力の積み重ねに反応しているのかもしれない。

ずっとそんな感じだったのだけれど、年齢を重ねていくにつれ、体重が増え、昔着ていた服が着れなくなっていった。

本気になればすぐに痩せられると思っていても、いっこうに痩せられず、体型が変化してしまって以降、服に対する関心がどんどん失われていった。

とりあえず、着れればいい。また体型が変わってしまうかもしれないから、とりあえず、1シーズン着れればいい。そんな風に感じるようになっていった。

スティーブ・ジョブズが、黒のタートルネック・ブルージーンズ・ニューバランスのスニーカーという同じような格好をし続けているのが注目され、それ以降、毎日の服のチョイスが面倒にならないように、同じTシャツやシャツを買い、それをローテーションしている人や、ミニマリストなどにも注目が集まるようになった。

服に関心を失ったタイミングでもあったので、私も一部分取り入れて、靴下を全て同じにした。冠婚葬祭であろうが、普段の仕事であろうが、プライベートであれ、とりあえずネイビーであれば問題はないだろうということで、全てネイビーのソックスにしたのだ。

たぶん3年くらいはそんな生活をしていたように思う。忙しい朝も、迷うことなく同じ靴下を選ぶ。たしかに合理的であり、便利だなと思った。

ところが、つい先ごろ、買い物をしていて、紺ではない霜降りの靴下を買う機会があった。たしか、何かの雑誌で見たモデルさんが履いていて、それがカッコ良かったからだったと思う。

それで久しぶりにネイビー以外の靴下を履いた。

すると不思議なもので、少しテンションが上がったのだ。

靴下を履く・選ぶ、ということにそこまでの価値を見出していなかったので、この感情の変化は不思議だった。それ以降、ネイビーの靴下に穴が開いたりするたびに、いろいろな靴下を買い足している。

なぜなのだろう。

たしかに、毎日同じネイビーの靴下を履くというのは、考える必要もないし、楽ではある。でも、毎日の気分に合わせて、「どの靴下を履こうかな?」と考えることの豊かさもあるんだろう。自分の体調や気分に向き合い、それにフィットする色の靴下を選ぶ。そういうちょっとしたことに、豊かさの芽があるのかもしれない。今はそんな風に考えている。

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