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本との幸福な出会いについて――『ゲド戦記』を読んで

本は「変化しないメディア」です。

いったん印刷すると、その内容は固定され、紙の消耗などはあるにせよ、何百年と保存されます。だからこそ僕たちは昔の本を読めるわけです。

一方で、本は「変化するメディア」でもあります。それは読む人によって様々な解釈や価値を生み出すからです。

変化しないメディアだからこそ、いつでも出会うことができる一方で、いつ読むかによってその意味を変えるという二面性が本の面白さなのかもしれません。

『ゲド戦記』を読みながら、そんなことを考えました。

なぜそんなことを考えたかというと、若いころにこの本を読みたかったと感じたからです。

この本は少年ゲドとオジオンなど賢人が主な登場人物です。傲慢で虚栄心の強いゲドは、オジオンの言葉を聞いてはいるものの、その真の意味が理解できません。その結果、影を呼び出してしまいます。その落とし前をつけるプロセスが描かれています。

壮大な世界観とその物語はとても面白く、いつ読んだとしても読者を魅了するでしょう。でも、やはり10代など、若いときに読みたかった。

30代半ばの私がこの物語を読むというのはどういうことか。それは少年ゲドとオジオンたちのちょうど狭間で物語を体験するということです。

オジオンたちのような箴言を伝えられるほど成熟はしていないけれど、ゲドほど幼くもない。そのような立ち位置で物語を読んでしまうということです。

ゲドに共感しつつも、その考え方や行動がどんな結果をもたらすかが、これまでの経験から分かる。そう説明してもよいかもしれません。

もちろん、この年齢で初めて読んだからこそ、そういう読み方ができるわけで、それも貴重な経験ではある。しかし、もう少しゲドの立場で物語を体験してみたかった、そう感じました。

では、若い時にこの物語に出会っていたら、いったいどのように読んだのだろうかと想像してみると、「現実と物語世界がもっとシームレス」になっていたのではないかと考えます。

ゲドの立場に自分を重ね合わせながら物語を読み、オジオンの言葉に耳を傾ける。とても大切なことを言っているような気がするけど、腑に落ちない。

しかし、実生活において様々な経験を積み重ねるなかで、あるとき「あっ、ゲド戦記で語られていたことは、こういうことだったのか!」と納得する瞬間がやってくる。自分の成長と物語がぴったりとはまる。

現実と物語世界がシームレスに、というのはこういうイメージです。

これはとても幸せな体験なのではないか、私にはそう感じられます。

そういう意味でこの本が「岩波少年文庫」に収録されていることには大きな意義がある。小中学生に是非、読んでもらいたい一冊です。


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