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認知症が救いになることもある

むかしむかしあるところに、一人の企業戦士がいました。

「24時間戦えますか?」と聞かれたなら、おそらく二つ返事で「はい」とうなずいたであろう、所属企業にどっぷりの戦士。ザ昭和的会社人間。
きっとかつての同僚たちからは、めちゃめちゃ頼られたり慕われたりしていただろうと想像します。

過去、実際の彼の仕事っぷりや会社愛の大きさについては、もはや今では知りようがありません。

だから今のぼくらが頼れるのは、あくまでもフェイスシート上の情報です。
その情報上、かつての彼は、家庭についてはまったく顧みなかったよう。
むしろ現代でいうところの“DV”に近似した言動をも繰り返していたようなので、昭和的な“亭主関白”ならしょうがないと美談的にまとめるわけにもいきません。
要するに令和的な観点からすれば、彼に対して同情の余地はないのです。


そんな彼は今、(もうお察しかもしれませんが)うちのグループホームに入居しています。
齢は80代も後半。女性の比率が多い入居施設に身を置き、名前も知らない他者との共同生活を送っています。
食欲が旺盛なのは、きっと昔からそうなのでしょう。箸使いも器用なままで、いつも残さずに全部を食べ切ります。
まぁたまに突然大きな声を出したり手拍子で三三七拍子を打ったりはするものの、健康体で気負いのない毎日を、生き生きと過ごしてい(るように見え)る。時折笑顔も見られるので、介護職員的には、彼はわりと幸せな日々を過ごしているように映っています。

他方現実、彼のために時間や労力を割く来訪者を、これまで一度も見たことがありません。
もしこの事実を、当人が把握・理解したとしたら、普通の感覚では、かなりショッキングな事態かと思います。(施設にぶち込まれたのに)誰からも連絡がない。(かつての同志たちですら)誰ひとり顔を見せに来ないことに対して、落ち込みを越えて、いくらかの怒りすら覚えるかもしれません。

しかしながら彼が、そのような事実に対して、落ち込むことも怒ることもありません。
繰り返しになりますが、介護職員から見るかぎり、彼はわりと幸せな日々を過ごしています。

いわば極度の認知症を患っている彼。
込み入った事実を認知することは、今だけでなく、この先もきっとありません。

ご家族が“絶縁”を望んでいることも当然ながら知らないまま、
この先もその事実を知ることがないまま、
うちのグループホームの中で、これからも淡々と、彼は日々を過ごしていくことでしょう。

食欲を満たしながら、好きなタイミングで大きな声で独語したり、手拍子で三三七拍子を打ったりと。
あるがままに、ストレスフリーに過ごしていただけるなら、ぼくたち介護職員としては本望です。

でも第三者目線として、気になる事実があります。
それは彼の発する独語の中に、しばしば「K△交通社」というワードが混じっているということ。
フェイスシートによれば、その社名は、過去に彼が所属していた古巣企業の名前で間違いありません。

企業戦士として、生を全うする。
その昭和的価値観も悪くないような気がしてきます。

少なくとも令和時代のぼくら介護職員は、そのような“戦士”のおかげでおまんまを頂戴できている。それも少なからぬ事実であります。

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