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日本の未来のために、野党を叩く番組は観ないこと。

自己実現的予言という現象がありますね。
あなたが何かを実現できない最大の理由は、
「できない」と思うからです。

これは精神論ではなくて、
人間は自分の行動を決めていくときに
先入観を持って選択していくという行動心理学であり、
科学的な事実なんですね。

例えばあなたがある学校の受験をしようと思っています。
でも、「私の学力ではどうせ無理だろう」と思ったとします。
そして、それを公言したとします。

あなたのその気持ちは、自分の口から言語化され、
自分の耳に入り、自分の脳で解釈されます。
「私にはどうせ無理なのだ」と強く思うようになります。

そうすると、あなたはあまり勉強しなくなり、
本当に成績が落ちてしまって、本当に試験に落ちるのです。
こういう現象のことを「自己実現的予言」というのです。

逆を言えば「自分にはできる」と思えば、
できる可能性は高くなるということです。
「引き寄せの法則」なんていうのも、
そういうものの一種でしょう。

そういう事実があるということを覚えておいてください。

さて、よくメディアでは「今の日本は野党が弱い」ということを言います。
番組に野党の議員を呼んでは、
公衆の面前でこきおろしてみせます。

彼らはほぼ全員、与党(自民党)には同じことをしません。

そして、そのような野党叩きを見ると、
人々は「野党は弱いんだ」と思うのようになる。
野党はダメなんだ、頼りないんだと思うようになる。

そのような感情のループが、野党を本当に弱くしていくんですね。
例えば、メディアがこぞって「今の野党はすごく強くて頼れる!」と
繰り返し報道したとしたら、
本当にそうなのだと思い込む人はたくさんいるはずです。

そうすると選挙に行って、実際に投票する人が増えて、
本当に野党が強くなるのです。

そういう現象は必ず起こります。
メディアは拡声器みたいなものですから、
彼らがどんなことを世間に言いふらしているのかということは、
世間そのものを動かす力になることは避けられないのです。

さて、先の戦争中にメディアが果たした役割というのは、
今さら言うまでもなく、日本人は把握しているでしょう。

戦争を煽るプロパガンダ報道を繰り返し、
好戦的な世論を先導していきました。
軍部の御用メディアだったわけですから、
ある意味当たり前です。

実際には、国民自身も戦争に対して非常に前のめりで、
メディアは国民に異を唱えることができなくなった側面もありました。
(戦争に反対した新聞は非売運動に遭いました)

まぁ、当時の日本は戦争で連戦連勝だったし、戦場が国外だったので、
戦争に対してネガティブな印象がなかったでしょうし、
そんな情報に踊らされた国民たちが
自分で自分を煽っていった流れも理解はできます。

つまり言いたいのは、あの戦争へのイケイケムードも、
自己実現的予言だったわけです。

戦後の日本のメディアは、あの経験の反省からスタートしました。
そして民主化された日本の中で、
メディアの責務とは政権を監視し、
民主主義を護持することであるという認識を持ったのです。

自己実現的予言のしくみを理解すると、
民主主義の護持とはつまり、
政権与党とはちがう意見をメディアが大切に守り、
与党と野党の健全な議論を活性化させ、
国の運営に極端な偏りが出ないようにバランスさせることだと
理解できるはずなのですね。

つまり、メディアはある意味で自己実現的に到来する日本の未来を
握っている存在なのであって、
そのとき「野党が弱い」「野党がダメだ」を連呼することによって
民主主義の健全性を崩壊させていることは、
未来の子どもたちの時代を叩き潰していることに他ならないのです。

健全な民主主義国家とは、
野党がある程度強く、政権与党との緊張関係をつくりだし、
つねに高い意識と責任感を維持する国家だと思います。

さらに言えば、国民が主権者としての自覚を持ち、
しっかりと社会に参加していく国家だと思います。

メディアには、この日本をそのような国に導く責務があるはずなのです。
そう言う意味では、ナベツネさんは立派です。

今のメディアは、面白おかしく野党ばかりを叩きます。
そんなことばかりをしていて、未来に責任を持てるのでしょうか?
すべての選択は国民が決めたことだ、という正論で逃げるのでしょう。
でも、その選択に大きな影響を与えているという自覚はあるのか。

メディア人の勲章は、国民が日常会話の中で
どれだけ政治の話をする文化を作れたか、ということと、
生きている間に、何回、政権交代を実現できたかなのではないか?
とさえ思うのです。

民主主義は「安定」のためにあるのではありません。
「安定」とは変化がないことです。
しかし、私たちの体の中の細胞や分子が
毎日新陳代謝し、入れ替わっているように、
生命体が生きていくためには変化することで動的平衡を保つ必要がある。

民主主義は、「政権を変えること」によって
人間社会全体の動的平衡を保つシステムです。

政権が変わらなければ、やがて社会は老朽化し、
必ず朽ちていくのです。

今の日本の少子高齢化、人口減少が、
そのような「誤った安定の帰結」であることを把握すべきです。

私は日本の未来を本気で心配しています。
そんな日本に必要なことは「政権交代」です。

政権が交代したら、我々の暮らしは一時的に波風が立つでしょう。
批判したくなる事象も起こるでしょう。
しかし、民主国家の主権者は、それを乗り越えなければいけないのです。

日本は、10年ごとくらいに政権交代が起きて、
大きな視点からのバランスを保つ国に変化しなければいけません。

この国の地域は、やがて限界集落だらけになります。
限界集落はやがて、必ず消滅します。
これは現実であり、近い将来に必ず起こることです。

その現実をちゃんと把握し、
日本を日本人の手でちゃんと立て直しましょう。
大切なのは教育です。

一人ひとり、全員が、今より社会意識の高い国民にならなければ、
日本は国際社会の中でもお荷物になっていくでしょう。

教育は、生涯教育も含めてすべて無償化し、
一人ひとりの人間力という真の国力をあげていくしかありません。
そういう政治を、本気で実現しなければいけません。

私たちに残された時間は、もうそれほど長くはないはずです。
いま、気づきましょう。

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