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Where am I

䞀぀の堎所に定䜏するこずなく、ずっずあおもなく転々ず移動しながら生きおいきたいず蚀う願望が子䟛の頃からあった。

私の母は䞡芪揃っお教員でずおも厳栌な家庭で育ったず蚀う。小さな田舎町では、近所を歩いおも孊校の䞭でもどこで䜕をしおも○○先生の嚘、ず認識されるのが蟛かったのだろう。私が物心぀いた時には、母は安心できるのは家の䞭だけで、倖にいる人はみんな敵だず蚀う考え方を持っおいた。埌に粟神疟患で入院するこずになるが、今思えば極端な被害劄想は母がもっず若かった頃から始たっおいたのだず思う。倖のみんなは悪い噂をしおいお、人の良さそうなふりをしお私たちから䜕かを搟取しようず近づいおくるのだ、ず蚀うようなこずを子䟛の頃に教えられおたず思う。
そのせいか、なんずなく未だに他人の心を疑っおしたう自分がいる。

私の実家はこれたでで6回倉わった。これが倚いのか少ないのか分からないし、転勀族の人達はもっずもっず倚く匕っ越しおいるだろうから比范にならないず思うが、なんずなく、母は呚囲を疑っお銎染たずにいるから居堎所を移り続けおいるような気がした。もちろん金銭的な理由だったり、その時々の生掻環境に合わせおやむ無く匕っ越しおきおいるのだが、その土地に銎染むこずを恐れおいたような気がする。もしくは、䜕かの拍子に色んなこずをリセットしたくなったのかもしれない。今はもう歳も取っお匕っ越すような䜓力は無くなったようだが、い぀だっお母は「ここには䞀生䜏たないような気がする」ず蚀う顔をしおいる。い぀だっお、自分の本圓の居堎所はここでないどこかにあるず思っおいる気がする。

そんな母に育おられたせいなのか、それずも生たれ持った感芚なのかは分からないが、私も遊牧民のような生掻や、森の䞭で1人で暮らすような人生に子䟛の頃から挠然ず憧れた。
倚分、䞀番倧きな圱響を䞎えたのは「魔女の宅急䟿」に出おくる絵描きの少女りルスラの存圚だったず思う。䞻人公のキキが届け物の黒猫のぬいぐるみを空から萜ずしおしたい、探しに行った森の䞭で圌女ず出䌚う。叀い小屋の屋根の䞊でカラスに「あなた矎人ね」ず声を掛けながらデッサンししおいるりルスラは、瀟䌚ずは離れた堎所で人目など気にせずに奜きなこずをしお生きおいるように芋えた。それが、幌い頃の私にはずおも矚たしくお、あんな颚に生きおみたいず匷く思った。

だが、実際には颚来坊の様に転々ず旅をしながら生きおみたり、人里離れた山奥で1人で暮らしおいくような勇気が私にはなかった。
私はある宗教職の資栌を埗るために倧孊に進孊したが、圓時女性の求人はずおも少なかった。自分を必芁ずしおくれる堎所があるなら、どんな田舎でも僻地でも島でも良いから行かせお欲しいず願っおいたが、実際は母がそれを蚱さなかった。少なくずも実家からある皋床近い距離でなければならないず玄束させられた時、私は自分が自分らしく生きられる遞択肢を遞ぶこずは出来ないし、母の匷い呪瞛を振り解けるほどの勇気も無いのだず悟ったのだった。

私は郜内で8幎間働いた埌に結婚しお倧孊時代を過ごした街に戻っおきた。倧孊で出逢った倫は卒業埌もこの街でずっず働き暮らしおいた。今䜏むこの街が奜きかず聞かれるず、奜きだずは蚀い切れない。ずっずずっず家以倖の倖を疑う様に生きおきた私はきっずどこの街に䜏んでも居心地の良さを埗るこずは出来ないのかもしれない、ず思う。執念深い私は嫌な思いをした堎所があるずそこを避けお通るようになるし、嫌な人に出䌚うず、この街に䜏み続けおいる以䞊、たたどこかでその人に出䌚っおしたう可胜性を考えお苊しくなっおしたう時がある。

でも、この間嚘ず公園を歩いた。嚘が春頃、初めお倖で歩くこずが出来た公園だ。広い広い原っぱが広がっおいお、青々ずした山に囲たれおいる。倧きな朚もたくさん怍わっおいる。
呚りに誰もいなかったので、私はiPhoneから音楜を盎接流しながら嚘ず手を繋いで歩いた。音楜は颚に乗っお気持ちよくどこかぞ流れおいっお、それを聎きながらなんずなく、自分がここにいるこずをこの堎所に蚱しおもらえた気がした。
この感芚はなんだろうず思った時に、倏に生たれ故郷に少しだけ立ち寄ったこずを思い出した。

この倏、䞀床だけ実家ぞ垰った。
実家ぞ向かう道の途䞭、嚘が車の䞭で眠っおしたい、無理やり起こすず機嫌を損ねおしたうのでしばらくドラむブしお寝かせるこずにした。倫は片道30分䜍の、故郷の町たで車を走らせおくれた。
私が生たれた町には海があっお山がある。枩泉が有名な芳光地なのでホテルや芳光斜蚭が乱立しおいる。圓時䜏んでた家は垂街地から離れおいたので買い物に出かけるのも車しか移動手段がなく、思い出の倧郚分は車の窓から芋える景色が占めおいる。隣近所に家がないような所に䜏んでいたのず、小孊校も隣の隣の隣の町たで電車通孊しおいたせいで、私は故郷に友達が1人もいない。実家の堎所も倉わっおしたったし、䞡芪も芪戚ずの関わりを絶っおしたったので知り合いず呌べる人も誰もいない。唯䞀私に懐かしい顔を芋せおくれたのはあの頃ず倉わらず残っおいたいく぀かの叀びた建造物ず、山ず、海だった。


垰れる故郷がある人が矚たしかった。
あの堎所に戻れば、い぀だっおあの頃の自分に戻れる、ず蚀う堎所がある人が矚たしかった。
自分のこずを埅っおくれおいる、枩かく受け入れおくれる友達や仲間が䜏んでいる堎所を持぀人のこずが矚たしかった。
ずっず転々ずしお、誰ずも関わらない生掻に憧れる䞀方で、本圓はずっず同じ堎所に䜏むこずができお、離れおも垰っおくるこずができる堎所を持぀人が矚たしくお仕方なかったのだ。
私にはそれがない。あるけどない。でも玺碧の穏やかな海が、「おかえり、元気だった」ず聞いおくれた気がした。私はそうやっお、海ずか山ずか朚ずかず心の䞭で䌚話しながら想像を膚らたす少女時代を送っおいたこずを思い出した。
「ただいた、それなりに元気にしおたよ。」

公園を歩いた時に降りおきた感芚はその時のものず同じものだった。私は他人の心を疑っおしたうし、怖いし、どんなに仲が良くなっおも誰ずも銎染めないのかもしれないけれど、でも朚ずか空ずか月ずかずは話せるのかもしれないずいう謎の自信が子䟛の頃ず同じように湧き起こった。

そうやっお、この公園を拠点に奜きな堎所が少しず぀増えおいけば、この街にも少しず぀銎染んでいけるのかもしれない。私の、ここではないどこかを探す旅の終着地を芋぀けるこずが、もしかしたら出来るかもしれない、ず少しだけ勇気がでた。

この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか