見出し画像

キッカケライターになりたい。

今宵はエッセイを書きたい気分。
と言うのも、最近自分のことを考えるキッカケがたくさんあった。

過ぎ去りし2022年の始まりはドン底からのスタートだった。
結婚を前提に付き合っていた彼氏と正月に別れ、一緒に住んでいた家から荷物を運び出し実家に戻ってきた。

「もうこの家に帰ることはないんだな…」と一緒に住んでいた家で荷物をまとめているときの、あの悲しくて苦しい気持ちは二度と味わいたくないほど、辛かった。

実家に戻っても心が安らぐことはなく、ただ苦しくて辛い気持ちが洪水のように溢れかえり、寝たくても眠れない日々。何も手に付かなくて「死にたい」とまで思うほど絶望だった。

マルタ留学から帰国後、別れた彼氏と一緒に仕事する計画が白紙になり、仕事もない状態。こんなボロボロの状況でも、長年の夢だった「ライターになりたい」という思いは強くなるばかり。

知識も経験もない自分だったけど、たかが彼氏と別れたくらいでボロボロになっている自分が嫌すぎてオンラインスクールを受講することを決めた。ライターコースで基本を学び、文章の奥深さに苦しみながらも課題を着々と進め卒業制作のエッセイはギリギリ合格。

そして周りの友達や先輩に「ライターになりたい」と言いまくってたら、一人の友達から新聞記者の枠を紹介してもらい、トントン拍子で仕事が決まった。

「取材」を仕事にするのは人生で初めて。いろいろな人にインタビューし、その人の代わりに記事にする。今でも思うが、読者の反応よりも取材先の反応の方が怖い。

ちゃんと相手の期待に応えられただろうか、相手が一番伝えたいことはくみ取れただろうかと記事発行後はエゴサをしてしまう。SNSに力を入れている人は記事を紹介してくれるが、たまに記事に対するドストレートなコメントを見ると、「あぁ。ごめんなさい。」と猛反省する。

実は私にとって「取材」は苦手分野。相手に対する質問が思い浮かばない。何を聞けばいいのか分からないのだ。だからいつも質問リストをあらかじめ作って取材している。取材後に「あれ聞くの忘れた!」とならないように。

しばらく自己流質問リストにそって忠実に取材を続けていたが、最近それでも苦しくなることが多くなった。会話の中で自然な質問ができず、「聞かなきゃ」と質問リストに縛られてしまっていたからだ。

自分が作ったルールで自分の首を絞めていることに気が付き、この前初めて質問リストを作らず白紙のノートで取材してみた。取材から撮影の流れも細かく決めていたが、相手の雰囲気に任せようといつもと違う取材に挑んだ。

そしたらびっくりなことに超絶スムーズな取材ができたのだ。

この取材は私が書いている新聞の中で一番大きな枠。毎回ではないが定期的に自分に回ってくる。文字数も紙面で一番多く、いつもこのコーナーの原稿に苦戦してうまくまとめられず、編集長からの赤入れがどっさりなのがデフォルト。

「また私の番が回ってきた。嫌だな。」と、ほぼ嫌いなコーナーだが、この取材後会社に戻り、2時間くらいで原稿が完成し提出。デフォルトの赤入れどっさりはなんと!免れた。

今回は新聞で働き始めて一番印象に残った取材だったと思う。いつもの私の殻を破ったのだから。

でもきっと、ここにたどり着くまでの数多くの失敗がなかったら、一生変わらなかっただろう。失敗の数だけ学びがある。学んだだけではなく行動したから結果に繋がった。ありきたりな言葉だが、今の自分にとても当てはまる。

新聞の仕事でライター修行に励んでいたが、今年の5月で1年となるのを節目に卒業を決意。これからはフリーランスとして、さらにライター業に本腰を入れる予定だ。

取材が苦手分野の私だが、一つだけ好きなことがある。それは人の「キッカケ」を聞くこと。これはどの取材でも必ず聞いている。

よくある「キッカケ」から、その人しか言葉にできない「キッカケ」など、多種多様な話を聞くのがとても楽しいのだ。だから私は人の「キッカケ」を聞いてその人の代わりに伝える「キッカケライター」になりたい。

いつかこの仕事が軌道になったら商標登録をしようとまで考えている。調べたところ、まだ登録はされていないからいけそうだ。でも早くしないといつ誰に先超されるか分からない世界。そう遠くない未来に実現できるよう頑張ろう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?