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2018年最高だった映画たち

2018年も押し迫ってきまして、とにかく今年もいろいろ映画見たなーということで、良かった映画を上げていきます。まだちょっとあるけど、年末忙しいんだよ。

ベスト10とかにしようかとも思ったのだけれど、ベスト10に収まらない&順位付けするの面倒くさいということで、たらたらと思いついた順に書いているという垂れ流し系のエントリーとなっております。だいたい公開順ですが入れ違っているところも多々あり、おまけにネタバレしてるところ(核心は外してるはず、犯人はヤスだ)もあるので、自己責任でお願いしやす!書いてるうちに2万文字弱という膨大な長さになったのですが、気にしない!

スリー・ビルボード

今年のべストの1つです。アカデミー作品賞は逃したけど、主演女優賞を火炎瓶ぶん投げババアことフランシス・マクドーマンドが獲ったのは至極当然の演技だった。彼女は今年の俺選定ベスト・オブ・エネルギッシュクソババアでもある。『スリー・ビルボード』はなんといってもシナリオが素晴らしかった。レイプで娘を殺された母親が看板広告を出すところから始まるのだが、普通だったら「真犯人を探そう」みたいなストーリーになるのにそうならない。母親には母親の正義があるし、「娘はレイプされて焼き殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして、ウィロビー署長?」と広告でなじられた「世界四大頼りになるハゲ」のウディ・ハレルソン演じる警察署長も捜査ではベストを尽くしているし、母親のやり方に息子は反発するし、広告を出したことでサム・ロックウェルに二階からぶん投げられる広告屋(ケイレブ・ジョーンズ)にも言い分はあるし、暴力警官サム・ロックウェルの葛藤もよくわかる。この映画に絶対的な正義はなく、あるのはそれぞれが正義だと信じているおぼろげな信念のようなもの。その正義の不在がこの映画を複雑にして、深いものにしている。必見はラストシーン。フランシス・マクドーマンドとサム・ロックウェルが連れ立って車に乗るシーンでのセリフのやり取りは投げやりな諦めと深い憎しみが混じり合った最高の場面でした。ごちそうさまでした。

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デトロイト

死ぬほど怖いぜデトロイト!!1967年にデトロイトで起きた暴動のどさくさで暴走した白人警官たちの理不尽な暴力を描く。もう、ずっと息苦しい。なんか冗談で銃声を出したモーテルに警官が押し入って、疑心暗鬼のままモーテルの宿泊客たちを暴力で屈服させてひたすら問い詰める様が描かれていて、その間はずっと自分が拷問されてるかのように息をするのを忘れるほどきつい。さすが『ハートロッカー』『ゼロダークサーティー』で息苦しい映画をひたすら撮ってきたキャスリン・ビグローの姐御である。一応黒人差別というフォーマットではあるのだけれども、それよりも自分が信じる正義によって集団暴走状態になっている白人警官たちの存在のほうが恐ろしい。あきらかにまずいと思いながらも誰も止めようとせずにただひたすらエスカレートしていくというのは、実生活でもネットでも経験があるのではないだろうか。あの集団にいたら俺もまともでいられる自信はなく、率先して「あいつあやしいから殺しちまいましょうよ!」「なんかこいつ有罪な気がしますぜ、旦那!」とか自分が煽ってる姿が容易に想像できるのである。ちなみに悪徳警官の中心人物を演じるウィル・ポールターの顔がむちゃくちゃ憎たらしい悪徳警官顔なので、「むきいいいいいいいむかつくううううううううう」という気分を味わっておくのもまた一興である。

本人はこの役柄全然共感できなかったそうな(そりゃそうだ)

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シェイプ・オブ・ウォーター

今年のアカデミー作品賞を撮った愛のファンタジーである。デル・トロ監督おめでとうございます。アマゾン奥地でとらえられた魚人を捕まえておく施設とそこで働く声の出せないイライザの物語。彼を実験材料にしようとする政府と、それを救おうとイライザが奮闘するのだが……。この主役級二人だけでなく、登場人物がほとんど不完全なのがこの特徴だ。イライザを助けるゲイの画家ジャイルズ、魚人をいためつける悪役のストリックランド、政府から圧迫を受ける科学者ホフステトラーなど、完璧な人物はほとんどいなくて誰しもが何かが足りなくて何かを欲している。そんな中で一番苦労していそうなイライザが実は何も足りてないものなんかなくて、やっぱり何も足りてないものがない魚人と愛が生まれるのだ。二人の完璧なラブストーリーも最高だったのだが、自分が特に気に入ったのは悪役のストリックランド。出世のプレッシャーにさらされて、指を失いそうになりながらもひたすら仕事を遂行しようとする姿は我々ワーカホリックジャパニーズに非常に通じるものがあった。デル・トロ監督はこういう味のある悪役を作るのがうまいなあ。キャラが立ってて、ストーリーがよくて映像の美しさだとかはもちろんすごくて、非の打ちどころがない。もちろん見て損はありませんがな。

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フロリダ・プロジェクト

低所得版『よつばと!』 in U.S.Aだと主張しているのだが、誰にも賛同されないっていうか、そもそも見てる人があんまりいない。トランスジェンダーをiPhone5sだけで撮った前作『タンジェリン』で強烈な映像を見せてくれたショーン・ベイカー監督は今回も凄まじい仕事ぶり。フロリダ・ディズニーの近くの安モーテルに住む親娘はまっとうな仕事もせずに売春や怪しい商売で糊口を凌ぐ有様なのだが、そんな状況でも娘のイキイキさがとんでもなく良いのである。チャンスがあれば中指立てまくり、気に入らないことがあれば生理用ナプキンを店のガラスに貼り付け、金は盗むは親友は裏切るわの一言で表現すると「あばずれ」な母親なのだが、娘とは仲が良くてそこも泣けてくる。前作『タンジェリン』でもそうだったのだが、この映画の世界はフロリダに実際にあるんじゃないかと錯覚させてくれるほどのリアルさを出すのがこの監督は本当にうまい。ラストはやっぱりとんでもなく悲しいことになるのだが、この娘と母親がアメリカのどこかでまだ生きていてなんとか少しでも幸せになってるといいなと思わせるようにできていることで、もうこの映画は勝ちなのである。ちなみに、モーテルの管理人ウィレム・デフォーが最高にいい味を出しているので無類のウィレム・デフォーマニアも要チェックやで!

※写真はケヴィン・ベーコンです

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グレイテスト・ショーマン

歌って踊るミュージカルアクターのポテンシャルを最大限に生かした映画である。とにかく踊りと歌声にキレがある映画で、個人的に好きな場面はバーでヒュー・ジャックマンがザック・エフロンを仲間に入れようと口説くシーンで、あまりにも色々巧みすぎて新春かくし芸の堺正章が憑依してるかのようだった。ただ、ミュージカル映画によくありがちなのだが、悩み自体が結構陳腐で「自分のショーは本物か偽物か」みたいな感じのがテーマになってて、シリアス映画好きの私小説映画症候群の友人は「くだらねーことで悩みやがって、てめーが悩んでる5000倍は困ってるやつらが世間にはいるんだよ、0点だ0点」と毒づいていたが、この映画にそんなシリアスなものを求めるのははっきり言って間違いであり、その友人はバーフバリの投石器爆弾で遠くに飛ばされるべきである。ヒュー・ジャックマンと仲間たちがキレのあるダンスと歌声で踊っていれば、それでこの映画の大半は成立する。映画というものは先に紹介した『スリー・ビルボード』のような深く複雑なものも最高だし、この『グレイテスト・ショーマン』のようなわりに単純だけど華々しい喜びを与えてくれるものも最高で、「FカップとDカップのどちらがよいか」と言われれば「どちらも揉みたい、Aカップも味わい深い」と答えるしかないのと同じなのである。どっちがFカップでどっちがDカップかは来週までの課題にしておきますので各自レポートを書いてくるように、Aカップは去年公開された『哭声』です。

國村隼はCカップくらいありそうだけどね!

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ハッピーエンド

ハネケファン待望の新作は、見る前から誰もが「ぜってー、このタイトルうそでしょwwww」と突っ込んでいた通り、映画のどこを切ってもハッピーな画面が一つもないという恐ろしいものであった。『ファニー・ゲーム』『白いリボン』『隠された記憶』『愛、アムール』などなど「いやな気分にさせる映画オリンピック」があったら間違いなくメダルを荒稼ぎするミヒャエル・ハネケの本領発揮というところであった。一見平穏に見える家族の中で、自死を願う老人、引きとられてきた前妻の娘を中心に、エロチャット親父、ぶっ壊れた甥っ子と誰しもが持っているささやかな秘密を一枚一枚丁寧に暴いていく。ただし、その暴き方はあくまで寡黙。ひたすら不穏で不快な画面を見せて、言葉少なに語られていく。「今回はわざと不快な映画撮ったったwwwww」とハネケは言っていたそうだが、じゃあ今までのはどういうつもりで撮ってあの不愉快な画面になったんだと問い詰めたいけど、ハネケとか話し始めたらすげー長そうだからやめときます。不親切で不愉快、だけど心にしこりを残す、いろんな意味でめんどくさくて面白い映画。ハネケ未体験の人はまずは隣人愛を探求した映画『ファニーゲーム U.S.A.』からぜひチャレンジ!

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聖なる鹿殺し

『籠の中の乙女』、『ロブスター』の鬼才ヨルゴス・ランティモス監督のやっぱり今回も設定もなにもかもイカれてる素晴らしい映画。酔っぱらって手術した医療ミスで患者を殺した主人公コリン・ファレルに対して、殺した男の息子がひっそりと忍び寄ってくる。彼の目的は代償。コリン・ファレルの家族にも同じ犠牲が必要だというのだ。そして、謎の病気で次々と倒れていく家族。本当に理不尽で不愉快なサイコスリラーなのだが、その理不尽さによって防ぎようのない運命だということを強く印象付けている。本当に画面の撮り方がうまくて、忍び寄ってくる少年バリー・コーガンが最初は好青年だったのが、だんだんと不気味になっていき、最後には神々しいほどの悪魔の使者に見えてくるのがすごいところ。恐慌をきたすニコール・キッドマンも相変わらず美しい。ラスト近辺でのぐるぐるコリン・ファレルは本当は笑ってしまうところなのだが、そうせざるを得ないほどに追いつめられる運命の力に少しも笑えないのである。あと、バリー・コーガンのクッソきったねえスパゲッティの食い方は近年まれにみる酷さなので、こちらも必見です!

ほぼグロ画像

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君の名前で僕を呼んで

手足が!長い!繊細青年と筋肉知的青年が北イタリアの一夏にあー!いけません!お客様!イケメン2人の長い手足が絡まりますと!あー!距離の詰め方が男子中学生で!あーいけません!お客様!あー!ほぼ映画中ずっと半裸で!あー!手足が!長い長い手足が!というわけで、こんなわけのわからないおっさんがぎゃーぎゃー騒ぎたくなってしまうほど、本当に美しい青年2人のひと夏のメモリーなわけですよ。思い出じゃなくてメモリーと書きたくなってしまう、人をポエマーにしてしまう魔力がこの映画にはあると思うのです。その理由の1つは、本当に綺麗だからなのだよね。もちろん男性2人もイケメンなのですが、それ以上に夏の北イタリアの田舎の映像が本当に美しくて、ああ、こんなところでひと夏を過ごしたら間違いが起こってもおかしくない、いや、起こるだろ、普通起こるだろ、むしろ起こすだろ、という気持ちがぐいぐい湧き上がってきてしまうのです。この景色の中だからこそ、このもどかしい距離の取り方といったん事が始まったら堰を切ったように距離を詰める中学生男子のような姿がとてもリアルでよい。2017年の『ムーンライト』に続く、とてももどかしくて美しい恋愛映画でした。もはやこういうもどかしい恋愛映画は同性間の方がうまく撮れるような気がする。

とにかく手足が長い

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女は二度決断する

ドイツの移民問題を最悪の形で凝縮したような作品である。トルコ系男性と結婚したダイアン・クルーガー演じるカティアだったが、子供と夫を爆破テロで失う。失意のあまりに自殺未遂をするが、そこで犯人のネオナチカップルが捕まったことを知り、裁判に。しかし、裁判ではカティア自身の不備や相手の巧みな弁護で無罪に。ネオナチカップルはギリシャにバカンスに向かい、それを追ったカティアは……。とにかく、話がシビア。ネオナチに家族殺されるのもシビアだし、犯人が無罪になるのもシビアだし、自殺未遂もシビアだし、ネオナチカップルが人気のないYoutuberくらいの知性しかないのもシビアだし、そんな奴らに家族殺されるのもシビア。ただ、そのシビアさこそがドイツの移民が直面している現状だし、裏を返せば移民と相対しているドイツ人の現状なのだと思う。個人的にはネオナチカップルが超チャラくて面白かった。でも実際でもそんなもんかもしれんなあ。そして、圧巻は最後である。決断の内容は言わないが、もうそうなってしかるべきとしか思えないような必然の最後で、我々は呆然とそれを受け止めるしかないのである。見終わった後には一人でぼんやりと強い酒を飲みたくなる、そんな映画。

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ラブレス

破たんした夫婦の愛の欠如を冷たく描いたステンレスのシンクのような映画。夫婦仲は破たんし、夫も妻もすでに新しいパートナーがいるので、2人は子供のアリョーシャをお互いに押し付け合うというひどい導入部。それをこっそり聞いてしまうアリョーシャはある日突然消えてしまう。そうしてアリョーシャの捜索が始まるのだが……。見てると胃がおかしくなりそうになってくるほどのいやな場面が続く。子供がいなくなったのに、夫も妻も探索にやる気なし。警察も全くやる気がなしで、乗り気なのは完全な赤の他人のボランティア団体だけ。それでも捜索は続けられるが、夫婦はひたすら罵り合い、結局見つかったアリョーシャらしき遺体も本物ではない。そして数年が経って誰もかれもがそんなことはすっかり忘れてしまっている。新生活でも新しい子供を邪険に扱う夫と楽しくなさそうな妻。本当に全編を貫く愛の不在が徹底してる。これが現代だけのものなのか、彼らだけの問題なのか。おそらくは愛という変わりやすい概念についての普遍的な本質をアンドレイ・ズビャギンツェフ監督(世界ナンバーワン呼びづらい監督名)は訴えているのだろう。愛は確かにある。でもそれは消えてしまうのだ。

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タクシー運転手

韓国の名優ソン・ガンホがもうこの笑顔なわけですよ。この時点でピンとくる方もいると思うんですが、この後めっちゃいやなことが起こるわけですよ、この映画。ストーリーは軍政下の韓国における光州事件を取材に行く外国人ジャーナリストを「お調子者」としか言いようのないタクシー運転手ソン・ガンホがソウルから乗せていくというもの。最初は金目当てだったソン・ガンホがあまりの韓国政府の圧政具合にどどんどん顔がシリアスになっていき、それにつれて序盤はコメディタッチだった映画が最終的にはドキュメンタリーのような迫真さに変化していく様がお見事。その流れはタクシー運転手軍団特攻というカタルシスへとつながっていき、まさにこれは事実を基にした物語であるにせよ、韓国版マッドマックスである。実録映画としても一級品、娯楽映画としても特上ということで、もはやこれは神話と言っていいのではないだろうか。今年を代表する映画の1つであることは間違いない。個人的にはラストがとてもお気に入り。陳腐な映画だったら最後でタクシーに乗ってきちゃうんだろうなーというシーンをぐっと堪えて、最高のラストシーンになっている。映画を通してソン・ガンホの演技が素晴らしい。世界で5本の指に入る最高の俳優の1人だと思う。ちなみに、ソン・ガンホがサッカーボールで足技を披露するというシーンがあり、総合的な観点から言えばサッカー映画でもある。

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レディ・プレイヤー1

巨匠の底力を見せつけられた1品。ワールドシリーズでベテランピッチャーが先発してきて「なんだよロートルが思い出づくりかよ」とか言ってたらノーヒットノーラン食らった気分にさせられた感じである。まさか爺さんがここまで未来な映画をぶち込んでくるとは思わなかった。スピルバーグ何歳だよと調べたらもう72歳である。三国志の時代だったらほとんど死んでいる年齢なのに元気過ぎだろ。全盛期の呂布かよ。肝心の内容もストーリー自体は王道エンタメなのだが、かき集めてきたアニメ・特撮キャラが絢爛豪華の極み。普通に集めたら使用料とんでもない額になると思うけど、スピルバーグに「ねぇーん、ちょっと使わせてよーん」って言われたら「タダでいいです、いやむしろこっちがお金払います」みたいな流れになってもおかしくない。そういう意味でもスピルバーグしか作りようがない唯一無二の作品なのだ。また、「落ちた鍵がなかなか拾えない」「エンジンがなかなかかからない」「ヒロインが美人かどうか微妙」などの通称「スピルバーグ・ムーヴ」(俺だけがそう呼んでる)もセルフパロディかと思われるくらい多用されており、従来のスピルバーグファンも安心の出来である。ラストシーン近くでの主人公の仲間が「俺は○○で行く」は日本人だったら燃え上がらざるを得ない!俺はスピルバーグでイク!

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ザ・スクエア

非常に考えさせられるカンヌ・パルムドール作品。主人公は美術館のキュレーターで資金難から金集めに奔走。そんな中で、ある前衛芸術の「この中では誰もが平等の権利と義務を持っています/この中にいる人が困っていたら それが誰であれ あなたはその人の手助けをしなくてはなりません」というメッセージボードを足元に置くだけの「思いやりの聖域」を発表する。そこからは、主人公がスマホを盗まれて偏見丸出しの態度をとりまくるとか、バズらせるために若いスタッフが作った映像がひどい出来で炎上しまくるとか、主人公が全然女に思いやりがないとか、スクエアとは対照的な出来事が次々と起こりまくってなかなか毒の利いた笑いを楽しむことができる。ただ、長すぎるのは確かだし、監督が意図したとおりに不愉快な場面のオンパレードなので、見づらいのは確かだ。しかし、なぜこの映画が不愉快なのかというと、それは自分たちの姿をそのまま映されているからだ。「自分」は基本的に不愉快なものなのだ。必見は取り澄ましたセレブのパーティーに猿人間のパフォーマンスをする場面。セレブたちの困惑と嫌悪感が画面から伝わってくる長回しで、観客たちもいったい何を見せられてるのかさっぱりわからなくなる。最高のシーンだけど、こんな長回しする必要があったかは別の話であり、ほんとオストルンド監督は性格が悪い(褒め言葉)。

欧米の間寛平

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アイ、トーニャ

「ナンシー・ケリガン襲撃事件」というオリンピック史上でもトップクラスの汚点となる事件を引き起こしたトーニャ・ハーディングの自伝的映画。クソババアに育てられて経済的に苦労しながらのし上がっていくトーニャだったが、経済的なハンデやしょーもない男にひっかかってサラブレッドのケリガンに負けていき、結果は皆さんご存知の通り。なにしろマーゴット・ロビーの肩幅が広くてとてもよい。俺が初めてトーニャ・ハーディングを見たときの「うわっ、ごつい!」というフィギュアスケーターに言ってはいけない感想を余すところなく肩幅で表現しているマーゴット・ロビーは最高である。ほんとどうしようもない親に育てられて、どうしようもない男と付き合って、最終的にはライバルを襲撃してしまうのだから、負の連鎖とは恐ろしいものだと再確認させてくれる、どちらかといえばフジテレビの『ザ・ノンフィクション』に近いものではないだろうか。ただ、それでもトーニャはめっちゃイキイキしてて、スケーターというよりも「人間」なんだよなあ。この映画でアカデミー助演女優賞を取ったアリソン・ジャネイはさすがの演技で、トーニャの母親役を演じ切った。親はなくとも子は育つと言うが、あの親の元でまともに育つ自信がない!

1点の曇りもないクソババア

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犬ヶ島

天才ウェス・アンダーソンの撮るストップモーション・アニメーション映画。なんで急にアニメなんだ。おそらく膨大な手間をかけたであろうアニメーションはキュートで荒涼としてて、カクカクしてるのにまるで生きてるようで、アニメ撮らせても天才は天才だった。未来の日本を舞台にしているのだが、毒ワサビで暗殺、外国人に日本語をしゃべらせてかなり危うい感じなどのマジで誤解してるのかわざとやってるのかよくわからない日本ワールドが展開されていて、とてもチープで楽しい。謎設定の中で割と楽しい少年と犬の冒険譚だと思って見たのだが、監督のインタビューを見たら「ドナルド・トランプの大統領就任に影響を受けたんだ」とか言ってて、そうなの?そんなところあったっけ?みたいに思ったのだが、まあウェス・アンダーソンがそう言うんならそれでいいだろう。また、声優陣もブライアン・クランストン、エドワード・ノートン、ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、グレタ・ガーウィグ、フランシス・マクドーマンド、ハーベイ・カイテル、渡辺謙、夏木マリなど無駄に超豪華。これに加えてまさかのオノ・ヨーコまで起用していてビックリ。どこかで聞いたことのある声とふわっふわの犬の毛並みを堪能するためにぜひ見て!

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万引き家族

カンヌのパルムドールを取った映画を今さら紹介するまでもないと思うのだが、いいもんはいいのだからしょうがない。是枝監督のマスターピースです。一つの疑似家族が寄り添いあい、その絆の一つとして万引きがあるというのは非常に現代の家族っぽい象徴だなあと大変に感銘を受けた。ストーリーはもちろん秀逸なのだが、見てもらいたいのは一つ一つの細かいエピソード。大家族なのに家が狭くて物が溢れかえってる様は本当にリアルで、本当に貧乏な家は物が捨てられずに増えていく一方になるという現実を映す。食事も貧しくほとんどがインスタントばかり。貧乏ならば自炊をすればいいとこれみよがしに言うが、そんなことをしている暇もスペースも貧乏家庭にはないんだよなあ。その中でも工夫してインスタントのカレーうどんにコロッケを入れたものがうまいとか言ってて、貧乏グルメが生まれているのも泣けてくる。そうして寄り添っている姿は血縁なんかなくてもまぎれもない家族には違いない。本筋は見てもらえば良さがあると思うのだが、俺がぜひ見てもらいたいのはリリー・フランキーのケツ。年の割にはむちゃくちゃきれいで撮影の前にメイクに何かしてもらったのかぜひ知りたい。また、リリー・フランキーは「運動神経の悪いおっさんが走る演技」がすごくうまくて、この作品でもその場面が出てくるので要注目である。

松岡茉優の水着はいいぜ

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ブリグズビー・ベア

今年一番泣けた映画。幼いころに誘拐されて監禁された主人公の唯一の情報源は、偽の両親が作っていた『ブリグズビー・ベア』という幼児向け番組だったのだ。偽両親が逮捕され、ずっと世界から隔絶されていた主人公はうまく社会に馴染むことができず、彼は自分で『ブリグズビー・ベア』を作ることでなんとか折り合いをつけていこうとするというストーリー。誘拐された主人公、誘拐犯の偽両親、本当の両親、そして急に兄ができた妹、捜査した警察官と全員の戸惑いと躊躇がよく撮られていたこと。主人公が映画を撮ることで仲間ができていき、過去と自分を相対化していって、現実に馴染んでいく姿は涙が出てくる。笑えるのは誘拐犯の父親でSF幼児番組『ブリグズビー・ベア』の作者が、スターウォーズのルーク役であるマーク・ハミルということ。あと、警官のグレッグ・キニアがノリノリで『ブリグズビー・ベア』の新作に出演してるのもすごくいい。ベアの着ぐるみもかわいいし、新作の手作り感も最高で、どことなくミシェル・ゴンドリー監督の『僕らのミライへ逆回転』を思わせる。今年一番欲しかったベアTシャツは入手困難でオークションでは20,000円くらいの値がついてる。アホか!欲しいけど、アホか!

誰かくれよ!!

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母という名の女

今年一番怖かったのがこのメキシコ映画。若い娘が子供を身ごもって母親がその出産を助けるまではいいのだけれど、そこから母の暴走が止まらなくなる。「子供が子供育てられないやろが!」と娘から子供を取り上げるわ、勝手に引越しして遠くに行くわ、挙句の果てには娘の旦那を誘惑して疑似夫婦みたいな関係になるわとやりたい放題。その姿はサスペンスを通り越して、もはやホラー。最初は娘を思う母だったのに、何かのスイッチが入って女になる過程をうまく撮っていて、ミシェル・フランコ監督ほんとすげーな、と。映画の至るところのシーンでめちゃくちゃセックスしまくる作品でもあるので、性とか女であることの生々しさが画面から漂ってきて窒息しそうになる。ちなみに娘の旦那を母親が誘惑するシーンがすごく特殊で、え、こんな誘いかたするの、そんで普通にこれで落ちちゃうのお前、めっちゃアフロのお前速攻陥落かよ!と衝撃を受けたのも確かである。

特殊性癖過ぎる誘い方

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カメラを止めるな!

ポン!!!!!さて、きましたね、今年最大の話題作。低予算で上映館数も少ないのに口コミから火がついたSNS時代の申し子のような映画で、原案の舞台脚本の作者との揉め事などもあって、本当に今年一番の「話題作」と呼べるのではないだろうか。「あの作品で世界が変わった」というのはよく比喩的に言われるけれど、今年の上田慎太郎監督にはそれを言う資格があるだろう。映画の内容も申し分なし。前半の手ブレのひどいびみょーな映像で視聴者を「????」とさせておいて、後半の怒涛の回収パートでは爆笑の嵐。最後にはなんだかほろっとさせるというエンタメとして文句のつけようのない出来。ゾンビだけどあまりの低予算なのでそんなにグロくないので、苦手な人にもオススメ。この映画の奇跡として、集めた役者が全員うまいことがすごい。低予算でワークショップでかき集めたような人たちだと素人っぽいなーという人が多かったりするのだが、それがなくて全員ちゃんと役者してる。いくらシナリオがよくても役者さんが素人っぽいと一気につらくなっちゃうのがあるので、そこはすごかったな、と。とにかく、今年を代表する映画の一つ。映画情報サイトでものすごくコメントがついていて最近は「全然おもしろくなかった」「何がいいのかわからない」みたいなのばっかりで、ああ、普段映画を見ない層までこの映画は届いたんだなあ、と感慨ひとしおであった。まだ見てない人はDVDも出るらしいし、軽い気持ちで見てほしい。個人的な希望としては、コーエン兄弟あたりにハリウッドでリメイクしてもらって、監督が振り回され俳優マーティン・フリーマン、わがままな俳優たちをジョージ・クルーニー、サミュエル・L・ジャクソン、マーゴット・ロビー、プロデューサーにジョン・グッドマンとかを起用して、盛大に大コケして欲しい。よろしくでーす!

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寝ても覚めても

東出昌大の一人二役という悪魔的な発想が実現してしまった。さすが『ハッピーアワー』で5時間17分の映画を上映した濱口監督である、恐ろしいことをしやがる。しかし、見て思うのは東出くんのサイコパス感の恐ろしさではなく(いつもと同じといえば同じだし)、ヒロインを演じる唐田えりかの恐ろしさの方である。結局彼女がなぜそれを選択するのか、というのがいくら考えてもしっくりこず、そのしっくりこないままにtofubeatsの素敵な音楽で映画そのものが流れ去っていってしまうのである。女性でもその選択に共感する人はほとんどいないだろうし、なんか見た後に「すげーメンヘラだったな」っていうメンヘラ誘蛾灯のあだ名をつけられたことのある俺としては身震いせざるを得なかった。理解できないがゆえにリアルであるという、恋愛版シリアルキラーの様相を呈してきている。原作も読んだが、淡々とした文章でものっすごいよくわからないことが書いてあって、何度も「えっ?」ってなって読み返したりした。あ、それと唐田えりかが怖いって言ったけど、映画終盤で1つの画面に東出くんが2人出てくる場面があるのだけれど、さすがにそれは怖すぎて小さな声で「ひえっ」っと叫んでしまいました。あと、その日になんかいやな夢を見た。

普通の演技をすればするほどサイコパスに見える東出くん

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ショックウェイブ

さて、今年最大の衝撃作『ショックウェイブ』である。アンディ・ラウが爆弾処理班となって爆弾魔と戦うのであるが、とにかく香港映画全開ですごかった。まず、アンディ・ラウの爆弾処理能力が低い。結局きちんと処理できたのは2回くらいで、あとは処理が追いつかずに何度も爆発させてしまう有様である。成功率が50%を切っている。特に人質に取られた若手警官が全身に爆弾を巻かれて戻らされた場面はすごかった。2分で爆弾を処理しなければいけないのだが、アンディ・ラウは1分程度で諦めるとそこからは若手警官に向かって「ここで爆発すれば被害が少ない!お前は警官だな!?そうだな!?」と心得を説き始める。当然若手は爆発して死ぬ(直前でアンディ・ラウは退避)。爆弾を処理できずに最後は精神論でいくというアンディ・ラウの無能っぷりが際立つ場面である。また、敵もすごい。爆弾魔に扮するのはジャン・ウーなのだが、どう見てもIT関係のWEBデザイナーにしか見えない。

※一番下の写真はジャン・ウーが分身の術を使った場面です

とにかく見た目が「汎用デザイナーおじさん」でしかなく、こいつが次々といろんな爆弾を仕掛けてくる様を見てると「爆弾プレゼン」「トンネル同時爆破でWin-Win」「ステークホルダーにニトログリセリンをコミットメント」などの言葉が頭の中を飛び交うのだ。そして、途中で「爆弾処理とかまどろっこしい」と思ったのか、アンディ・ラウはもう銃を乱射して敵陣に特攻していくのである。そうだ!俺たちのアンディはそうでなくちゃ!デザイナーおじさんも激しく銃で応戦していて、爆弾処理どこいった。他にも2秒で恋に落ちるアンディ・ラウ、突然の半年時間経過、銃撃戦の中で『アンタッチャブル』の乳母車的な扱いをされるジャン・ウーの弟が縛り付けられたストレッチャーなど見どころ満載。これだけむちゃくちゃやってても最後にはカタルシスが訪れるのだからまさに香港映画のパワーを感じられる。細かいことはいいんだよ!って時にぜひ。

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判決、ふたつの希望

レバノン映画の秀作である。いまだに紛争地域であるレバノンのベイルートにおけるレバノン人とパレスチナ人の民族対立を非常にエキサイティングに描いている。きっかけは家の排水管を巡る工事の些細な揉め事なのだが、謝罪しろ、謝罪しないのご近所トラブルに。レバノン人のトニーはヤーセルに対して言ってはいけない暴言を吐いて殴られ、そこから怒涛の裁判突入で国を二分する大揉めの事態に。お互いの弁護士が親娘だということもわかってさらに裁判は紛糾。トニーがなぜそこまでパレスチナ人を嫌うのかという理由も明らかになっていく。結局、難民を受け入れるレバノン人側のトニーも実は国内の難民なのだということなのだが、これは難民問題の本質を非常に突いていると思う。人が来れば仕事が奪われ、住むところが奪われ、元々いた人間も難民になってしまうのである。その問題をジアド・ドゥエイリ監督は非常に洗練された手法で飽きさせない映画に仕立てていてお見事。最後にはさわやかな結末を用意して、自分たちは分かり合えるという可能性も示していて、次の作品も見ちゃうなあ、この監督。個人的には非常に腰の入ったボディーブローが見れる今年度ナンバーワンボディーブロー映画に認定したので、次に紹介する『きみの鳥はうたえる』でナイスボディーブローを披露した柄本佑とどつきあいをぜひお願いしたい。

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きみの鳥はうたえる

今年最強の雰囲気映画である。とかく「雰囲気映画」というとなんだかおもしろそうな雰囲気だけするクソ映画的な意味合いがあるが、そういう意味ではなく、ここで言うのは映画が醸し出す雰囲気が最高な映画のことなのである。ストーリーはたいしたことはないんだけど、だいたい雰囲気が最高ならもうその映画は最高なのである。とにかく、主人公たち3人の存在感がすごい。柄本佑は無責任さと暴力の入り混じった若者特有の強さが最高だし、染谷将太は優しいけど将来なんも考えてない若者の雰囲気よく出してるし、石橋静河は得体の知れない色気があってこの人に人生狂わされたい感が出てる。この3人だけでなく、疲れ切った萩原聖人、金の無心に来る染谷将太の母親など存在感も素晴らしい。函館の退廃感と未来の見えない感じもよく出てて、とにかく彼らを見るだけでも価値があるのではないだろうか。個人的には柄本佑のボディーブローは腰が入ってて喧嘩慣れしてる感じがすごいしたので、酒場で出会ってもちょっかい出さないように気をつけていきます。

3人とも本当に映える

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アンダー・ザ・シルバーレイク

今年一番の怪作だろう。アンドリュー・ガーフィールド演じる冴えないにーちゃんが隣人の女に一目惚れ。するのだが、女は消え、そのあとを追ううちに次々と街の不可解な面が表れてきて、というサスペンスもの。ただ、サスペンスとは言ったものの、内容としては都市伝奇映画のほうが近いか。犬殺し、街の湖の底、キリスト教バンド、スカンクの匂い、売春組織、はては新興宗教団体などいたるところに謎が振り撒かれているのだが、それらの点がすべて線として繋がるかというとそんなことは全然なく、ほとんどの要素が放置されている。なので話はあっちにいったりこっちにいったり、その間に急に主人公が暗号を解いて話が進んだり、唐突に銃撃されたりというところで、途中で「あれ?おれ今いったい何を見てるんだっけ?」と首を傾げることしきり。最後に話が一応終幕を迎えても、頭の中にはクエスチョンマークがたくさん。そもそもいろんな要素を繋げるつもりもなさそうなので、たぶんもう1回見てもわからない。それでも監督のデヴィッド・ロバート・ミッチェルはサスペンスというかホラーっぽい画面を撮るので「なんかありそう」と思うのだが、やっぱり何もないのである。ピンチョン作品を映画化した大宇宙ロサンゼルス映画『インヒアレント・ヴァイス』に近いかもしれない。とにかく絵は綺麗だし撮りたい画面も決まってる。完全に狂った脚本に整然とした画面。不思議なので一度見てみるとよいです。

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クワイエット・プレイス

アメリカで大ヒットしたらしいサイレント・モンスター映画。近未来の地球で、音を出したら得体の知れない化物に殺される、という設定。次々と人は殺されていき、残ったのは主人公家族のほかは少数。なので登場人物10人以下というエラい安く上げた映画である。さて、肝心の映画なのだが、もうこういうワンアイデアものはそのアイデアの精度が鍵。この映画においては「音を出してはいけない」というのがそれであり、その部分の整合性によって映画の価値が決まるといっても過言ではない。では、どうなのだと聞かれたら、一言でいうと「ガバガバ」である。家族間の会話は基本は手話、足音を出さないように通る砂利道には砂を撒く、食器は葉っぱなど徹底しているのに、砂利道を疾走してガチャガチャいってるのには化物は反応せず。逆に「それは内側に音こもるから化物に聞こえなくない?」っていう室内の音にも過剰反応。さらにはこんな世界なのに「騒音製造機」である子供を妊娠してしかも産んでしまっているのだ!ストーリー上やむを得ないとは言え、自粛しろ性欲!同じ音出すと殺される系の『ドント・ブリーズ』は、物音を出すと盲目の元傭兵の殺人マシーンが襲ってくるという設定だったが、こちらの方がはるかにルールがシビアでよかった。しかし、ガバガバ設定ゆえに逆に大技が使えるというのもまた然りであり、ラストの部分は絶望からの大逆転で巨大なカタルシスが襲ってくるため、アメリカ人たちが「U.S.A!U.S.A!ミッキマウス、ミッキマウス、ミッキミッキマウス!」とガッツポーズをしたのも頷けるわけなのである。もちろん映画が終わった後に「あれは少し都合がよすぎなのではないか?」「あれでいけるんなら米軍はもっと早く気づいていたのではないか?」という素朴な疑問が襲ってくるのと思うのだが、それはバドワイザーで飲み下して欲しい。アメリカ!

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今年最高のエンタメサスペンス映画!娘が行方不明になり、父親は彼女の情報を得るためにPCを開く。そして、SNSなどから情報を得て徐々に後を追っていくのだが……。すべての画面がPCのデスクトップという突飛さだが、それが逆に情報量を規定していて非常に洗練されたサスペンスになっている。また、画面上でのSNSの扱い方とかが非常にスマートで、秀逸なモキュメンタリードラマ『アメリカを荒らす者たち』でもそうだったが、デジタルネイティブな演出が非常にうまく表現されている。個人的には真っ黒な画面に謎のコードがばんばん流れてきて「よーし、いい子だ……さあそのままきてくれよ!」と謎のハッカーがキーボードをかちゃかちゃやってほしいのだが、そんな兆候はゼロで若干さびしかった。ただ、そういうデジタル周りの表現でなく、シナリオもサスペンスとして優秀だし、ギミックがなくても作品として成立する強度。娘がいなくなったときに弟から「友人は?」「誰と仲がいい?」と聞かれて答えられない父親に、ああ、いつの時代も父親はボンクラであるなあ、と感慨深い思いを抱いた。そして、その父親なのだが、どことなくスピードワゴンの井戸田潤に似ていて、いつ「ハンバーーーーーーーーーグ!!!!」と叫ぶか気が気ではなかった。根底にあるのは親子の愛、ちょっと最後はうるっときます。パーフェクト。

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ボヘミアン・ラプソディ

ともかく音楽伝記映画というのは匙加減である。バンドの内情なんかはけっこうどろどろしているので、話せること話せないこと、どこまで映像化するかしないか、という匙加減が非常に難しい。その点、この『ボヘミアン・ラプソディ』は完璧だった。バンドのスキャンダラスな部分はかなり抑えてフレディのゲイ描写も必要な分だけに絞り、バンドの成功と失敗、そして再生というストーリーにクイーンのヒット曲を惜しげもなく放り込んで素晴らしい作品に仕上げたのだ。もはやこれはヒット曲の怒涛による暴力であり、至高のライブビデオである。これが映画なのか?という疑問はあると思う。ただ、冒頭の20世紀フォックスのロゴ登場からクイーン仕様にして、最初に「Somebody To Love」が流れた瞬間から号泣してしまう女性がたくさんいるようなそんな映像が映画でなくていったいなんなんだろうか? 史実と違うから捏造だとかいう意見もあるが、『ボヘミアン・ラプソディ』はフレディという1人の男の孤独と愛の映画であり、クイーンという偉大なバンドの映画なのだ。そこに真実以外の何があるというのだろう。俺自身も後半はずっと泣いてました。クイーンを知ってる人にはもちろん、知らない人にこそオススメしたい、そんな素敵な映画です。

ブライアン・メイすぎるブライアン・メイ

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ボーダーライン ソルジャーズ・デイ

死体!ヘリ!銃!爆破!死体!ジョシュ・ブローリンと銃!死体!ヘリ!ヘリ!ベニチオ・デル・トロの死んだ目!ヘリ!銃!ヘリ!爆破!死体!ジョシュ・ブローリンと死体!ベニチオ・デル・トロの死んだ目と死体!ヘリ!手榴弾!ヘリ!ヘリ!ものすごくかっこいい銃の撃ち方!ヘリ!ヘリ!ヘリ!オススメ!

世界一かっこいい銃の撃ち方

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ハード・コア

世の中を生きづらい人間を撮っていくのが、山下敦弘監督の真骨頂である。『苦役列車』では森山未來演じる西村賢太、『オーバー・フェンス』では蒼井優演じるヒロイン、『東京都北区赤羽』の山田孝之演じる山田孝之などなど、印象的な社会不適合者が多い。今回も例に漏れず、山田孝之演じる右近の純粋ゆえの社会不適合者っぷりはかなりのものがある。原作者のいましろたかし先生も近年の作品を読んでいるとかなり右近に近いような気がしてきて、彼はいましろさんの分身なのかな、と。ただ、見てると笑えるだけでなく身につまされるのは、誰しもがそういう生きづらさを感じているからなのだろう。佐藤健演じる左近の「狂ってんのが世の中だろうが!!」ってセリフはまったくそのとおりであり、右近の「間違ってるって言って何が悪いんだ!!」もそのとおり。折り合いをつけられている左近と折り合いをつけられない右近、ファンもほとんどが右近と同じ立ち位置なのだろう。そして、これから経済的に折り合いをつけられなくなっていく人間が急速に増えてきそうなのが日本社会なのだが、それはそれで文学だよなあ、と思う。幸せであるとは必ずしも言えないけど、物語は増えそう。それでも、どこかにそういう生き方をしていける世界があると信じてるのか信じてないのかはわからないけど、そういう希望のあるラストにしたのは山下監督の良心だと思います。敗北者の映画でありすなわち俺たちの映画、面白かった!

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ヘレディタリー/継承

こえーよ!!なんなんだよ!のっけから不穏な音楽と不気味な雰囲気で静かに物語が進行していくが、途中から恐怖が画面を爆走し始めてそこからはノンストップである。一家を次々と理不尽な恐怖が襲ってきて、徐々に崩壊していく流れがお見事。道具立てもうまくて、妹が「コカッ」という舌を鳴らす音、祖母の葬儀がめっちゃカルトであること、謎のメモ帳の絵、母親のミニチュア制作仕事など様々に不安になる要素を配置している。終盤にはもうすべてが怪しくて、何か音が少しでもしたら怖いし、ちょっと変なものが置いてあったらめっちゃ怖いという、完全にアリ・アスター監督の手のひらの上で転がされてしまっているのである。演技も秀逸。息子役のアレックス・ウルフは繊細で得体のしれない運命に巻き込まれている感じがよく出てるし、娘役のミリー・シャピロはもはや出ているだけで怖いという驚異的な幼女である。しかし、やはり母アニー役トニ・コレットの恐怖演技がこの映画の肝だろう。後半の顔面崩壊っぷりがもうほんとに怖くて、怖さの大半はこの人の演技のせいなんじゃないかと思えてくる。怒涛の終盤から最後には「継承」の意味がようやく明らかになるものの、なんだかそれはあんまりピンとは来なかったけど、まあシャマラン監督よりはマシと思うことにする。ラストはともかくこの長時間恐怖を味合わせてくれたということで、今年のベスト顔芸ホラーではないだろうか。

もはや母親の顔が一番怖い

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A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー

あらまあ、傑作ではないですか。ケイシー・アフレックとルーニー・マーラが恋人(夫婦?)で、ケイシー・アフレックが不慮の事故で死んだ後にゴーストとして住んでいた部屋を見続けるという物語。布をかぶっているためにケイシー・アフレックの表情は見えない。セリフもほとんどない。ただ、ゆらゆらと部屋の中を動き回って、見つめるだけ。それだけなのだが、なぜここまで心を揺さぶられるのか。それは余白だ。すでに彼女さえ住まなくなった部屋をゴーストと一緒に見つめていると、そこかしこに彼と彼女が生きていた生活の断片が散らばっていたことに気づくのだ。その断片から色々なことを私たちは想像する。語らないことでこの物語は一段高いものになっているのだ。その余白だらけのこの映画は、それに最も相応しいラストを迎える。エンドロールを見る頃には、いい物語を読ませてもらったな、という感慨しかない。90分と短いし、オススメ。ただ、序盤がおそろしく静かなので、寝ないように注意。あと、中盤で大宇宙運命論に熱弁を振るうおっさんが出てくるのは面白かった。ルーニー・マーラとケイシー・アフレックよりもセリフがぶっちぎりで多いことは確実。なぜだ。

この中にケイシー・アフレックが入ってると思うと笑えてくる

暁に祈れ

年末に来て今年のベストオブ監獄ムエタイ映画が決まってしまった。ちなみにノミネートは『暁に祈れ』の1作品のみです。「この世の地獄」と呼ばれるドラッグ、殺人、レイプなんでもありのタイの刑務所に薬物所持で放り込まれたジョー・コール演じるビリー・ムーアがムエタイで生き残っていく実話を基にした映画。ガチの刑務所で撮影して、ガチの元囚人たちを俳優として使っているので、リアル感が段違い。もはや「世界の危険な刑務所!地獄のタイ監獄24時間ドキュメント!」みたいな様相すら呈してくる。ただし、撮影場所、俳優だけでなく、演出も非常にリアル。まず、言葉が通じない。囚人たちが何で笑い、何で怒ってるのかさっぱりわからず、突然連れてかれそうになってビリーが英語で抗弁するも全然通じないという場面が頻発して、ビリーの孤立無援感が画面を通り越してビンビンに伝わってくる。その中で殺人や揉め事が起こるのだが、全然理由がわからない。主人公のビリーが単なる言葉の通じない囚人以上ではなく、それが本当に絶望感を増幅させて非常によかった。想像してみてよ、こんなところに日本語しか喋れなくて放り込まれるの。しかし、だからこそ、後半のムエタイを通じた友情が生きてくる。たどたどしい英語と身振りでコミュニケーションをとってビリーとムエタイ仲間たちが素朴に交流していく姿はとても胸に来る。ただ、話してる内容が「二人殺して終身刑だ」とかそんなのばっかりなんだけど。わかりやすいドラマなんか必要じゃない。世界がそこにあるだけで映画はいいんだ、ということを再確認させてくれた。ちなみにビリー役のジョー・コールはばっきばきに体仕上げているので、それも見ごたえあり。たぶん、この俳優さんはこれからスターになります。

いい顔で笑うんだよな、犯罪者たち

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というわけで、長々と書いてきましたが、今年も映画界楽しかった!他にも色々と見たのだけれど、もうキリがないのでここらへんにしておきます。何か気になるものが見つかったら何より。来年も映画見よう!

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