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2023 日本一時帰国(51)

December 27, 2023 
妙国寺と妙国寺事件と新妙国寺事件

そのあと、妙国寺に向かった。両親はちょっと前に行ったらしく、妙国寺にあるソテツの伝説を聞かせたかったようだ。

「時は戦国時代、遠い南の国から運ばれてきたという妙國寺のソテツは当時大変珍しがられ、天下統一を果たした織田信長も羨望の的に。ついにその権力をもって安土城へ移植させてしまいました。ところが、そのソテツは毎夜毎夜「堺へ帰ろう」とすすり泣くのです。激怒した信長が部下に命じてソテツを切らせたところ、切り口より鮮血が流れ、大蛇のごとく悶絶。さすがの信長も気味悪がり、ソテツを妙國寺に返し届けました。痛めつけられたソテツは今にも枯れそうになり、日珖上人が読経したところ回復。ここから「蘇鉄」という名がついたと言われています。

このエピソードは、江戸後期に書かれた武勇伝「英傑三国誌伝」にも登場。織田信長を震撼させたソテツの伝説として伝えられています。現在、妙國寺の大ソテツは樹齢1100年と言われ、大小120数本の幹枝を数え周囲は17m、樹高は5m以上にも。堺では唯一つの国の天然記念物に指定されています。」

ただ、「堺事件」の責任で、土佐藩士が切腹したのもこの妙光寺だったということで、思いがけず幕末めぐりとなった。

寺は勝手に見学はできず、受付を済ませてからボランティアの人に案内してもらう。写真も基本はだめ。

寺の中に入ると、まず、「今回どうして妙国寺に参拝にきたのか。どういう話を聞きたくてか?」と質問された。あれほど父が「血を流した蘇鉄」の話を何度もしていたが、私が「土佐藩のー」と言ってしまう。

なるほど、まぁ、いろいろあるんで、順を追って話していきましょう。ということになった。

しかもボランティアが足りないのか、一人で訪れていた前の人がちょうど蘇鉄の話の直前だったらしく「あの、この一人で来てる方とご一緒していただいてもええですかねぇ」とか言われて、うちは4人だったんだが、問題ないんで「いいですよー」ということで5人で境内をまわることに。

蘇鉄の話を一通りきいたら、ボランティアの人が「じゃぁ、次は堺事件(妙国寺事件)」の話を。。といいながら、手に持ってる資料を使って話し始めた。

一人参加の人も、私たち夫婦も、母も「ふむふむ」と聞いていたんだが、ここで事件は起きた!

いきなり父が「なんで土佐藩の人、そんないきなりフランス人に対して発砲したんや?」と質問した。

で、ボランティアの人が、攘夷運動とか、開国とかの経緯をたどって説明し、「まぁ、開国したとはいえ、攘夷の思いが強い人は外国人が許せなかったんじゃないですかねぇ。」と説明した。「花燃ゆ」と「龍馬伝」をみていた私たちはその時代を考えたら「そうや、そうや」って感じだったんだが、なぜか父は「そんなん、なんか理由ないと、いきなり切りつけたりします?なんかあったんちゃうの?」と引き下がらない(笑)

(どうした、父よ)とみんな思っていたんだが、結局父が聞きたかったのは「なんかフランス人が当時の若い子とかに手をだしたんちゃうの」ということらしく、このエピソードをどこかで聞いたみたいで、前日に私たちにその話をしていたからだった。

「諸説ありますんで」とボランティアの人に言われて、あまり納得していない(前回のボランティアの人と言ってることが違うから)感じで、11人の墓地を境内からみた。

さらにすごいのが、境内の中にある資料館には、土佐十一烈士の遺品を含むいろいろな資料が残っており、なかなか珍しいものが見られた。髪の毛はちょっとびっくり。。もちろん写真撮影は禁止。

お墓は近づけないのだが、柵の外からなんとか。。

妙国寺を正門から。

壁に白い5本線があるのは、格式が一番高い寺の証拠らしい(宗派は問わず、5本線は一番格式が高いらしい)。

幕末の妙国寺事件は、土佐藩の11人の烈士の話だが、今回、我が家にも父がなぜかボランティアに意見するという、新・妙国寺事件が勃発した日になった。

そのあと、母が、私たち夫婦にだけ「あれ、前日ちょっと知ったかして、はずかしかったんやで」と言ってきて、うちらも同じこと思っていたので、さらに爆笑した。

(続く)

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