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【小品】『フルメタル・ジャケット』で監査人は鍛えなおされる

闘魂だ。今日は一言で言うとただの映画の紹介だ。なぜこんなにボリュームが増えてしまったのかおれにもサッパリ理解できないが、逆に暇つぶしにはなるだろう。修了考査とかを控えている奴は、すぐさまブラウザバックして答練の写経に戻れ。


■ はじめに

・生ぬる・・・良い時代になった

会計士業界は、長らく徒弟制度時代の名残を引きずっており、体育会系的上意下達ヒエラルキーのパワーにより、軟弱な受験生を戦える監査人へと作り変えてきた。などと言われている。あくまでも聞いた話だ。おれは関係ない。

しかしながら、昨今、そうしたいわゆる伝統的「かわいがり」は、「POWERハラスメント」とポリティカルにコレクトなアトモスフィアをまとった用語で言い換えられ、少なくともまともな監査法人などでは固く禁じられている、ということになっているらしい。

おもえば昔は、監査部屋にも投擲可能な武器がいっぱいあった・・・灰皿、六法、デカめの二穴パンチ・・・そして何より、即座に破り捨てる事により、精神属性のダイレクトダメージを与えられる神秘のスクロール=「調書」という素晴らしいマジックアイテムが与えられていた。断っておくが、もちろん、おれはそうしたバイオレンスが支配する野蛮な時代のことは良く知らないし、少なくとも後輩に対しては、そのような蛮行を働いたことを記憶していない。ただのウワサだ。

昨今では、人類が文化的に洗練されてきた事もあるし、威力の低い電卓か高価なパソコンぐらいしか手元に物理ウェポンが無いし、そもそも紙があんまりないため、問答無用で新人の根性を叩き直す、という事は事実上不可能になっているらしい。武器がないからといって流石にカラテを行使するわけにはいけない。まあ、調書を破るのもダメだが・・・

そうした業界の浄化に向けた断固とした再教育と徹底した刀狩が行われた結果、もしかしたら、一生懸命作った調書データがいつの間にか電子の海にDeleteされているといったように、「かわいがり」もDXが進んでいるとか、そういう、より恐ろしいことになっているのかも知れないとも想像するが、おれはよく知らないから現役のやつに聞いてほしい。

しかし、人間の本質というのは、時代の変化ほどのスピードでは変わらないはず。「キレてシバく」みたいなムーブがそう簡単に世の中から消えてなくなるとは思えないのだが・・・まあ、当事者でもない者が余計な想像をするのはよそう。

ともかく、そもそも昨今の新人はおとなしく勤勉なタイプが多いとも聞いているので、そんな古式ゆかしいメソッドに頼る必要は無くなった、ということもあるのかも知れない。一言で言うと、時代だ。便利な言葉だな。

ただ、そうはいっても、仕事を続けていると、一度や二度、何らかの方法で新人の根性を叩きなお・・・教育せねばならないと感じるシチュエーションもあるはずだ。もしくは、自ら過酷な環境に身を投じ、「圧倒的成長」を遂げたい、というタイプの有望な新人もたまにはいるかもしれない。

昨今では、とにかく気合と離職率だけはスゴイと評判だったナントカ通信もコンプライアンスを無視できなくなったというし、どうすれば気合の入ったスタッフを育成できるか、というのは会計士ギョーカイだけにとどまらない深刻な問題に違いない。と、いまいち時代についていけないおれは思うわけである。

・気合の入った組織とは

ちなみに、おれはかつてナントカ通信系と思われる・・・そうとしか思えなかった・・・企業の仕事を一瞬だけしたことがあるのだが、

ある日、隣の会議室で、

ッバアァァンッ!(扉の開く音)
「オ゛ォーイ!てめえ今日(アポ)入ってんのかァァッ!」
「ゾスッ!入ってませんッ!」
「ンアア゛?ンだとォ?どぉーすんダァ?さっき〇件やるッつったよなァ?ンアァ゛?」
「ヤリマスッ!」
「どぉーやんだよォ?アア゛?やってみろよォ!」
「ゾス!(ロールプレイが始まる)」
「そんなんでとれンのかァ!」
「ッはじめ!ましてぇ!(ボリュームMAXのRPが始まる)」
「ヨォシ。やってろォ!」
ッバアァァンッ!(誰かが去っていく気配)

「ワタクシ!〇〇のッ・・・と申しますッ!本日はッ!ご提案の機会をッ!・・・」(全力で繰り返し)

というような出来事があり、主に「観察」により瞬く間に、事業計画が合理的に達成可能であるとの強力な監査証拠を入手できたことがある。(すんません、売上げの予算なんスけど・・・「やらせます」・・・え?あ、えーとでs「や・ら・せ・ます!」・・・アッ、ハイ・・・)

本当に達成される事業計画とはこういうものだ。腰抜けのインテリがハーブティでも飲みながら鼻歌交じりに作った、そびえたつKUSOのようなポンチ絵計画など、情け容赦ないビジネスの戦場=地獄では、借りてきたNEKOほども役に立たない。会社が実際どんな調子で運営されていて、どんなやつらが最前線で数字を生み出しているか、それを体感せねば到底監査意見など表明できない。数字を背負う営業マンは過酷な戦場を生き延びた歴戦の勇士のような顔をしていなければならないのだ。

ひとつだけまじめに言うと、そういう会社は、時たまとんでもない組織力を発揮して、とんでもない粉飾をすることがある。そうなると必然的におまえは、引き下がるという概念をとうに忘れた目がバッキバキの幹部たちや、忠誠心だけが服を着て歩いているようなCFOなどに囲まれた、視線だけで契約書にハンコを押させると評判の尋常ではないオーラを放つ社長とかと対峙しないといけなくなるから、それだけは用心しろ。

そろそろ話を戻そう。ともかく今はもうそういう時代じゃない。見込みのある新人を戦える監査人に鍛え上げるためには、時代に合わせた、より洗練された手法を用いる必要がある。

つまり・・・そう、動画コンテンツだ!これは間違いなくNOW今風な手法だと言って良いだろう。

■ 『フルメタル・ジャケット』でライバルに差をつけろ

・作品の概要

新人を一発で洗脳したい。あるいは、監査法人の生ぬるいヒューマンな研修制度などでは満足できず、同期を置き去りにして圧倒的に勝利したい。そんなおまえにうってつけの映像作品がある。

1987年に製作された、スタンリー・キューブリック監督作品『フルメタル・ジャケット』だ。海兵隊員としてベトナム戦争に行く若者の物語である。有名な作品であるし、これまでもさんざん評価されてきたものなので、おれのような素人が改めて語ることは特にないが、世代によってはあまりなじみがないかも知れないから、今日は一応ざっと中身を紹介しておこう。詳しいことはAIにでも聞け。

映画は大きく前半「ブート・キャンプ」パートと、後半「ホント、戦争は地獄だぜ!」パートに分けることが出来る。特に有名なのは、前半、R・リー・アーメイ演じる「ハートマン軍曹」による過酷な教育シーンだ。

”Goodbye,my sweetheart, Hello Vietnam”

映画は、Johnny Wright の ”Hello Vietnam” をバックに、新兵たちが頭を丸刈りにされるシーンから始まる。のどかさをも感じさせるスチールギターのトラックに乗せて歌われるREALな歌詞。そして、無表情でバリカンを入れられる新兵たち。「果てしなく続く戦争・・・すべてを失う戦闘・・・」憂鬱だが、しかし不思議とどこかユーモラスさも感じさせる不穏なオープニング。

この映画は精神に来るタイプのやつ・・・おれは、開幕シーケンスを見た瞬間、鋼のメンタルなくして、この奇妙で悲惨な映画を完走することは到底不可能であると覚悟を決めた。

・前半パート

場面が転換すると早速有名な場面が始まる。ブートキャンプの宿舎、2段ベッドの前に整列する若者たち・・・丸刈りにされたばかりの新兵だ・・・。その前を、キャンペーンハットを被り、品のない激しい言葉を発しながら闊歩する教官と思しき人物・・・そう、彼がハートマン軍曹。新兵すなわち地球で最下等の生命体を鍛え上げ、自分の腹ワタを食う覇気に満ちた、不死身の男たちであるアメリカ海兵隊の一員に育て上げるのが彼の仕事だ。

まずこのシーンで、視聴者は、人生で一度も聞いたことがないようなクリエイティブな罵倒の数々をいきなり浴びせられる。現実に鬼軍曹に年がら年中罵倒されるのは相当きついと思うが、このシーンのエンタメ性は明らかに高い。つまり、めちゃめちゃ面白い。ハートマン軍曹は、無茶苦茶なことを激マジな顔・・・そう、戦争の顔だ・・・でやたら激しくまくしたてるので、おれは一瞬面くらったが、その異常なエンタメ力のせいか、なぜだか心の内からエネルギーのようなものがこみあげてくるのを感じた。

自分から首を差し出して首を締めさせる斬新な体罰、カギをかけ忘れた小型トランクが招く大惨事・・・隠されたドーナツ・・・そして、石鹸を武器にしたいじめ・・・殺人マシーンを養成するための訓練生活を通じて、少しずつ若者の人間性にはひびが入っていく。その姿がやたらにエンタメ性高く描かれる。

・後半パート

後半はよりシリアスなパートだ。訓練を生き延び、成長した主人公「ジョーカー」はベトナムに赴き、報道部員として厳しい前線を取材する。過酷な環境の中で兵士たちが垣間見せる日常の姿、死と隣り合わせの戦場で、兵士たちは軽口を叩き、そして唐突に死んでいく。

作品は戦争を描くことを通じて、1人の人間の中に人間性と非人間性が同居するさまを描いて見せる。その境界は曖昧で、踏み越えてしまったことに気付くことができないし、誰も教えてはくれない。

明らかに一線を踏み越えてしまったバッキバキの兵士がいる一方で、主人公である「ジョーカー」は、ヘルメットには「BORN TO KILL」の文字を入れると同時に、胸にはピースサインのバッジをつけた姿で描かれる。人殺しになる訓練を受けたが、人殺しになりきれない、内にそうした矛盾を抱えてる。つまり、こいつはマシーンではなく人間だ。

そんな「ジョーカー」の小隊はある日、偵察任務の中で道を間違え、狙撃兵の待ち受ける廃墟の街へ迷い込む・・・。

・ナゾのパワーとトラウマを与える名作

かつて、始めて作品を鑑賞したおれは直ちに確信した、この映画には、新人スタッフが監査法人で生き残り、いっぱしの会計士に成長するための全てが詰まっている・・・おまえらがバックグラウンド再生しているへなちょこシーピーイー動画などとはモノが違う。おれは感動し、すぐさま後輩たちにDVDを支給した。

DVDを観たやつはもれなく最低一回は気持ちが沈んだが、程なくして立ち直り、事務所内でも稀に見る屈強なスタッフ軍団が誕生することとなった。彼らは今でも会計・監査業界の最前線で戦っている。

そういう実績があるので、今回はおれの話を30%ぐらいは信じていい。その代わり、おれのあだ名が「軍曹殿」になるという些細な問題が生じたが、気合の入ったスタッフを育成するためには必要な犠牲であった、と今は納得している。ちなみに、おれを「軍曹殿」と呼んだ後輩は、今でもツラい状況に陥ると、どこからか・・・ミッキーマウスマーチ(*1)が聴こえてくるという。

■ 相反するものの狭間で

監査という仕事は、数多くの相反するものを扱う。信頼関係と懐疑心、品質と効率、顧客サービスと社会的使命、合理化と働きがい、正確な説明とわかりやすい説明、人材確保とリストラ、組織の目的と個人の幸せ…etc。こうしたものは、時に両立し、時には両立しない。おまえはPROとしてその解決を求められ、最前線で苦しむこともあるだろう。時には、家族のように接してきた顧客を実質的に裁くようなことすら必要となる。

そうした相反するものの狭間で、葛藤を抱えながら生き抜くのが会計士の在り方である。そしてこれは、何も監査業界に限ったことではない。矛盾を抱えながらもせめて狭間に立ち続けようとすることが・・・LIFEすなわち人生だとおれは思う。

我々の日常に、差し迫った命の危機はない。しかし、いきなり銃弾に倒れるようなことはなくても、心をすり減らす出来事というのは多かれ少なかれあるものだ。たちの悪いブラックジョークのような、もはや笑うしかないような事もある。平坦な戦場(*2)。それがおれたちのREALだ。そこで生き延びるための心構え=真のタフネスについておまえは考える必要がある。

たとえ組織が、おまえを冷酷な監査マシーンに改造しようとしても、非情な現実ががおまえの人間性を消し去ろうとしても、おまえは人間でいられるだろうか。名作映画から、そうした問いかけを受けることは、退屈な研修なんかよりずっと重要だ。おれはそう確信している。


*1 炎に包まれる破壊された街=地獄を、ミッキーマウスマーチの替え歌を歌いながら行進する兵士たち。映画のラストを飾る名シーンである。

*2 岡崎京子『リバーズ・エッジ』の中で、WILLIAM GIBSON『THE BELOVED(VOICES FOR THREE HEADS)』の一節、”HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD ”にあてられた日本語訳。ちなみに、何もかも持っていて、何も持っていない90年代の若者の空気みたいなものを描いた名作漫画である。

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