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(小品)くだらないもめごとを題材にコミュニケーションを考える話

闘魂だ。おれは今日は若干疲れたので、久々にひと筆書きをしようと思う。ひと筆書きとは文章を頭から思いつくままに書き始めて、そのまま原稿をアップする書き方だ。練って書いたものとは多少テイストが異なるかも知れないし、下手くそに見えるかもしれないし、話がとっ散らかって見えるかもしれないが、書いた本人にとっては、あとから読み返すと自分の実力がよくわかるので、試みとしては面白いものだとたまに思っている。あと、早く書きあがる。(誤字は大体アップしてから読み直して直す事が多い)

おれは常々、コミュニケーションについて書きたいと思っていた。しかし、整理して書こうとすると、コミュニケーションとは何ぞや、みたいなこととか、先行する知見を参照したりとか、もはやこれ研究じゃね?みたいになってしまうことにひるんで、ずっとどういうスタイルが良いのかと悩んでいたところだ。結論、小品を沢山組み合わせたら、自分なりの考え方になる、みたいなやり方がおれに出来る精一杯なのではないかと思ったわけだ。

今日はそういうわけで、職場などでよくある、スゴイどうでもいいことで発生するもめごとをテーマに、コミュニケーションで発生しがちな落とし穴のようなものが、何となく伝わるものが出来ればいいなと思っている。さっきも言った通り、ここを書いている時点で、結論はまだ書いていないので、果たして何かしら知見が得られるのか、はたまた、どういうオチになるのか、おれもドキドキしながらキーボードを豪打しているところだ。

そうだな、そういうわけのわからないコンフリクトめいたものを仮に「くだらないもめごと」と名づけることにしよう。

■ くだらないもめごとの例

どんな職場であっても(おれの良く知っているのは監査とかの現場だが)、タイトな時には、よくわからないことでキレ出すやつというのが出てくる。例えば、成果物の出来不出来とかではなく、返事が悪いとか、態度がなってないとか、なんかそういう類のことだ。周りの人間としては、そんなんもっと暇なときに注意しろや、みたいに思うやつである。他にも、メールの文面が気に食わないとか、すぐに折り返しをかけてこないとか、そういうパターンもある。

そういうシチュエーションでも、チームや組織の目標・ゴールは、例えば成果物を明日までに作る、ということだったり、何らかの結論を出して、次のアクションに移る、だったりとか、たいていの場合、仕事に対する姿勢がどうとかいうこととは、短期的にはあまり関係がないものである事が多い。長期的な人材育成とかとは別の話だ。

にもかかわらず、深夜にショーモナイことでキレるやつとかが現実に存在する。おれも何回かやったことがある。今ここでバトっても誰も得しない、そんな事案がくだらないもめごとである。

往々にして、そういう事案では、ごく些細な事とか、全体からすると重要性が高くないことがやり玉にあげられ、誰かが攻撃されることになるわけだが、攻撃された方も、「何で今それ言うの?」とか「え、そこなの?」となるので、当然ながら逆切れリスクは相当高い。それで被攻撃者側が、「今はそんなことよりゴールはこれでしょ」式の正論で反撃したりすると、事態はより深刻化し、全員が爆発してガスが抜けきるまで炎上する、みたいなことになる。時計を見るともう終電はとっくに終わっている、とかそういう悲惨な事態になる。

身内でもめてる分にはまだかわいいものだし、時にはそういう「祭り」のような、人々のエネルギーを発散させる催しも、組織には必要かもしれないので、それはそれで、必要なコミュニケーションと考えることもできるだろう。しかし、これが、業者とクライアントのような関係となってくると話がややこしくなる。そこで、突然事態の収拾を図らなければならなくなるのが、おれのような、顧問業の人間である。

顧問とは何か、それはわからん。しかしそこには、単純な業務委託とは異なる「よりそい」のようなものがある。おれはどんな相談でも受ける。わからないものはわからない。だが、クライアントは、アイツに相談すりゃ、ちょっとぐらい良いことあるんじゃないかと思っているし、おれも商売のために多少そういう演出をしている。つまり、くだらないもめごとが発生した場合、おれは張り切って働かなければならなくなるわけだ。いうまでもないが、どこまで介入するかは人による。おれは時たま先人たちに、きみの真面目さは買うが、もうすこしいい加減さを身に着けたほうが良いよ、とアドヴァイスされることがあるから、多少踏み込み過ぎるタイプではあるのだろうと思っている。

■ おれのくだらないもめごとへの対処法

まずおれが基本としているのは、なぜだかまったくわからないが、そういう事態を招いたのはおれが至らなかったからだというふりをして、頭を下げ始める、というパフォーマンスだ。そうパフォーマンスだ。おれは悪くないと心の底から信じているから、それができる。評価として正しいかどうかは知らん。本当におれが悪いケースだったら、ともかくいったん頭を下げるのは最重要なので、下げ損ということは案外ほとんど無いはずだ。とにかく、事態の前進を図ることが第一目標だし、正直炎上してしまったものは、もはや誰が悪いとかそういうことは大した問題ではないから、なんかおれが悪いんじゃないか風にアプローチする。例えば、キレてるやつに電話して、もしもしの前に「大変申し訳ありません」でオープンするような行動をとる。

そうするとどうなるかというと、流石にキレてるやつも、あんまり落ち度の無いやつ(多少はあってもいいが、少なくともトリガーを引いていない点がポイントだ)が虚を突いて謝罪で攻撃してくると、「いや、闘魂さんが悪いとは思っていないんですがね」とまず、おれを味方ないしは、少なくとも標的ではないやつ、というポジションに配置してくる。そう、当のキレた本人も、ぶつくさいいながらも、事態の収拾を図らねばならぬという点は、うすうす理解しているので、たとえそれが信用ならぬおれの垂らしたクモの糸であっても、いったんはそれを掴もうとしてくれるわけである。

次に、状況を整理する。まずは、発生した問題が何か、現時点で辿り着いていないと行けないゴールは何か、という点を明らかにする。この際にも、謝罪や言い訳(使う場合は「言い訳」と明言したほうが良い)をしているような体をとるという小技を効かせると良い。そして、こうなってしまったのは残念だが、それはどうしようもないのでいったん置いとくとして、取り敢えずこれやんないとマズいっすよね、という事をやんわりと説き、いったんの目標をコミットさせる。相手は、何かわからんがおれが協力的なスタンスである、ということを認識するだろう。いや、そうさせるのだ。

キレ側のケアが終了したら、「それ僕から話してみますね」と断ったうえで、キレられ側にアプローチする。その際も、キホンはワビだ。「すっごい忙しいところごめんねー、今話せますー?」そういう感じで行く。当然だが、たいていの場合、理不尽にキレられたとして心中穏やかではない状態なので、トーンを把握しながら、こちらがどういう強度でアタって行くべきかを調整しなければならない。場合によっては、一回キレさせてガス抜きさせると言ったことも必要になってくる。流れ弾を食らわないように姿勢を低めて行け。

だがここで忘れては行けないのは、曲がりなりにもキレられているほうにはたいていの場合、なんらかの落ち度があるという事だ。ただし、それはキレ側が直接指摘している事項とは異なる行動によるストレスを原因とするものであったりもするので、何を改善する必要があるかというポイントを確認したりする際は慎重である必要がある。たいていの場合は、何をすれば事態が前に進むか、という話から始めて、キレられ側がとるべきアクションを決めたり方向づけたりすることのほうが重要で、原因に遡ってアレはやめろ云々みたいなのはあまり役に立たない事が多い。

そう、会社みたいな組織内におけるコミュニケーションというのは、組織が必要とする成果を達成するために、1人1人がきちんと動くために行うものであって、誰が何を言ったとかそういうことは、極論オプションに過ぎないとおれは考える。誰かが、何かを、今からやる、その状況を作り出すために人に影響力を行使し、チームとして成果を獲得するために行うのがコミュニケーションであり、うまいこと説明したかどうか、正しく説明したかどうか、ということは、案外二の次にしても大丈夫だろう、というのがおれの考え方だ。

まともなビジネスマンであれば、誰だって怒られは回避したいものだ。そういうトラブルが発生する時というのは、キレられ側にも、何かしら事情があって、対応が遅れたりおざなりになったりになってしまった、というようなことも往々にしてある。そういう場合に必要なのはまず配慮だ。しかし、ここで引くべきかどうかはチームのゴールに関わってくる話なので、安易に後退しては行けない。今時間が無いと言われても、そこを曲げてナントカ…と頼み込んだり、いったんここまでやればいいのではないかとタスクを分解してみたり、様々な小技をくしして、どうにかこうにか、駒をひとつでも進めてもらう必要がある。重要な一手が引き出せたのなら、些末なことは譲歩して、必要に応じて自分でフォローすれば良いだろう。

そしておれは再び、キレ側にコンタクトをとる。「実は、事態はそう複雑ではなくてですね」ここに至っては、そういうオープンの仕方でも行ける可能性が高い。問題はこういう原因で発生していたようだ、その点については、このように考え、オーダーを申し訳ないが少し工夫させてもらったものの、少なくともこのようなアクションが期待できる。その成果は何で、これには少し時間を要するが、その次にはこういう手が打てる。いつもそんなにうまく整理できるとは限らないが、展望を示した感がある程度あれば、物事は進み始めるものだ。トップラインの成長があらゆる組織の問題を解決する的なコトワザと同じく、成果への前進が見えてくれば、くだらないもめごとのようなものはだんだんうやむやになってくる。

最終的に事態が動き出したと見たら、おれは双方に対して、みんな最大限に限られたリソースの中で努力しており、誰も悪くはないのだ、と言って回るわけである。それが正しいかどうかはどうでもいい。そういうムードというのは炎上案件のよくある〆かたのひとつであり、それが提示されることが終わりの合図として重要なのだ。おれたちの冒険はこれからだ。

■ くだらないもめごとから見えてくること

こうしたもめごとの解決もしくは沈静化で重要なことは、往々にしてキレ側は、言葉通りの内容でキレてはいないし、なんなら標的側もそれほど悪いわけではないことも多い、ということを踏まえておくことだ。それはキレている本人も正しく認識しているとは限らないので注意が必要だ。傾聴は重要なスキルではあるが、誰かの言う事を言葉通り受け取ることは必ずしも正しくない。表に出てきている言葉の背後に隠れているストレスの原因みたいなものを探る必要があるし、結局それが、たいていの場合は目指す成果に辿り着けないかもしれないみたいな不安だったりするという事に注意を払わなければならない。

ここまで4600字、2時間。移動・食事等で一時中断。何が言いたいかというとテンションが落ちたり、言いたいことが変わっている可能性がある。

人間は言葉で思考し、言葉でコミュニケーションの多くを行うものと思われるが、自分が脳内で思考する時の言葉や、口から出た言葉、書きつけた文字が、本当に自分の内心を表しているかどうかというと、必ずしもそうではないように思う。人の言葉を受け止めて、その言わんとするところを推測することは、対話の基本ではあるが、本人が言わんとしていた事が本人が本当に求めていることとは限らない。これがコミュニケーションの難しいところだと思う。

仕事のような場面と家庭内のような場面とでは、伝達しようとする内容にそもそも異なる部分があるだろう。仕事では、組織のミッションを遂行するために、構成員が役割を理解したり、そもそもミッションの内容を理解したりする。家庭でも、やるべきことは一定程度あるが、もっと何気ない、感情を伝達するようなコミュニケーションの割合が多くなるだろう。

後者が特に厄介で、これは家庭よりもパブリック度合いが高い場でのコミュニケーションにおいても、一定程度存在するものであり、それが多くのストレスとか不安とかを原因とするくだらないもめごとの火種になっていることがあるように思う。ひどいケースだとタスクが集中していっぱいいっぱいである、という事を示すためだけに、誰かが攻撃される、ということも起こる。パブリックな場と言っても、結局そこにいるのは人間というやっかいな生き物であり、誰も自分を100%社会人としてまっとうにコントロールできているわけではない。

そういうことを考えていくと、コミュニケーションを通じて、他人の内心に到達したり、自分の内心を過不足なく伝達し、理解してもらうということは、相当な難業なのではないか、という疑問に辿り着く。だからおれは、その辺はいったん置いておくとして、次に各人がとるべきアクションは何かという点に注意を集めることが、よくわからないもめごとを収めるとか、謎の停滞感みたいなものを打破するとか、そういう場面で必要な事であり、人々に望ましい方向を向かせ、一歩足を出させるために、どうコミュニケーションすべきか、つまり、どういう言葉を選択し、どういうトーンで喋り、自分がどういうポジションをとるべきか、を考えるべきだ、と思うわけだ。

そういう、「働きかけ」の相互関係(うまく言えているかどうかはわからないが)をコミュニケーションであると捉えることが重要で、必ずしも目に見えている、耳に聞こえている情報に、必要な情報がすべて含まれているとは限らない、と理解するところがコミュニケーションの第一歩だとおれは考える。

自分に投げかけられた言葉や、他人が誰かに投げかけた言葉が、結局は、何をして欲しいということなのか、それを洞察するためには、言葉そのものだけではなく、シチュエーションや文脈から、言葉を発した者が何をしたいか、何に困っているかを推測し、表現された言葉と齟齬がある場合には、「本当はこういうところが問題なんじゃないですか?」「目的からすると、私がこう動けば、取り敢えずOKなのでは?」みたいな問いかけをしながら、そのギャップを埋めて行くことが重要なんじゃないかと思う。

その問いかけの打率や精度を高めることができれば、相談すると解決策が見えてくる人、というように評価されやすくなる。また、そういうことを通じて、適切な行動を選択できる確率を高めることができれば、問題が解決できる人、と評価されるようになるだろう。

流麗な文章をかけるとか、言葉巧みに人を説得できるとかそういう能力は、そうした大きな問題解決に向けた相互作用を円滑にするためのTIPSに過ぎないのであり、それに目を奪われ過ぎることは良くないことだと思う。そういうような視点から俯瞰気味にコミュニケーションについて考えてみる試みを、なんか苦手意識があるなあという人にはいっぺん試してもらいたいと思う。

なお、おれの経験上、ぼくはコミュニケーションに自信があります、という人は、世の中にはそんなに多くはいない。おれもそうだが、失敗とか不安とかに気付いて、それをなぜだろうと考え、だましだまし経験を積み上げながら、自分なりの法則を見つけていく事でしかないように思う。

どうだろう、こんな感じで話はまとまっただろうか。今回は段落を跨いだらふり返らないルールで書いている。今から一応公開するに足るかどうか読み返してみる。これが公開されたとしたら、幾分かは普段おれが考えている事が含まれているという事だろう。この手の話は、当たり前だがキャラとかポジションとかいろんな要素が絡むので、自分に当てはまることと、全然違うなあという部分と、どちらがあっても良いと思う。何か、ヒントになれば幸いだ。

(約1700字追加、約30分)


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