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それってさあ、恋だよ。ーー秋の月、風の夜(42)

「ごめん、わからへん」四郎はうろうろした声を出す。
高橋は何度か一緒に描いてみた図を、もう一度描く。「読者がいる。お客さんが集う楽しいコミュニティがある。ここを膨らませていくことが、ドラッカーのいう“顧客の創造”、ダン・ケネディのいう“群れとの絆”だった」万年筆が、すっすっとプレイヤー(関係者群)を書く。

「楷由社(かいゆうしゃ)の雑誌と、新刊と、単行本と、あらゆるコンテンツの先の読者視聴者が、有馬先生と僕らの、目の前にこんなふうに広がっている。僕らは有馬ファンを、僕らなりのやりかたでいっそう膨らませてる。有馬先生は有馬ファンに喜んで還元してくれるだろ。わかる?」
「あ、そういう意味?ポイントそこ?」四郎はしかし、顔色がすぐれない。

奈々瀬はそれを追いかけてみた。「ええと、四郎いま、いやな気分でしょ。どんな感じか教えて」
「俺、ちょっと息できん」
「それって、自分の欠陥を人にさらしたかもしれないって失敗感だと思うのね。それ、もともと、欠陥じゃないってわかる?」

「いやこれ、すっごい欠陥」

「今特性がすごーく偏ってたとしても、欠陥ってレッテル貼りしちゃったら、自分に失望して怒ってすねての繰り返しになっちゃうかも。エネルギーがぜんぶ取られちゃう。だからそう感じる構えの根本をなくしておくのがよさそう。

人間って有機体で、脳のインデックスづくりと発達や発展の特性は、何と何を神経でつないでやりとりするかって個別性がとても高いから、工業製品みたいに“自分に欠陥がある””自分だけ不合格”みたいに感じる捉え方や枠組みを使うと、すごく自分自身を運用しづらい。
生きづらい方へ捉え方をまげちゃうわけ。
構えの根っこまでたどって、なくして大丈夫」

「うん……」四郎はあまり得心していない表情で、あいまいにうなずいた。

奈々瀬はつづけた。
「今のは、高橋さんはお仕事で5年以上やってるなかの話でしょ。四郎はそれに、今年はじめて触れたでしょ。
私は第三者だから、純粋に聞いてて面白いのね。四郎、減点法でダメ出しされるって無意識の前提ができてるから、それは捨てて、高橋さんたちと一緒に作っていくゲームみたいに、おもしろがる前提に切りかえてみたらどうかな」

(面白いって感覚が、わかんないだろうけど、でも)奈々瀬はあえて言ってみる。

「そうなんや……ほんでも、俺これ前にも聞いとる。いっぺんで覚えれやへなんだ」
「そっか、仕事できなければ失格って捉え方に、脅かされちゃうのね。時間どおりにおさめたいし、高い基準でやりたいのね。だから余計楽しめないし、不合格感や欠陥感がつのるのね。

いちどで暗記じゃないし、何回か整理していいものですよね?高橋さん」

高橋は四郎の横顔を見ながら、ゆっくり答えた。
「そうだね。関係性の広がりを感じられればいいかな。そこに自分がどう関わるかは、強みや特性によるよ。

だいたい四郎、紙の中でしか生きられないほど、人との関わりは禁じられてたし苦痛だったんだから、コミュニティ自体がつらい。覚えられる方がどうかしてる」
「……っていうものなんだって。大丈夫みたい。どんな感じ?」

高橋は、やりとりをみていた。まるで奈々瀬がお姉さんで、四郎が弟のようだ。算数かなにかの家庭教師のような奈々瀬と、小学生のような四郎。

「まってね、四郎、まだそのまま残ってる。……どうしたの?」
「え……」
「前は追いかけて、消せたのに」
「……うん……」

「それさあ、恋だよ」

高橋のひとことに、四郎は「うわーっ……」と頭をかかえて、食卓につっぷした。「俺あかん、ぼけっとしてまって、いろいろできやへん……あかん……」
ああ、完全にアタマが春……というより、全身が春……。

「奈々ちゃん、ここまで何も手につかない感じに、くにゃくにゃしちゃったらさあ、当分戻ってこれないから、僕らで手を貸してやろう。完全にゆるんでる」
「ゆるんで……」
四郎にそんなコトバが当てられるのが、そもそもふしぎでしょうがない。

「たぶんさあ、四郎がここまでゆるんだのって、生まれてはじめてなんだろうなあ。恋ってオソロシイもんだな。僕も四郎のこと、とやかく言えないけど」
涙目で謝っていた状況から回復してのけた高橋は、奈々瀬の目にいつもの悪いオトナ風味で映る。「奈々ちゃん、男2人を骨抜きにする女子高生って、最高だね」
そんなことを言いながら口の端で笑う高橋に、こんどは奈々瀬が、かっと頬を染めた。



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マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!