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アレデライフ!(1)

1.わたしがきた

廃寺、、、。

あたりは、草ぼうぼう。
虫よけスプレーをものともせずに、刺してくる虫だらけ。

人の住んでいない寺。  ふだんの暮らしなら、近づいてみる気にはならない。

誰かが、「秘密基地」にした、あとがある。でもそれも、十年または二十年も前のようだ。
「誰か」達がそのとき子供で、「誰か」達がそのときクスクス笑いの秘密を持ち、いまごろはオジサンやオバサンになっているのだろう。
大切にしまわれた段ボール箱の蓋がぼろぼろにやぶけて、ビックリマンチョコの包み紙がいっぱいはみだしていた。
今はそういう「他人の思い出」からは、距離を取りたい気分。

足も腕もかゆい。
私は、だらだら流れる汗の中で寝袋にもぐりこみ、寝袋から首だけ出した姿で腰をおろした。
さらに頬にせせってくる虫を払って、養蜂のときかぶる帽子みたいなネットをすっぽりかぶる。寝袋とネットの内側に一匹も入り込んでいないか、息をひそめて確認する。

暑さ寒さ。
水回り。
湿気・カビ・コケ・虫害をなんとかする。
トイレ、ふろ、台所をなんとかする。
ケガの心配なく歩ける床をみつける。
そういった基礎的なトコロをなんとかしないと、ここはどうにもならないレベル。


50年ほど無人だったらしい廃寺。

今のわたしには、寝袋とペットボトルとハンドタオルぐらいしかない。
埋め込みのバイオフィードバックギアは、私の世代だと耳の軟骨か手首か鎖骨のくぼみにプチっと2ミリ大で入れるタイプが大多数で、私の場合は右の鎖骨のくぼみ。
GPS機能がついているので、ここへくるとき取り出して捨ててしまおうかと一瞬思った。けど、ないほうがデメリットが大きいので、結局つけてきた。

寺の名前は、立派だった。
「光明寺」

りっぱ、というのか?
あかるい、といえばいいのだろうか?
草ぼうぼうの屋根がへこんでおちていた。
「光明寺」は、湿った暗さに満ちていた。


わたしは、ためいきをついた。
おおきく、おおきく、からだからぜんぶの空気を追い出すように。
なんどか、ためいきをついた。

涙が出てこない日々に、からだの酸素という酸素を吐き切るためいき。これを、わざわざくりかえす。
それが、出てこない涙の かわり になるような、気が……する。

骨伝導再生で、おとのふるえをつけてみる。寝袋の中で汗まみれになってる自分とせせってくる虫の不快感をまぎらわせたい。
皮膚回りだけのエアー・コンディショナーをつければマシなのだけれど、今の持ち物ではバッテリーが飛んでしまって、つけておけない。音楽なら消費電力が少なくてすむ。
明日、太陽がのぼってたやすく移動できる時刻になったら、電源まわりをなんとかしないと快適にならない。


ヨーヨー・マの演奏する「無伴奏チェロ」の出だしのところだけを連続リピート。

お母さんの遺品だから、だから好きだというだけ。
冒頭部分しか聞いていられない。6―7分きくと、飽きてしまう。
飽きる手前までをリピート再生。

おもむろにはじまる、低い、幅のあるまろやかな弦音が、
あたりの空気を見えない布で撫でるように落ちつけていく。

それがすきだ。

空気のふるえる音に、思い出のように浸かる。



2.住所と保護者をでっちあげようとしています

薄暮をとおりこして、もうとっぷり日が暮れた。「無伴奏チェロ」なんか骨伝導再生してる場合ではなかった。ここには、戸締りというものがないのだ。

私は目を開いた。立った。

寝袋でひとばん寝る前に、トイレ。
トイレだったものの残骸から、さらに50歩遠くに歩く。とりあえず仮のトイレをそこに決める。

食べられる側の弱い哺乳類だったら、排尿排便は自分の巣穴から遠く離れていないと危ない。でも毎回100歩離れる元気は、自分にはない。

公園で汲んでおいたペットボトルの水を少し使って、したあとの体の部分を洗う。ほぼ濡らして拭いただけ。かぶれたり、ただれたりしない程度に。

寝に戻った。

夜、いちいち懐中電灯を使ったりはできない。でも、ここには、つまずいたり踏み外したりする場所が多すぎる。はやめに、動く線を安全にしたほうがいい。
床を踏み破ったところからは、3m以上離れて寝袋を置いてみた。うっかり寝返りしたり足を動かしたりしてるあいだに、ずぼっと落ちてはかなわない。


明日は、「大阪のおばさん」に電話をして、保護者のふりをしてもらうことに同意をとりつけなくてはならない。
「ならない」と言っている。「連絡する」でするんとおさまらない。


い・や・だ。い・や・な・の・だ。


私は、電話が嫌いだった。
相手の身じろぎとか、話の見えない様子とか。
私が安心していられないいろんな、みえない・ききとりにくい、相手の発するサインの洪水。

それをくみ取ろうと無理をしてしまう自分が、くるしくて、嫌いだった。

脳内の伝達物質がドーパミン系の「にぎやか」な人たちと一緒にいると疲れてしまう。私の脳内伝達は、アセチルコリン系。
しかも、小学生のころの適性診断では、
ベタで職人最右翼……30日間だれともしゃべらなくても、安定・自己完結していられるタイプ。
互いの行動様式を熟知している二人以下の近親との同居さえ、4時間ひとりになれる空間がないと、刺激過多でぶったおれるタイプ。

相手がどうあれ、「自分と相手の真ん中に話をぽんとおいて、それで済ます」。という話のしかたは、わたしには、まだ、できなかった。結果がわけわからなくなることにおびえてしまう、のかもしれない。相手の生の感情が飛んでくることに耐えられない。相手の気配を読もうとしてしまって話が続けられない、のかもしれない。

だから、相手のほうに 身を乗り出す ように話をしてしまい、電話を切った後にすごく疲れる。

「結果がどうあれ、真ん中に話をぽんとおければ、それでよい」
と決められるほど、自分自身が「よりどころ」を、持っていたらよかったのに。

わたしには、だれも、いない。
わたしを「保護」してくれる人は死んだ。
わたしを住まわせてくれる「住所」は、たぶん親戚が処分する。

「大阪のおばさん」のところには、気が進まないけど行こうと思っていた。むしろ、だれか大人が連れていく手はずになっていたかもしれない。

でもあのとき、私は出まかせを言った。「静岡のおばさんトコは、どちらか一人って言われてるでしょ。私電話で話して、大阪のおばさんトコにいく約束になってるよ?」

「うっそ」と驚愕した、 れいら の、あの目のみはりぐあい。「わたしだけ捨てられた」と勘違いした表情を、私はたぶん、忘れないだろう。嘘をつきとおしてやる、という得意げな絶望とともに。やけくそに落ち着き切った私のお腹の感覚とともに。


わたしたちは、父親と母親の死んだふたご。れいら と みらい 。
みいら と ろーれらい、ではない。


脱線した。

だから、ええと、

静岡のおばさんなら「一人だけ」だけど確実に親切にしてもらえるので、生活力のないほうが引き取られるべきだと思ったんで。静岡のおばさんはドーパミン系の子供一人、独立別居のおねえちゃんが時々寄り付く母子二人世帯。私が合流すると破綻するけど、れいら一人が引き取られる程度なら大丈夫。

私ちょっと、親が死ぬ前から、サバイバル系外泊系は、得意分野だったんで。他人の群れに混じることはできないけれど。

「人なかで生活できない」というのと「生活力がない」というのは、まったく別のこと。私は30日間誰とも話さなくてもご機嫌でいられる。つまり、自分のために使える時間が圧倒的に長い。
小学生のころもらったお年玉は、総合計額が10万円弱。今の残高が612万円。つまり、生活費には困らない。
株式・債権・REIT・あとゴールドで積み立てと指値買い・手じまいを繰り返していたらこうなった。
10万が20万になるまでがものすごく長くて、20万が60万になるのはその半分の日数で済んで、総額が150万を超えたところで100万を超えた分だけ出金して普通預金口座へ移管、というのを繰り返した。あと、チャートの曲線がおかしいときは、まる2年近く売買を一切しなかった。


バックパックと寝袋さえあれば。
からのペットボトルにどこで飲料水を詰められるか。
飲料水じゃないけど体を洗える水はどこでペットボトルに詰められるか。
無料の椅子はどこにあるか。
寝られるところはどこにあるか。

割と、全国共通とは言わないけど、地方都市って、似通ったつくりになってるから。


だから。

だから。


3.恋にだらしないアイツ


アイツが来た。というより、ずっといて、こっち側へ「起きた」のか、普段は消滅していて「出現」するのかは、わたしにもわからない。

わたしにだって、気配が透けてみえる感じしかしない。ほかのひとには、みえない。

「おじょうさんや」

陰々滅滅とした声。かぼそい。

「こんばんは。ちょりーす。へい!」
唯一、気の置けない存在。といったらいいのだろうか。
いつごろからかはわからない。
わたしは友達を作らないで、この「気配」とばかり話していた。唯一、話がかみ合うから。

やせてて、無精ひげ。悪い顔色。ぎょろっとした目。頭に、ひっかかったように載っている、くすんだ灰色の頭巾。もとは、青色だった頭巾。敗れてぼろぼろになった僧衣と、袈裟っぽいけどじつは「袈裟がわりの肩掛けカバン」の残骸。

わたしは、キャンプ用のカンテラをつけた。とたんに、光をめがけて特攻してくる虫で大騒ぎになった。わたしは、キャンプ用のカンテラを、できるかぎり遠くへ足で押した。そして、ひとつきりこっそり買ってあった日本酒「鬼ころし」の紙パックを、坊主の幽霊の前に置いた。
「急な質問だけど。人間のふり、できる?」

「また、もう。そういう無理なことを」

「人間に憑依して、体を操る、なんてことができる? それか、幽体のままで、『あ、かげがうすいけどふつうに生きてる人ですかね』ぐらいまでごまかすことができるか、どっちか」

私はおもむろに、中学提出書類を青頭巾和尚のほうへ出した。保護者欄を指さしながら。

「ひとつも、できません」
と、坊主の幽霊は言った。

いいながら、指で私の中学提出書類の保護者欄に「青頭巾」と書いた。

書いたそばから、それはふうっと消えていった。

「現実すなわち、あなたがたの “三次元” に定着する、ということが、できません」
「わーった、わーかったから」私はペンを取り出して、「じゃあ、なぞるから坂本里穂って書いて。私の筆跡じゃだめなとこだから、そこ」

「さかもとりほ」
「大阪のおばさんの名前。 あの人の名前、かってに借りるから。書いて、そこに」
ふうっと消えないうちに、私は坊主の幽霊の字をなぞった。私の筆跡とは全く違う「坂本里穂」が、そこに残った。

「おお!」
と、坊主の幽霊は喜ばし気な声をあげた。「おじょうさんや、そなたは写し文字が巧みである、こりゃ生前の拙僧の筆によう似とる」


「一刻も早く成仏しよう、とか変に精進しないで、少なくとも一年か二年ぐらいは、わたしの住所と保護者のでっちあげに、手を貸してください」

「……てんでやる気がおきませぬ」
「またBL漫画のページ、めくってあげるから」

坊主の幽霊は、「取引が、あからさま なのは、嫌ですな」と、ちょっと口元を笑ませて言った。

単なる「恋にだらしないおじさん」。
私は、青頭巾和尚のことを、そう思うことにした。

かわいそうに、というべきかどう表現すべきかわかんないけど、青頭巾和尚が惚れて惚れてかわいがっていたお稚児さんは、いちども幽霊になって出てくれたことがないのだそうだ。

「死体食べちゃったんだから、きっと、自分の中に取り込んじゃったんだから、分離して出てはくれないでしょうよ」

「ひとつになれた実感もありませなんだ」
青頭巾和尚が最大の深い深い悲しい悲しいためいきをつくのは、この一点についてのみ。中学生女子のことはどうでもいい。私はちょっとだけ、そこが気に入ったのだった。

青頭巾和尚は、さいしょのさいしょは、
しょり、しょり

と歩いて

ぺたり

と座り、座禅を組んでいる気配。
ただの気配だった。

その気配、ぞっとはしなかった。
かわりに、その気配の前後に、友達が話していたBLコンテンツをパソコンでつけてやると、

じっ……

と見入っている気配があって、そこがちょっとだけおもしろかった。

美少年ものより、青年どうしのちょっとピュアなコンテンツが好みらしい、というのは
そっぽをむくか、じっ……と見入って読み込む気配かによってわかった。そこもおもしろいとおもった。


気配はうすいままだったけど、私は
「あ、きたきた」
と思ったらBLサイトをパソコンに表示しておいて、それは母親にド叱られるまで続いた。
ある日、インターネットの通信料6万円超えのクレジットカード明細とともに、私はド叱られた。

「ごめーん、今日はパソコン見せらんないよ。あしたも」

というと、気配はふっと消えた。

それっきり接点はなくなった、と思っていた。


気配つまり青頭巾和尚が、
「上田秋成の青頭巾、あれは拙僧についての実話であります」
と、私に自分のことを話したのは、ちょうど、お父さんお母さんの葬儀の日の夜だったっけ。

私もいろんなことが混乱していて、頭が半分ぱーだから、同じく大事な存在に死なれて、頭がぱーになっちゃった人とは、気が合うのかもしれないな、とその時思った。
通夜のときも葬儀のときも、れいらはしくしく、めそめそ、びしょびしょ、泣いていた。
私は涙の出し方がよくわからない木の切れ端みたいになっていた。

泣けないから悲しくないのではない。

感情のめぐり方や出方が人類共通だと思い込んでいる人たちのそばにはいたくない。私が中学や親戚から離れて快適に暮らそうと思ったのは、そこだった。


4.わたしにはゆめがある

私には夢がある。アイハブアドリーム。
キング牧師の演説だ。お父さんがインターネットで探して聞かせてくれたやつ。英語の授業のかなり先を行くようにと、お父さんは一生懸命だった。自分が死んで、娘に半分強制的にほどこしていた英語の自主勉も、ぶちっと止まった。

中学の英語教育が半年以上遅れた、って現状を、しかたないなって思ってくれてるだろうか、あの人は。短気だったからなあ。許せてないんじゃないか。いまだに、英和辞典の角で、なぐってきそう。

ま、おいといて。

そういう意味でいえば、わたしにはゆめがある。
「ゆめなんか見ないで、生き延びること」が、わたしのゆめ。生き延びて、どんな形でもいいから、なにか家庭みたいなものを作ること。同性のパートナー婚 それも、共同生活が便利ってだけのパートナーで養子を育てて……みたいな「生活費共有体」みたいなものを仮に作って、不慮の事故とか家族の病気とかでなにもかもふっとんだりしない「生き延び方」をすること。

わたしにはそういう、夢じゃない夢がある。
夢なんかみてられない、という必死感。その「必死」が、「きなこ」みたいにまぶされた、じっとりしたゆめじゃないゆめがある。

たぶんそれは、正しい名前を、「あせり」とか「不安」とか「絶望」とかというんだとおもう。

そう、それは、じっとりしめったきなこのおはぎみたい。
みんなが「おいしい」「おいしい」っていうけど、私だけが黙って心の中で「くそまずっ」って思ってる。夢って、たぶん、そういうもののこともある。



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(筆者より)

みなさん、お久しぶりです。お元気でしたか。お変わりありませんか。いろいろな変化の波をかぶっておられる方も、ご無事でお過ごしですか。

インターネット環境のあるところに、泊まりがけ出張にきたので、USBメモリでファイルを持ってきて上げてみました。

主な登場人物は、上のお姉ちゃんと似た年頃の十代の女の子と、上田秋成の「青頭巾」が、なぜかまだ現世をうろうろしている設定(上田秋成の物語では白骨だけ残って、たぶん成仏しています)。
リアルサバイバルの廃墟野宿は、物語的には却下。僕も昔、二泊ほどしたことがありますが、季節と場所によっては、とんでもないことになるので。AIとVRと簡易モジュールシェルターのある世界設定で。


ではまた、お会いしましょう。…お元気で。

僕らも、元気で暮らすようにします。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!