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仕事のできるアイツは言った、「暫定一報を入れろ」。【物語・先の一打(せんのひとうち)】13

ぬるいカフェオレを飲む奈々瀬に、高橋が言った。「学校への連絡は、どうする」

奈々瀬はさっきの筆談の横に書いた。


困ってる
けがの写真はとった
写真送って説明しようかと思ってたけどどうしよう


高橋は、(写真撮ったんだ)という顔で四郎を見た。四郎は(ハードでした)という表情で高橋を見返した。何がハードだったかというと、けがの状態そのものではなくって、十六歳女子のみずみずしい肢体を前にしての自制心が。

四郎の場合自制しきる。ご先祖さまが女殺し身内殺しを重ねているがゆえに「自分もそうなったらどうしよう」という恐怖にさいなまれる。

つまり心身症とおなじ方向性の苦痛なのだ。「大丈夫大丈夫、そんなこと起こらないから」という「事実の手渡し・なだめ」は、わかってもらえない苦痛を増す。

高橋は(よくやったな、死ぬかと思ったろ)という表情を、四郎に返した。


「担任の先生は、信頼できる人? 具体的には、この相談の ”内側” に入ってもらえそうな人?」
高橋のその問いかけに、奈々瀬は大きく目を見開いて、うなずいた。

「じゃあね、今朝いきなりけがの全貌を手渡すと、大騒ぎになって相談の余地もせばまりそう?」
奈々瀬はうなずいた。
「たぶんそれだと、お母さんとお父さんに確認のアクションが走っちゃうんだろうな、学校側から。想像つく?」
奈々瀬は(考えつかなかった)という表情をした。
「お母さんとお父さんの退路を完全に断ち切らずに、つまり逃げ道を残して緊張度を低くして、担任の先生を巻き込むにはどうしたらいい?」


奈々瀬は書いた、《「おはねちゃん」って言われる理由わかった 行動→回りの反応 わからない お母さんもそう》

「すると、手順の組み立ては客観できるものなら難しくないけど、強い感情が走っちゃうと、 ”手順” がふっ飛んで困ってた?」

奈々瀬はうなずいた。

「ひとりで決めなきゃいけないとき、そんなふうにしんどかったね。チームだとね、 ”この打ち手のとき、どう転がっていくか?” をあれこれ何人かで見ることができて 、楽かもしれない」

「え、ほんなら失言して炎上して謝罪、みたいなこわいことにならずにすむの?」四郎が言った。自分の知らない「新しい、いいもの」の説明を聞いたときのような声。

「失言・炎上・謝罪プロセス?」

高橋は天井を見つめながら言った。

(四郎の出す比喩は、共通点の抽象度が高いのな。四郎は一瞬で類推を走らせて、類似点を見つけて、提示されたみんなは、それについてこられない)

「たしかにおはねちゃんのプロセスと似たとこがあるな。四郎は大多数への発言はしたことないのに、自分の過去の体験と引き寄せて、どういうとこが気になるの」

「俺、うっかり何か言うと、ばっと変な視線が集まって、俺よう言わん」

「ははあ、お前がよくうっかりっていうのは、無意識に・準備なくって意味か。ええとね、お前が見抜いてる共通項を、皆が説明なしだと見いだせないので、相手方に認知の不協和が起こっている。お前が ”変なやつ” とか思われてるのとは違う反応」

「認知の……不協和」四郎はつぶやいた。
「おはねちゃん行動も四郎の見抜いたことも、僕の発想も、すばらしい独自性を持ってる。三人ですり合わせるのはいいかもな」

三人は写真をプリントアウトしてみた。
「これ先生もらったら、すぐ学年主任と校長先生ンとこ走ってくなー。衝撃やろ」
「ご両親呼び出しだな」

奈々瀬は書いた、《時間かせぎしたい》

「いったん、熱を出したので、二、三日休ませます……って、安春さんに電話してもらうのはどうだろう。その後で ”実は……”とやって、先生に内緒の相談をもちかけるのはどう」

四郎と奈々瀬は、思わず拍手した。


通常、さほどの苦痛もなく人間関係を結べる人にとっては、容易に思いつく話なのだ。

だが、四郎は身内の虐待によって、法則性のない世界で相手を延々と読んでしまう行動が止められない。高橋はおばとおじの奇矯な行動のクッションになりながらの看護が続いて「思いもよらない反応」を想定した過剰な「念のための対応」が止められない。奈々瀬は母親の感情暴発が幼少期から続いていたので「主観から出られないとき、協調行動がわからない」。

(やばいなこの三人。担任と安春さんを巻き込まないと、三人完結したらトチるな)高橋は表面上は微笑して、奈々瀬の父安春に電話をかけた。実は奈々瀬に内緒で、昨日の晩状況報告をしてある。

高橋が安春と話す電話を、四郎と奈々瀬は安心して聞いていた。
二、三日の時間かせぎ。

《ほんとは学校行きたい?》四郎が奈々瀬によりそうように、字を書いた。
《あの学校は好き お母さんはあの家出ない 出るなら私》

奈々瀬はゆっくりと書いた。


学校


そしてもうひとつ書いた。


四郎と高橋さん


安春と高橋の電話が終わったとき、奈々瀬はゆっくりと、二つの単語の間に不等号を書いた……ハテナつきで。


学校  <?   四郎と高橋さん


四郎は期待と恐怖がないまぜになった心もちで、そのハテナつきの不等号を見つめた。高橋は言った。「超・難問だ。要素とステップをわけて、丁寧にほどこう」

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!