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中世の始まり ゲルマン人国家


大移動というか大侵入


ローマ帝国が東西分裂し、大航海時代やルネサンスが始まるまでの

約1000年間を中世と言います。

ヨーロッパの多様化は、この中世時代に起きた度重なる民族移動や

小規模国家の分立が大きな要因となっています。

民族移動の先陣を切ったのはゲルマン人になります。

ローマ帝国末期の4世紀から6世紀の約200年に及ぶゲルマン人の大移動

は、第1次ゲルマン人移動とされ、568年の北イタリアでのランゴバルド王国

の建国までとされています。(第2次は8世紀から11世紀)ゲルマン人は

アウグストゥスと戦ったりしながらも、ゆっくりとローマ社会に

移住していったのですが、4世紀後半に東から突如アジア系のフン族

ゲルマン世界を圧迫し始めたのが大移動のきっかけとなります。

フン族からの圧迫が大移動の契機とされていますが、実際のところ

わからないことが多いらしく、そもそもゲルマン人の生活スタイルが

移動性の強いものであったことから人口維持の必要性があり、新しい土地を

開拓するために大移動が起こったとも考えられているのでフン族だけの

せいではないかもしれません。


大帝国を建てた割に不明な点が多いフン族


ゲルマン人大移動の契機になったと言われるフン族ですが、彼らは

一般的には西方に移動した北匈奴だと言われています。

フン族は、パンノニア(ハンガリー)を中心にドイツ、ポーランド地域に

帝国を建設、5世紀前半のアッティラ大王の時期に全盛期を迎えます。

東と西のローマと領土をめぐりバチバチにやり合いますが、451年の

カタラウヌムの戦いで西ローマ・西ゴート連合軍に敗北し、アッティラ

死後は急速に衰退していき滅亡に至ります。


次々と建国


ゲルマン人は新たな居住先を探し、移動した場所に次々と国を建てて

いきました。この移動や建国の混乱の中、西ローマ帝国が滅亡します。

主なゲルマン民族が建国した国を列挙していくと、西ゴート人は

イベリア半島で西ゴート王国、東ゴート人はイタリアで東ゴート王国

ブルグンド人は南西フランスでブルグンド王国、フランク人は

北西フランスでフランク王国、アングロ=サクソン人はブリテン島に

入って七王国(ヘプターキー)という7つの小王国を建国しました。

では各ゲルマン人国家の建国から滅亡まで紹介していきます。


西ゴート王国(418~711年)


イベリア半島とガリア南部を支配していた国で、前述にある通り451年の

フン族とのカタラウヌムの戦いでは西ローマ帝国と共同戦線を張り、

ぶっ倒してます。
しかし、476年に西ローマ帝国が滅亡すると、強大となったフランク王国に

より、ガリア南部を奪われ、領土はイベリア半島だけとなってしまいます。

カトリックへの改宗とトレドの繁栄
領土縮小に伴い、507年に都をイベリア半島内陸のトレドに定めました。

当時の王であるレカルド1世は国内にカトリックが多いことから、

このままでは統治が困難であると判断し、王国に安定をもたらすという

意向でカトリックに改宗します。

その決断が功を奏し、それ以降トレドはキリスト教文化の中心地として

栄え、8世紀以降も文化都市として発展していきます。

宗教の力すげぇって何度も思っております。

イスラーム勢力によって滅亡を迎える
7世紀にアラビア半島で起きたイスラーム勢力は、ウマイヤ朝の時期に急速に

侵攻・征服を行い、711年にイベリア半島へ侵入します。

背景としては、カトリックに改宗したことでユダヤ人弾圧が行われており、

不満が高まったことで国内で内紛が度々起きており、国王反対派からの

支援要求に応えたことで侵攻・征服に至りました。


東ゴート王国(493~555年)


テオドリックに率いられた東ゴート人は、東ローマ帝国の要請を受けて、

西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルを暗殺して東ゴート王国

建国しました。領土はイタリア全土に及び、南フランスや

旧ユーゴスヴィアまでも領土とするゲルマン諸国の大国になりました。

大国が滅亡に至るまで
東ローマ帝国皇帝ユスティニアスと東ゴート王国はイタリアを巡り何度も

戦争をしていました。東ゴート軍の攻撃は悲惨を極め、特に546年の

ローマに対して行った攻撃は最終的に市民が500名程になるまでの

徹底したボコしぶりだったと伝えられています。

ユスティニアヌスは、20年にわたる戦争でようやく555年に東ゴート王国を

征服し、イタリア半島の支配を成功させました。

ゴシックの起源は彼らでした
中世キリスト教教会の建築様式であるゴシック式や、アルファベットの書体

の1つにあるゴシックは、「ゴート人風の」という意味で、言葉の意味

としては「無教養な」や「野蛮な」とされています。

当時こそ蔑んだ言葉として使われていましたが、今でも一般的に

使われているので結構魅力を感じてる人も多かったのかなと思います。


ブルグンド王国(406~534年)


ライン川中流域から東ガリアに建てられた国家で、有名なのが

中世ドイツの作品である「ニーベルゲンの歌」の題材となった437年の

フン人との戦いです。この戦いで敗れ、当時の国王グンテルを

失いましたが、その後サヴォイア地方で王国を再建し、フランス東南部から

スイスまでを支配しました。そして最強格のフランク王国と争い、

534年に滅ぼされて征服されます。



七王国(ヘプターキー)


アングロ=サクソン人は大ブリテン島に侵入し、先住民であるケルト人を

征服、その地に7つの王国を建てました。

ちなみに国名としては、エセックス、サセックス、ウェセックス、

イースト=アングリア、マーシア、ノーサンブリア、ケントです。

この七王国は9世紀にはほぼ統一され、イングランド王国と言われるように

なります。


次回からゲルマン人国家の中でも強力な力を持ち、台頭していった

フランク王国について紹介していきます。


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