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2度目の民族大移動と1000年帝国

2度目の民族大移動 第2弾の大移動 主役はノルマン人 1つ目のヨーロッパに「多様性」をもたらした民族大移動に続き、2度目はノルマン人による北ヨーロッパから始まる大移動が起こります。 ノルマン人は、スカンディナヴィア半島や現在のデンマークがあるユトランド半島で狩猟や漁猟をして暮らし、造船や航海術も得意な人たちでした。 ヴァイキング フランク王国分裂時、ノルマン人は混乱に乗じて海をヒャッハーしまくっていたので大変恐れられていました。 ヴァイキングとして活発に動いていたのは

    • 教皇「僕が一番偉いの!」

      カトリックの成長 前回の記事で解説した通り、カトリック教会はビザンツ帝国の保護下にあるギリシア正教と違って西ローマ帝国が滅んでしまったせいでスポンサーを無くし、焦りまくっていました。 そんな状況の中、フランク王国のクローヴィスがカトリックに改宗するというビッグチャンスが到来します。 カトリック教会はフランク王国に接近し、仲良くし始めます。 (ピピンに教皇領もらったり冠授けたりなど詳細はフランク王国の記事で説明してます) 狙いはもちろん、新しいスポンサーとして保護を受けた

      • 東西教会の争い〜キリスト教〜

        スポンサーを探せ!! 今までも触れてきましたが、キリスト教はその解釈の違いによってさまざまな宗派が生まれ、それによって国が繁栄したり滅亡に至ったりと多大な影響を与えています。 ローマ帝国時代の末期では、弾圧から保護に方針を変え、帝国内では五本山と言われた5ヶ所の教会がキリスト教の中心として成長します。 中でもコンスタンティノープル教会とローマ教会は主導権をめぐって競い合う関係となっていました。 (ちなみに五本山のうち、アレクサンドリアとアンティオキア、イェルサレムは7世

        • 中世ヨーロッパ 新しい覇権国家の誕生

          今回は、ゲルマン国家の中でも大国となりしばらく繁栄したフランク王国を 中心に紹介していきます。 なかなかドラマチックなイベントもありますし、これまでもよくある欲に溺 れた末裔達の争いによって国が分裂することになったりとフランク王国の 内容は面白いと思います。 また改めて宗教の重要性を認識させられたので、そのうちキリスト教メイン でまとめてみるのもありだと思いました。 フランク王国(481年~870年に完全分裂) 大移動した民族の中でも一際力を持ったのがフランク

        2度目の民族大移動と1000年帝国

          中世の始まり ゲルマン人国家

          大移動というか大侵入 ローマ帝国が東西分裂し、大航海時代やルネサンスが始まるまでの 約1000年間を中世と言います。 ヨーロッパの多様化は、この中世時代に起きた度重なる民族移動や 小規模国家の分立が大きな要因となっています。 民族移動の先陣を切ったのはゲルマン人になります。 ローマ帝国末期の4世紀から6世紀の約200年に及ぶゲルマン人の大移動 は、第1次ゲルマン人移動とされ、568年の北イタリアでのランゴバルド王国 の建国までとされています。(第2次は8世紀か

          中世の始まり ゲルマン人国家

          ローマ帝国の終わりと中世の幕開け

          二人の王によって少し安定する ディオクレティアヌス帝(在位284~305年) 軍人皇帝時代の混乱を収拾し、皇帝という地位をさらに強大にするために、 皇帝を神として崇拝させ、政治体制を元首政(プリンキパトゥス)から 専制君主政(ドミナートゥス)に切り替えました。 また、領土が強大になりすぎていたローマ帝国を西と東に分割し、 それぞれ正帝と副帝の2人、合計4人で協力してローマ全土を統治するという 四帝文治を行い、帝国の支配安定を図ります。 キリスト教の大迫害 30

          ローマ帝国の終わりと中世の幕開け

          自分について⑶  これから

           今回で自分について書くのは一旦終わりです。 長々と社会人になってからの約5年間を振り返りましたが、今回は今までの 経験をもとにこれからどうしていこうかという部分に焦点を当てて頭の中を 整理するつもりで書きます。 自分の人生を通して学んだ経験が少しでも誰かの参考になれば幸いです。 今考えている4月からの1年間の予定  これまでずっとお金に追われて生きてきました。これに関しては、自分が お金を貯められない性格ということと、色々な仕事をお金を顧みずに変えて きたとい

          自分について⑶  これから

          自分について⑵

           今回は銀行員時代の振り返り、仕事と本を通して定めた生き方について 思い出しながら綴っていきたいと思います。 銀行員時代  約2年間の銀行員時代では、初めの半年は雑用ばかりでやりがいを見出せ ず、一時期は意味も分からず営業地区の巨大地図を会議室で一日中作成して いたこともあり、正社員でありながら耐えきれずに本気で飛んでやろうと思 ったこともありました。本当に運良く今日出勤したら完全に飛んでやろうと 思った日に、本部での新入社員研修が大幅に増えるという通達が出たこ

          自分について⑵

          今更ながら自分について⑴

           備忘録として始めた世界史メインの知識投稿ですが、同じことばかりする というものが苦手なので、今回のようにたまには自分についての投稿もして いこうと思い書いております。  経歴については職務経歴書みたいになりたくないのでざっくり書きます。 田舎に生まれ、大学で一人暮らしをし、社会に出てからは銀行員として働い たり、職業訓練校でプログラミングやWebデザインの勉強したり、広告代理 店でADとして働いたり、パチンコ屋を経営するブラック企業で働いたり、 百貨店でお菓子

          今更ながら自分について⑴

          ローマ帝国アゲアゲ時代から衰退まで

          元首政の始まり アクティウムの海戦を経てローマの初代皇帝となったアウグストゥス (オクタウィアヌス)は独裁者という肩書きを使わずにあくまで 「第一の市民(プリンケプス)」と名乗り、市民のリーダーという 立場を貫きます。 ※このタイプの帝政を元首政と言います。 王になろうとして反発されてぶっ殺されたカエサルを見て、共和政の伝統を 守りたい人々が一定数いることに配慮したというわけです。 ただ「第一の市民」とかなんとか言っても実質唯一の権力者で皇帝 であることには

          ローマ帝国アゲアゲ時代から衰退まで

          共和政から帝政への移行

          奴隷が可哀想 ポエニ戦争での完勝後、破竹の勢いで支配領域を広げていったローマ ですが、戦績と国の内情は対照的でした。 長期の戦争に駆り出された農民が久しぶりに自分の農地に戻ると、 荒れ果てており使い物にならない状態でした。 さらに、度重なる戦争の勝利によって獲得した奴隷達がローマ国内に続々と 流れ込んできました。農地が富裕な貴族(パトリキ)や新貴族(ノビレス)は、 属州から得られた奴隷を使って大規模農園で働かせていました。 こうした大土地所有地(大農園)の在り

          共和政から帝政への移行

          共和政ローマ ポエニ戦争

          共和政の時代 ローマ帝国は、西ヨーロッパから地中海全域に及ぶ大帝国だったため、 道路や建築、言語など、ヨーロッパに統一性をもたらした重要な要素 でした。そのローマ帝国ですが、最初期を除いた前半は王や皇帝を 持たない共和政の時代でした。 貴族と平民、奴隷といったように身分差は存在しており、国の指導権を 持つ会議だった元老院や最高官職であった2名のコンスル(執政官)も、 貴族に独占されていました。 このローマでも、国が大きくなると重装歩兵として戦争に参加している

          共和政ローマ ポエニ戦争

          アレクサンドロスによる統一      ヘレニズム時代まで

          巨大帝国の誕生 カイロネイアの戦いを制したマケドニアのフィリッポス2世の子 アレクサンドロスは、世界史を知らない人でも聞いたことのあるほどの 有名な王です。彼はヨーロッパからインドにまたがる巨大帝国を 築きました。 アレクサンドロスは幼少期には哲学者アリストテレスの教えを受けており、 熱心にギリシア文化を吸収しました。 前336年に父であるフィリッポス2世が暗殺されたことで20歳にして コリントス同盟の盟主としてマケドニア王位に就きました。 また、スパルタを

          アレクサンドロスによる統一      ヘレニズム時代まで

          スパルタとアテネ〜ペロポネソス戦争〜

          スパルタ教育の由来となった国 ドーリア人で形成されたポリスであるスパルタはアテネのライバルとして 長年争いを繰り広げており、スパルタ教育の名としても現在まで 知られています。 スパルタではリュクルゴスの制と言われた厳しい教育制度と 軍国主義を採用しており、男性市民5000人の人口で 7万人もの人々を支配していました。 具体的には征服した土地から獲得したヘイロータイ(奴隷身分の農民)5万人、 ペリオイコイ(異民族を従属させて商工業に従事させた周辺民)を2万人、

          スパルタとアテネ〜ペロポネソス戦争〜

          ヨーロッパの始まり〜アテネ民主政まで〜

          エーゲ文明 古代ギリシアでは、前半のクレタ文明と後半のミケーネ文明で特徴が 分かれており、後のヨーロッパ文化の源流となるまで高度な発達を したと言われています。 クレタ文明の特徴 明るい海洋文明と言われおり、宮殿にはこれといった城壁もなく、 警戒心のない平和的な文明だったそうです。 中心地のクノッソスには今も宮殿跡があり、その遺跡の巨大さから ギリシア神話に登場するミノタウルスの住む迷宮とも言われています。 この文明は前述の通り、警戒心の無さから外敵の侵入を

          ヨーロッパの始まり〜アテネ民主政まで〜

          人類の起源ざっくり解説

          いつ、どこで誕生したのか 約400〜250万年前 南アフリカで発見された化石が人類最古とされるもので、 猿人と呼ばれています。 化石を発見した解剖学者がアウストラロピテクス(南の猿)と 名付けました。 猿人の特徴 彼らは、直立二足歩行と礫石器を使用するといった特徴を 持っていましたが、猿人と名付けられただけあってまだ 言語も火も使用されていませんでした。 ちなみに人と猿が決定的に異なるのは、 日常的に直立二足歩行をしている点とされており、 猿人を人類最

          人類の起源ざっくり解説