怪我して走れないから理想のランニングフォームを過去の哲学を用いて検討_古代西洋哲学編




はじめに

タイトルの通り誰もが興味ないネタです。
怪我をして走れないと
このような無駄な思考が走ってしまいます。
とはいえ、走れず記事のネタが無いので
お許しください。

プラトン的に理想のランニングフォームを検討

まず、プラトンで有名なのは「イデア」だと思います。
この「イデア」というのは
批判覚悟で私自身の脳で理解できた範囲でまとめると
「すでに誰でも心のうちに宿している理想像」
かと思われます。
有名な例で言うと
「完全な三角形は表象的には存在しないが
人は完全な三角形を理解している。
この完全な三角形はイデア界に存在していて
人はそのイデア界の三角形を自然に認識している。」
というものがありますが
理解しづらいですね 笑
簡単に言うと
「手書きの三角形は完璧な三角形じゃないけど
三角形って認識できるでしょ。
それはイデア界にある三角形を
いつの間にか認識しているからだよ。」
的な感じかと思います。

さて、ここでプラトン的にランニングフォームを検討すると
理想のランニングフォームはイデア界に存在していて
理想のランニングフォームは
私たちは認識しているという流れになるかと思います。

確かに大迫選手や実業団選手の
ランニングフォームを見ると
綺麗だなと思います。
これはイデア界に存在している
理想のランニングフォームを
私自身が既に認識しているからなのかもしれません。
(。。。そんなわけないですね 笑)
ここでアリストテレスが反論してきます。

アリストテレス的に理想のランニングフォームを検討

アリストテレスの思考は
「万学の祖」と言われているだけあり
とても論理的な考え方です。
アリストテレスは「イデア」を否定してます。
それぞれ固有の特徴を抽象化して分類するのが
アリストテレス的なやり方です。
つまり理想のランニングフォームを
アリストテレス的に検討するのであれば
既に理想のランニングフォームで
走っている方たちの
共通する要素を抽出して
分類していくことだと思われます。

こちらの方が理想のランニングフォームに
たどり着きそうですね 笑

姿勢、腕振り、接地、ピッチ、ストライドなど
様々な要素を速いランナーから抽出して
ランニングフォームはこうだというものを
作れると理想のランニングフォームができそうです。

ただ、ここで問題になるのが
「その理想のランニングフォームは
自分にとって本当に理想のランニングフォームなのか」
という部分です。

つまり、「理想のランニングフォーム」を
あえて定義するのであれば
(自分にとって)楽に、速く、長く走れるフォームですが
この(自分にとって)という分が
ランニングフォームにとっては重要だと思います。
アリストテレス的に分類して
理想のランニングフォームとしたフォームは
果たして本当に自分にとっての
理想のランニングフォームになっているのか
という疑問が生じます。

おわりに

結論は出ていませんが
とりあえずここまでとします。
怪我が治らなければ続きます。

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