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A1:勤めていた会社は好きで辞めました。けどサラリーマンの縛りは超ストレスでした。(回答者:前田高志)

はじめまして、前田高志といいます。

2016年1月に14年半勤めた任天堂を退社し、ぼっちでアートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター、カメラマンをやってます。オンラインサロンの「箕輪編集室」で、この企画の本家である「嫌われ者たちのリレー式コンテンツ会議」の制作に関わっているうちに、リレー式会議がどうしてもやりたくなりました。箕輪厚介さん曰く「青春なんだよね」と。僕も青春を味わいたい。勢いでグラフィックを作って、箕輪さんにもOKもらいました。だから本家公認のパクリ企画なのです。


さて、さとちゃんからの投稿。
「Q1:勤めていた会社、好きで(好きだけど)辞めました?嫌いで辞めました?」


やはり、さとちゃんはいきなり毒を吐きまくってますね。2011年の地震で「この人たちと埋まりたくない」って感情は相当嫌いですね。僕も鈍感なので同じ会社にいたら絶対嫌われてそう。でも、事なかれ主義ではないかな。僕も人事の社内研修は苦手だったなぁ。さとちゃんはストレートにズバズバ言う人なので、メンタルがうさぎの前田はビビってます。この「辞めたもの」の似顔絵も「自分だけ男前に描いてる」って言われましたよ。でもおかげで良くなりました。さとちゃんのハッキリした物言いは本家「嫌われ者リレー」のイケハヤさんポジションでこのマガジンも面白くなりそうです。昨年、さとちゃんと会った時に岩田聡さん(任天堂前社長)の話をしている時に目がウルウルになってましたよ。毒は吐くけど内面はとても優しい人なのではないでしょうか!?


さて僕の回答ですが、好きだけど辞めました。任天堂という会社は本当に僕にマッチしてました。ゲーム好きでデザイン好き。仕事中に堂々とゲームができるんですよ。さらに、希望していたプロモーション担当の部署には入れました。やりたかった広告の仕事をたくさん経験できました。尊敬できる上司、慕ってくれる後輩にもすごく恵まれていました。あ、同期で仲の良い人は少ない。みんな普通に大好きです。役職もついていたし、会社にも少しは認められていたのかな。僕が退社希望を申し出てから退社するまで1年かかったのですが「前田問題」と言われていたそうです。


それでも辞めました。辞めた理由は2つあって、ひとつは父の介護。認知症がひどくなって施設にも預けられない状態でした。よその人を叩いちゃうんです。もうひとつの理由は、父と同じように60過ぎで認知症になるのではないかと。叔父も祖母も認知症になりました。おそらく遺伝なのでボケる前に、ゲーム業界以外のデザインもやってみたかったからです。父の介護と自分の将来を考えると、やるべきこととやりたいことが「ワーーーーー!!」って津波のように押し寄せてきて、任天堂をやめるという決断に至りました。実は、介護離職という形で退職したので、任天堂から「戻って来て」って言われたら復職できるんですよ。また戻る可能性もゼロではないです。


任天堂の嫌なところというか、サラリーマンの嫌になった面は当然あります。大雨の日でも会社に行かないといけない。仕事が暇でも会社行かなくちゃけない。副業禁止も。あと、会社が大きくなってチェックの関門が増えたこと。会議の出席者の人が多くなったとか。それと役職がついたことが非常に面倒でした。マネージャーに昇進って部長に言われた時「僕には無理です!」って断りましたよ。こうしなくちゃいけないという「縛り」にはストレスを感じていました。


実は、任天堂に入りたいと思ってなかったんですよ。僕は職人気質なので、東京のデザイン会社に就職していつか独立して、一生かけてデザインを極めようと考えていました。ただ、一生に一度の新卒。いろんな会社を覗くチャンスなので就活してみました。その中のひとつが任天堂でした。ゲームは大好きだったのですが、就職先としては1ミリも考えてませんでした。任天堂の入社試験、完全に舐めてました。面接に遅刻するし、スーツを着ずにヨレヨレの象の絵が描いたTシャツで行きました。なんでそんなことしたのかあまり覚えていませんが、実験だったのかも。本当に入りたかったらそんなことしませんよね。入社後、面接官だった人に入社後にトイレでバッタリ会って「お前みたいなやつ初めてや」って言われました。それがよかったの!?内定が出てからすごく悩みました。任天堂のデザインはダサいし、僕が変えるのもありだなーとか本気で思ってました。完全に調子に乗ってますよね。すると、なぜか今さら遅れて「任天堂の会社案内」が届いたんです。「うおおおおおお!」とそのクオリティにおもいっきりビンタされたような衝撃でした。その会社案内1冊が僕の背中をグッとと押しました。その本をデザインしたのが、後の僕の師匠です。初代ゲームボーイのデザインをした人。


入社後のすぐ新入社員研修でますます任天堂の虜になっていきました。人事部の年配の方が、過去の事業をスライドで紹介していくんです。乳母車つくったり、N&BブロックというLEGOブロックみたいなのをつくったり、サトウのご飯みたいなのをつくったり。たしか、タクシー事業もやってたんですよ。会社としておもしろすぎでしょう。その新入社員研修では岩田聡さんのスピーチもありました。「優秀なクリエイターの条件」という興味深い話は15年経つのに今でも覚えています。一番しびれたのが最後、「私のお話は以上です。」と言った瞬間に終業のチャイムがなったんです。それがかっこよすぎてブルッとしました。初めて男に惚れた。


さとちゃんから、岩田さんの話を振られたのでもう少しすると、岩田さんは飴玉は噛んじゃうタイプの人でした。

・・・というどうでも良い話は置いといて、運良く僕は「任天堂の会社案内」を作る担当になりました。毎年12年くらいかな?岩田さんに直接プレゼンしていました。岩田さんはニコニコして「1年で最も楽しみにしている会議です。」「前田さんはKさん(上司)が作った会社案内を見て入社して、それを今は自分で作ってるんですよね!」とよく言っていました。僕は口下手だし、論理的に話をするのが苦手で感覚的で感情的にプレゼンするんです。岩田さんは、企画の意図を先回りして瞬時に理解してくれました。プレゼンは複数人でするのですが、複数のアイデアとコンセプトを瞬時にまとめ上げるのはやっぱり天才としかいいようがないです。


↓任天堂の会社案内


天才といえば、糸井重里さんが任天堂に来て、宮本茂さんと岩田さんとで対談する機会があって、上司から「前田くん見に来るか?」と誘われたのですがビビって断ってしまったのがすごい後悔です。天才3人の生の会話を聞き損じました。岩田さんは2015年7月に残念ながら亡くなってしまいました。任天堂を辞める前に一言、挨拶ができなかったのがただただ、心残りです。岩田さんの体調が悪いというのはわかっていたので、しかもE3や株主総会で大忙し。そんな中、イチ社員の身勝手なメールを送るのは申し訳ない・・・と先延ばしにしてたら突然亡くなられてしまいました。後から部長から聞いた話ですが、僕が辞めることは知ってたそうです。より一層悔いが残りました。もしメールを送っていたら、岩田さんは何と返信してくれたのでしょうか。


という感じで、前田の回答は以上です。なんか真面目に書いてしまった。もっとノリで書いていくはずだったのに。


会社批判がなくてもの足りたい方はケイイチさんの投稿をお楽しみに!超大手ハウスメーカーの営業マンだったそうです。僕の中でハウスメーカーの営業マンはリスペクトなんですよね。いろんな能力が必要なので。この間、ケイイチさんがLINEにちらっと書いてたのですが、営業マンの鏡みたいな人当たりの良いケイイチさんでも辞める時にいろいろあったみたいですね。楽しみです。

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まえだたかし

アートディレクター、新人漫画家。ドラゴンボール以前の少年ジャンプ「少年ジャキーン」を作りたい。2016年任天堂(株)退社。2018年3月前田デザイン室(https://camp-fire.jp/projects/view/66627)をスタート。同年6月株式会社NASUを設立。

辞めた者たちのリレー式フリーランス会議

企業からドロップアウトした3人がフリーランスについて語ります。イベントプロモーター兼ウェブライター佐藤麻子、コピーライター長嶺圭一郎、アートディレクター前田高志によるのリレー式共同マガジンです。 【毎週 月・木 更新予定!】
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