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人生で出会って良かった10人。その2

前回の続き。
人生で出会って良かった10人は
父と母を除いて、誰だろうなと考えたら
ちょうど10人浮かび、7人書き綴った。

8、9、10。

8️⃣20代の時の元彼。
まさかの元彼であるが、この彼は特別であった。
別に物凄く未練があるとか、大恋愛とか人生を変えたとか、
そういうわけではない。

私が一目惚れをし、彼も好きになってくれ
23歳から26歳まで3年付き合った。
別れも揉めることなく、どちらかが浮気をしたとかでもなく
とても円満に別れた。
別れに円満なんてあるのかと思うが、あったのだ。

ただ、どうして特別かというと
彼は優しかった。
一目惚れをしたくらいなので顔もスタイルも良かった。
性格も良かった。
よくもまぁ、我儘で偏屈な私と付き合ってくれたものだ。

私の人生、それも20代に、
普通のありふれた若い子らしい恋愛をさせてくれたことに
とても感謝している。
楽しかった。

何より、モデルだったことや、私の周囲に芸能人がいたことに
全く関心がなかったことが
当時の私にとって貴重な存在だったのだ。

9️⃣地元の皮膚科の先生。
母が亡くなり、実家の猫も亡くなり
父はのこっているが
私は元々、地元がこの上なく嫌いなので
父と会うのも実家ではなく外にしている。

小学生の頃、世田谷から都下に引っ越した私も
早い時期から
中学受験に励んでいたので、塾が居場所のようなものだった。
が、体質であろう。
毎月のように巻き爪で化膿し手術をしていた。
しかし、毎月なのでそのうち慣れていく。
(以下、微グロ注意)
手術といっても麻酔をし、親指の血を止め
爪を剥ぎ
化膿したところをとり終了である。
私は血を見ることも、
手術しているところを見ることも好きだったので
珍しい子供だったのかもしれない。

そのうち、学年が上がり塾が忙しくなると宿題が多いので
時間がなく
手術の最中に宿題をしていた。
私には、時短だったのだが
先生はとても不憫に思ったのだろう。
その光景が忘れられなかったそうで。

母は、ぱっと見教育ママだった上に
我が家の人間は中々に高学歴だったので
気の毒に思っていたのかもしれない。

ただ、あの当時
私に対しまともに優しかった大人は
この先生だけだったように思う。

学校は男子はいじめてくるし、同級生の親も陰険だった。
担任の女教師も陰湿で
塾は好きだったが、ロリコン教師もいた。

先生は、唯一まともでやさしい大人だった。

🔟某ミュージシャン
かれこれ、20年は経つのではないだろうか。
当時、モデルとして仕事をし
堀越に通っていたものだから
大人の知り合いは多かった。
彼もそのうちの一人だったが、たまたま知り合ったのを覚えている。
私の思春期の悩みを長文でメールで送り
たまに長文で返ってきた。

手紙のやり取りのようで私はそのメールが楽しかった。
この人に「楽しむ努力をしなさい」と言われ
私の目から鱗が落ちた。

文句ばかりで不平不満ばかり言っていた高校生の私の話など
適当にあしらえば良いものを
彼は、成長していく上で大切なことを教えてくれた。

そして、大人になった今は滅多に会わないが
会ったらいろんなことを話す。
私は友達と言ったが、
彼の活躍はとても嬉しい。
世の中に、どれだけ素晴らしい人か大声で説明したいくらいだね。
この人も
私がモデルを辞めても見下したり態度を変えたりなんて
一切しなかった。


私に、楽しむ努力を教えてくれてありがとう。