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#11 愛さえあれば?

「愛だけじゃ、ご飯は食べられない」

数年前の話だ。
カナダ人と国際結婚をした私のいとこが、結婚生活7年目に離婚した。

いとこが私の母にその件を報告をしにきたとき、冒頭の言葉をため息混じりに吐いた。

離婚理由は、金銭感覚の違い。

聞くと、カナダ人の元夫は大学で研究員として仕事をしていたそう。
元夫が勤めていた大学は、固定給ではなく、学会に発表して功績を上げた人しか報酬がもらえない制度だった。

一方、私のいとこは、英語は話せる・・・が、ネイティブは聞き取れない、という言語力。
「愛さえあればなんとかなる!」と彼についていき、一緒にカナダに住んでいたものの、ネイティブの英会話ができないと、現地での仕事は難しかった。

もともと人見知りで繊細な気質のいとこ。
家で彼の帰りを1人で孤独に待つしかないという新婚生活だった。

でも元夫は毎日愛を伝えてくれたから、当初は寂しさより幸せが勝っていたとのこと。

「愛している」
「君が大切だよ」
「君との子どもが楽しみだな」
「こどもができたら◯◯って名前にしたい」

Oh!なんと…歯が浮くような乙女ゲームの世界!と私が興奮していたら、いとこは一言。

「最初は幸せだったんだけどさ、実際、愛だけじゃご飯食べれなかったんだよね」

 結局、元夫の研究成果は結婚生活中に花開くことはなかった。
そして、新婚当初から経済的な面を支えてくれていた、彼の祖母が入院。
そのタイミングで、夫婦への金銭援助は絶たれ、どうにもこうにも立ち行かなくなり、別れたそう。

「僕たちなら大丈夫、お金がなくても愛さえあれば一緒にいられるよ」
そう言って、カナダ人の元夫は、いとこを説得した。しかし「ご飯も食べられない環境にこれ以上身を置くのは限界だ」と病んだいとこは、1人で帰国した。 

*

いとこがカナダ人の彼と交際をスタートしたとき、女子高校生のようなはしゃぎっぷりで、私の母にノロケていた。それを思い出すと、きゅっと胸が締め付けられる。

私もカナダ人の彼が福岡に来た時、天神の観光に付き合ったことがあった。
とてもユニークで、10歳くらいの少年の心を持つ人だな、という印象。
その後も親しくさせてもらっていたので、離婚の話は少しだけショックだった。

金の切れ目は縁の切れ目。

なんかこの一言で片付けるには切ないけれど、現実って甘くないな。

でもまてよ。

過去の離婚話を思い出して、勝手に傷心に浸っていた私はふと我に返った。

私の夫、5年間、仕事していなかったよね?

幼い子供3人を抱え、必死に転職して、さらに休みの日も副業をしていた5年前の過去がフラッシュバックした。

じゃあ、これは夫への愛だったのか?
それとも、我が子を守るための愛なのか?
もしどちらか(もしくは両方)当てはまったのであれば、我が家は「愛さえあれば」でご飯を食べていたのか。

ということは・・・もしかすると・・・ 

いや、今さら考えても何の意味もないけど、いとこも元夫に「私が日本に帰って働くから、一緒に日本に戻ろう」と言って働いてたら、二人は離婚しなかったのか?

・・・・・・・

一瞬そう考えて、やっぱり違うな、と思い直す。

いとこは「彼の人生は研究が全て」と元夫の夢を応援していた。
だから離婚は仕方なかったんだな。

むしろこの離婚は、お互いを尊重した愛だな。と感じた。

ちなみに現在、いとこの元夫は、いとこと離婚後に研究で賞をとって、その後、台湾人女性と再婚したそうだ。現在は2人の子供に恵まれたパパになったと母づてに聞いた。

いとこはというと、離婚後の翌年に、L'Arc~en~Cielのhyde似の彼氏ができた。寿司屋の大将をしていたhydeに、いとこが一目惚れし、交際がスタートしたという。
入籍の予定はないそうだが、いとこはとても幸せそうである。

つまり離婚後に元夫婦は素敵な縁に恵まれた。

「愛さえあればなんとかなる」が不成立。
きっと、そんな夫婦は、たくさん、いる。

だから「縁さえあればなんとかなる」
いとこの人生を見ていたら、こっちのほうが、しっくりきた。








 

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