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#1 「枠」 

ある日突然、夫が仕事を辞めてきた。
しかし私は、心から夫に感謝している。

理由は、夫が仕事を辞めたことで、私のモヤモヤする悩みの原因だった「枠」を広げられるようになったからだ。
簡単に言うと、私の知らなかった「わたし」を発見できた。

私は枠という、目に見えない煩わしいものに、長年頭を悩ませていた。
なんならこの枠のせいで「生きるのってツラいなぁ…」とさえ感じていた。

この厄介者「枠」の存在は、結婚を機にのしかかってきたのである。

28歳のとき、私は新卒で入社したアパレル企業を退社した。
たった7年ほどしか勤めていないが、かなり濃い7年だったと自負している。

私は当時ファッション雑誌を飾っていたアパレルブランドのMD(商品の企画・開発をする職種)になりたくて、がむしゃらに働いた。

お金も時間も私の精神も、全て注ぎ込んで。
「上司に打診してもらいたい」という一心でひたすら働いた。
もちろん理由は、自分の任された店の売り上げを上げるため。

気づけば、店長に就いて1年間「店に行かない日」は1度も無かった。

しかし時代は変わり、私の勤めていた会社はファストファッション界を代表する某大手企業に、あっさり吸収合併された。
そして私が長年勤めた愛すべきブランド達は、『ViVi』『Ray』『CanCam』を代表とする赤文字系雑誌から、全て撤退した。

もぬけの殻になった私は、合併先のファストファッション店舗で店長代行として働いた。
毎日商品の品出し、品出し、品出し。
私じゃなくて良い仕事を、効率のみ求めて、また品出し。
そんな毎日に嫌気がさしたころ、今の夫と結婚の話がでて、私は逃げるように寿退社した。(寿なのに「逃げるように」とは難儀な気もする…)

しかし結婚すると、空っぽだった私の仕事への意欲より、もっと厄介な感情が出てきた。
それが「枠」である。

結婚したら「妻なんだから」
出産したら「母なんだから」
誰かに言われたわけでもなく、ただなんとなく、世の中がそうだから。

「結婚してるいるのに、夜遅くまでシフトに入るなんて」
「子供がまだ小さいのに、フルタイムで働くなんて」
「子供が3人もいて、友達と飲みに行くなんて」

私は、他人が叩かれているのを見て、聞いて、枠を勝手に作る。
その枠内で、目立たぬように生きるのが正解。
そんな枠にとらわれ、私はたくさんの事をあきらめてしまうようになった。

ところがある日、夫が突然仕事を辞めた。
扶養内で働いていた私は、夫と子供3人を養うために、一家の大黒柱として、稼がなければならなくなった。

一見すると、これは「かわいそうな環境」という枠におさまっているかもしれない。

でも私にとっては、違った。

3人の幼い子供をかかえながらの転職活動。
もちろんどの企業からも敬遠され、書類選考の時点で落とされまくった。
結果、152社に履歴書を送って面接まで行けたのは6社。

そのうちの2社から合格をいただき、現在はアラフォーで転職した私でも、自分の年齢とおなじくらいの月収を稼げるようになった。

土日に働くなんて考えてなかったけど、夫の事情を知った私の両親は、喜んで子供3人の面倒をみてくれた。

「ママなのに子どもと土日に過ごせないなんて」

こんなこと、誰にも言われなかった。
(いや、もしかすると必死に働きすぎて聞こえなかったのかも)

つまり私の思っていた「枠」は、ほんとうにちっぽけで、すぐ壊せる存在だった。

「世間や他人の目を気にしたら、家族がお腹いっぱいご飯を食べられる?」
気づけばそんな図太い精神が身についた。

とはいえ家族がいる手前、今の私の生き方は「枠を壊す」までの勇気はない。

代わりに、少しずつ広げている。
「家族に迷惑をかけすぎない暮らし方」という枠に。

子どもたちを習い事に送ったあと、1人でカラオケに行く。
夫に3人の子供を預けて、推しのコンサートに行く。
そういえば最近、ライター仲間の友人と飲みに行く約束もした。

心の底に沈めている願望は「独身時代よりも自由に生きてやる」だけど。
それだと枠をはみ出しそうなので、この辺の枠にしておこう。

どうやら世間体を気にせず働いた結果、「心地よい枠」を作るあつかましさを身に付けたようだ。

夫よ、仕事をやめてくれて、ありがとう。
夫よ、5年も無職でいてくれて、ありがとう。
(さすがにこれは皮肉かな)

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