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王たるに最もふさわしき者に

マケドニア王 アレクサンダー

●統率者たる者は、自分の後継者について、常に明らかにしておかなくてはならない。それが統率をスムーズにする一団になるからだ。企業のなかでも「ナンバー2(次のナンバー1)が誰か」がはっきりしないでは混乱が起きる。

●アレクサンダー大王(紀元前336~323年在位)の在位十三年間の彼の行動は、その後の世界史に大きな影響を残した。二十歳でマケドニア・ギリシア連合軍を率いて、ペルシア遠征に旅立ち、イッソスの会戦でペルシア王の軍を破って小アジアを解放、ついでフェニキア・エジプトを征服、ガウガメラの戦いでダリウス三世を破ってついにペルシア帝国を滅ぼした。

●さらにインダス川を越えて、インドにまで達して大遠征を終わり、バビロンを首都に「大帝国」を築くのだ。少年時代にアリストテレスに教育を受けただけに、彼のギリシア文化を中心にした東西の融合政策は、ギリシア世界とオリエント世界の結びつきによって新しい「ヘレニズム世界」を生み出すことになった。

●被征服民族のペルシア人にも、自分たちと同じような地位を与え、大王自ら部下の多数兵士とともにペルシア婦人を妻にしている。

●遠征中各地にギリシア文化を普及して、征服地にコイネとよぶ共通ギリシア語を普及するなど、アレクサンダー大王の活躍ぶりは世界的規模だ。

●ところが、彼は臨終のとき、
「王たるに最もふさわしき者に」
と、簡単な言葉しか残さなかった。

●これには「後継者は最も強きものがなれ」という訳語もあるが臨終の言葉としては前の訳語のほうがアレクサンダーの言葉らしくてよい。「最もふさわしき者に」のほうが「最も強き者がなれ」というより言葉の響きが神秘的だ。

●それはともかく、後継者を決めずに大王が突然死去したことで、大帝国は彼の後継者(ディアドコス=ギリシア語)と名乗る部下たちの争いになり、結局、大小の王国に分裂することになるのだ。

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