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《日記》ちいさないのち

(Why_e_hoさん 画像お借りしました)


会社への行きすがら、スズメのナキガラに出逢った。
昨日の雪がまだ積もっていて
下を見ながら慎重に歩いていた。

家を出て最初の曲がり角。
思わず視界に飛び込んできたその子は
寒空の下、ピクリとも動かないで、小さな体を埋めるようにうつ伏せで
コンクリートの上に横たわっていた。

この雪の重みにやられたのか
それとも寒さの中で精魂尽きてしまったのか
久しぶりに 終わった命に対峙した私は
驚きと共にえも言えぬ悲しみに襲われてしまって。
その後どうしよう。どうしよう。と
どこかに埋める?このまま置いておく?
その場で2、3分立ち尽くしたものの
仕事の開始時刻が迫っていて
血迷った挙句、帰りもこの場所にいたら何かしようと決め
その場を去った。

日中、このことを誰かに話したいとも思ったけれど
人に話すようなことでもなし
少しの引っ掛かりを残しながら一日が過ぎていった。

祝日前夜ということもあり、同僚と飲みへ
お酒もかなり回り、歩きながらあの子のことを考えた。
帰り道、足取りが少し重い。
行きしなにああは考えたが、シタイを触るのってちょっと、、勇気いるな。。
ゆっくりゆっくりと帰路につく。
深夜0時を回った頃、例の曲がり角。
あの子と出逢った場所。

恐る恐る覗き込む。
本当は、私ではない心優しい誰かが拾って、どこか温かい土の中に埋めてやってくれてはいないかしらと他力懇願していた。
のだけど。
まだ、いた。
しかも体勢変わってる。
朝うつ伏せだったのに、仰向けになっている。
真っ白なお腹が丸見えだ。

「まだいたかぁ。」
と、私はその子に話しかける(周りに人はいませんよ)
「どうしよう、寒いよね。」
シンデルから寒いも何もないんだけど
だけどあまりにも剥き出しで、その上コンクリートの上っていうのは、
なんだかちょっとかわいそうだよね。
また2、3分その場で考える。
埋めてあげたいんだけど
このへん一帯は基本的に私有地で
私が勝手に小鳥のシタイを埋めたりでもしたら民法に触れてしまいそうだな。
私が子供だったら、何も考えないんだけど。

苦渋の決断で
気持ちばかりに手袋をはめ、そっとスズメを持ち上げた。
軽い。
そしてやはり、驚くほど動かない。
この子がナくなっているいることを身をもって感じた。
こんなに小さな命でも、目の前で亡くなったのを認識すると、心が痛い。

そして
その子が眠っていたすぐそばの植木壇の土の上に、
ふわっと乗せた。
ここも十分人様の迷惑になりそうな場所ではあるんだけど。。。
うつ伏せにして、なるべく木陰に隠れるように。
コンクリの上じゃなくて、そこでナくなったことにしておこう。
「この固い地面よりは温かいでしょ。ごめんねこんなことしかできなくて」

そしてその場で手を合わせ、私は帰宅した。
この一連が正解だったかどうかはわからないけど
このまま何もせずに放置したら、しばらく気掛かりになっていただろうし。
こんな些細なことでも、後悔しないように行動できたことは私の生において意味のあることだと思う。

不思議だな。
鳥なんて、私の見えないところで何億羽も生まれて、同時に何億羽も命を燃やし尽くして、いなくなっているはずなのに。
たった一羽。
あの子はシんだことで、私にとって唯一無二のスズメになった。

何かの存在って、
誰かがそれを覚えていることで継続するもの。
今、私はこの世界に存在しているけれど
それは、私を含めて家族や恋人が私のことを記憶してくれているからで
誰一人として私を知るものがいなくなったら、私はこの世界には、現在にも過去にも存在できない。
それと同じことがこのスズメちゃんに起きていて
私があの子のことを覚えている限り、
あの子はこの世界に存在しているわけだけど
別に、あの子自身はそれを望んでいない。
そもそも自我とか自己顕示欲とかそんな次元で生きてない。
だって鳥だもん。

しかも、これがスズメだったからさ
私の手でなんとかできるレベルの大きさの可愛い鳥だったから、こんなことをしたけれど
これがもしカラスだったら?私同じことできた??

結局、生きるとか死ぬとか、慈愛とか存在とかって
人間の、つまり私のエゴなんだよね。

なんて、中2みたいだなぁって思いながら
それでも命について考えさせてくれたスズメちゃんに
感謝したい。
そしてエゴでもなんでも良いから
私はこの子のこと、できる限り覚えていて
次生まれ変わった時、また幸せに生きられるように
祈ろう。

春を迎えたかったよね。
想像しよう。あの子が他のスズメと一緒に
桜の木のそばを飛び回るのを。