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【アートのさんぽ】#3 坂茂

坂茂 アンチミュージアムのミュージアム

 
 坂茂という建築家は、建築への取り組み方が常に根本的である。
坂茂は、建築を考える時、それが成立すべき場所性や環境、気候などを考慮に入れ、あるべき姿をその構造を含めて新たにデザインする。過去の実績の延長ではなく、あるべき姿を様々な経験に基づきながら直感力を動員してデザインする。
 それは建築的な常識を崩す時も、現状の技術水準では実現の可能性が低い時もある。坂茂はそれを乗り越えるべき壁と認識し、そのための新しい技術の開発や材料の採用にも貪欲である。その姿勢は、彼がライフワークとする被災者支援と同じで、困難に敢えて突き進むような、チャレンジャーのような姿勢である。プリツカー賞受賞者という名誉ある地位に胡坐をかくことはないようだ。最も恐れるは自己模倣に陥ることなのかもしれない。
 別の言い方をすると、坂茂の建築は、特定の建築家へのリスペクトをその基礎にしながらも、既存の建築を根本的に問い直し、それへのアンチテーゼを突き付けるような提案なのだろう。学校や文化施設を作るにしても、その本来的な機能や常識的な形を疑い、それらを覆す建築的な提案を必ず盛り込んできた。
 
 たとえば坂茂が実現させた美術館建築に絞って考えてみよう。これまで、アスペン美術館、ノマディック美術館、台南市美術館など世界中で美術館建築を手掛けてきたが、中でも規模の大きいものとしてポンピドゥー・センター・メス、大分県立美術館、下瀬美術館の例に注目してみたい。それは、アンチミュージアムのミュージアムとも言えるものであった。
 私のいうアンチミュージアムという言葉について少し説明しておきたい。これは美術館や博物館の基本的な機能である作品の保存展示に関わる問題に根ざしている。美術館建築は、温度湿度など空気環境、照度や紫外線などの光線 の課題に対応するため、基本的にクローズド(閉鎖的)な構造となっていて、それを空調設備や照明装置で調整している。そのクローズドな構造を打破ろうというのが坂茂のアンチミュージアムなのである。
 


ポンピドゥー・センター・メス


ポンピドゥー・センター・メス

 ポンピドゥー・センター・メスは、フランス北東部の都市メスに2010年に開館した美術館を中心に劇場、ホールを併設した文化施設で、パリのポンピドゥー・センターの分館である。
 メスは、モゼル県の県庁所在地であり、ロレーヌ地方の最大の都市でもある。ヨーロッパのゴシック建築のなかで最高峰の建築物のひとつとされるサンテチエンヌ大聖堂があることでも知られる。高速鉄道TGVの停車駅であるメス駅近くの貨物駅跡地の再開発の一環として行われたのがポンピドゥー・センター・メスの建設であった。
 坂茂は、フランス人建築家ジャン・ド・ガスティーユと共同でこの国際設計コンペに参加し、2003年に勝ち取った。美術館は、竹編細工の帽子にヒントを得た複雑に湾曲した木造の大屋根が特徴的なユニークな形をしている。大屋根の下に三層の展示室が覆われながら人々を迎え入れるデザインになっている。
 この美術館は、展示室に大きな特徴をもつ。その形がユニークで、幅15mで長さ90mの羊羹の箱のような「ギャラリーチューブ」と称される構造になっている。これを三層に重ね、しかもその小口が全面的な窓になっていて、これを「ピクチャーウィンドウ」と呼んでいる。2層目のウィンドウからは中央駅が見え、3層目からは大聖堂が見えるようになっている。メス駅は北東方向に、大聖堂は北方向にあるので、各層は角度を変えて重ねている。高さ5m程で幅15m程のウィンドウからの眺望は良好であるが、外光も展示室内にそれなりに入ることになる。
 ご存知のように美術品は光に弱く、紙の作品で100lx以下、油彩でも200から300lx程度の照度での展示が推奨されている。それ故、このピクチャーウィンドウは展覧会開催中、ブラインドで閉じられている。たぶん光に強いブロンズ彫刻などの展示の時に開けられるのであろう。ただ坂茂は、建築の特性として、メス市のシンボルである大聖堂が眺望できる構造というのは譲らなかったのだろう。外光を遮る時はブラインドで閉じればいいと考えたのだろう。


大分県立美術館

 
 大分県立美術館は、坂茂が2011年の設計コンペで示した「街に開かれた縁側としての美術館」案が採用されて、2014年4月に大分市に開館した美術館である。そのコンセプトの「街に開かれた」美術館とは、向かい側の総合文化センターとの間の広場に向かって開かれている建築を意味していた。つまりは、クローズドではない美術館建築ということである。
 館内に天井の高いアトリウムがあり、そこが全面ガラス張りとなっていて、通りから内部の様子を見ることができる。しかも通りに面するところを、開閉可能な大型のガラス水平折戸とした。つまり、折戸を畳むと高さ6mの開口部できるというわけである。さらにアトリウム奥に展示室があり、その壁も可動式で、全面的に開けることができる。この時、展示室も、通りと繋がり、人々が自由に行き来できるようになり、美術館は街と一体化するというわけである。
 ここで美術館内の機能について考えてみよう。ご存知のように美術品は温度や湿度の変化に弱いので、展示室内は恒温恒湿の環境を提供することが求められる。展示室内は一般的には55%、22℃を美術品にとって最適な環境として設定している。大分県立美術館の展示室も例外でないので、ブロンズ彫刻など恒温恒湿を必要としない展示以外では可動壁を開けることはないと考えられる。
 ただガラス水平折戸については、展示室への影響が少ないなど条件が整えば開放に踏み切っているようだ。4月や5月など一定の気候条件の時、館内の展示環境等、様々な条件が整った状況においてのみ、実施しているという。
坂茂は、美術館のもつクローズドな構造が人々を近づけさせない心理的要因になることを恐れ敢えてそれを打破り、「街に開かれた」美術館を実現させようとしたのだろう。


下瀬美術館


下瀬美術館 可動展示室

 下瀬美術館は、2023年3月に広島市を本拠地に全国で建築金物を製造販売する丸井産業の社長、下瀬ゆみ子の個人コレクションを保管展示する施設として開館した。当初、広島市内に建設予定だったが、2021年に都市計画上の規制を勘案して瀬戸内海に面した広島県西部の大竹市内に変更した。 坂茂は広島市内での計画の段階からプランを依頼され、敷地変更後、4.6haの広大な敷地に合わせて設計変更をした。その計画のハイライトは、水盤に配置した8つの可動展示室のプランであった。それは、瀬戸内海の多島美に触発されたもので、水盤の水面が海へと続く中、10m角の可動展示室が水に浮かぶように見えるというものである。 この可動展示室は、実際のところも水に浮かばせて動かすことの出来る展示室なのである。水盤には普段深さ15cmの水を湛えているが、これを堰止めして深さ60cmにすると展示室そのものが浮いて人の手でも動かせる状態になるというものである。このようにして8つの展示室の配置替えをすることができるのである。 展示室の浮く構造の秘密はその基礎にある。その基礎部分が船着場の桟橋に使う台船となっている。これは造船所で製作した本格的なもので、40t以上の重さの展示室を水の浮力で浮かすことができるものである。 各展示室は博物館仕様なので恒温恒湿のための空調設備やハロン消火設備をそれぞれ付随させている。通常であれば集中的な設備で管理するのが合理的と考えるであろう。さらに、水盤の上に設置というのは、湿度管理の上において空調設備に負担をかけさると考えるであろう。それをわざわざ8つの展示室に設備を分散させて、水盤上に配置させることにこだわったのである。 この可動展示室は、一般的に考えられる美術館建築ではなく、常識的なものを打破ろうとする、坂茂ならではのアンチミュージアムのシンボル的な形なのであろう。 


 

 

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