谷藤史彦/アートのさんぽ

美術・建築ウォッチャー/ふくやま美術館副館長、下瀬美術館副館長歴任/ルチオ・フォンタナ…

谷藤史彦/アートのさんぽ

美術・建築ウォッチャー/ふくやま美術館副館長、下瀬美術館副館長歴任/ルチオ・フォンタナ/デ・キリコ/ジャコモ・バッラ/ピカソ/ブルーノ・ムナーリ/エンツォ・クッキ/イサム・ノグチ/岸田劉生/東郷青児/高橋秀/高松次郎/四谷シモン/フランク・ロイド・ライト/武田五一/藤井厚二/坂茂

最近の記事

ブルーノ・ムナーリの《役に立たない機械》【アートのさんぽ】#13

ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は、イタリアの元祖マルチ・クリエーターであった。 その分野は、絵画、彫刻などファイン・アートからグラフィック・デザイン、工業デザイン、絵本、出版、教育などと幅広かった。今回はムナーリの出世作である《役に立たない機械》を見ていきたい。 ムナーリは、未来派の中心地であったミラノを本拠地とし、後期の未来派に加わり、そのキャリアをスタートさせた。(*未来派は、スピードやダイナミズムを称え、機械文明や都市文明を賛美した20世紀初頭の芸術運動)

    • エロスの画家・高橋秀の物語(5)【アートのさんぽ】#12

      1960年代からイタリアに渡って国際的に活躍した「エロスの画家」高橋秀(1930年生)。1961年に三度目の正直で安井賞を受賞する。ただそれは心から喜べる受賞ではなかった。安井賞者に期待されるものと、本当に求めたい作品傾向との乖離に悩み、ついに1963年、イタリア留学を決心する。 安井賞の受賞  高橋秀は、安井賞を逃した翌年(1961年)、それを取り戻すかのようにたくさんの仕事をした。 5月に東京・銀座のギャラリーキムラで個展を開催し、7月に新しいグループのヌーヴォ第

      • エロスの画家・高橋秀の物語(4)【アートのさんぽ】#11

        1960年代からイタリアに渡って国際的に活躍した「エロスの画家」高橋秀(1930年生)。広島から上京して、画家を目指し、独立展で活躍する。安井賞候補新人展に出品するまでになるものの2回連続で安井賞を逃す。そして当時影響を受けた駒井哲郎と古茂田守介に精神的に救われる。 安井賞候補新人展に連続出品 高橋秀は、1959年の第27回独立展に出品した《樹》、《黒い鳥と女》で第3回安井賞候補新人展に推薦出品されるなど評価を高めていき、30歳を迎える1960年、第28回独立展に

        • エロスの画家・高橋秀の物語(3)【アートのさんぽ】#10

          1960年代からイタリアに渡って国際的に活躍した「エロスの画家」高橋秀(1930年生)。広島から上京して、一時的に武蔵野美術学校に席を置いたのち、緑川広太郎と出会い、その画家魂に魅せられ、本格的に画家を目指す。独立展で入選するとともに、アンドレ・ミノーなどの影響を受けながらも独自の画風を探る。いよいよ賞を受けて、新たな境地を探す。 カラスの作品で受賞  どの画家にも最初のメルクマールとなる作品があるが、高橋秀にとってのそれは1957年の《ひからびたもの等》(ふくやま

        ブルーノ・ムナーリの《役に立たない機械》【アートのさんぽ】#13

          エロスの画家・高橋秀の物語(2)【アートのさんぽ】#09

          1960年代からイタリアに渡って国際的に活躍した「エロスの画家」高橋秀(1930年生)。 祭り好きの少年が広島県府中市の中学を卒業して悶々としていた終戦後に、二科会の画家、北川實に衝撃的な出会いをする。初めて見る美術の世界に惹きつけられていく。高橋を美術の世界に誘い込んだ北川とはどのような画家なのか、画家を目指して上京した高橋を待ち受けていたものとは何か? 北川實という画家  広島県府中市出身の北川實(1908-1957)は、3歳の時に福岡市在住の叔父の養子となった。

          エロスの画家・高橋秀の物語(2)【アートのさんぽ】#09

          エロスの画家・高橋秀の物語(1)【アートのさんぽ】#08

          第二次大戦後の日本美術を見るなかで、非常に特徴的なことがある。 それは、日本でデビューして評価を得た後に外国に渡り、現地においても一定の評価を得て国内外で活躍する、いわゆる国際的な画家たちの存在である。 戦前においては藤田嗣治や国吉康雄など数人がいた程度であったが、戦後は相当数を数えることができる。アメリカには河原温、荒川修作、草間彌生、靉嘔などが渡り、フランスには菅井汲、今井俊満、堂本尚郎など、イタリアには高橋秀をはじめとして、豊福知徳、吾妻兼二郎といった作家たちが渡った。

          エロスの画家・高橋秀の物語(1)【アートのさんぽ】#08

          吉原英雄:具体美術とデモクラートを駆け抜けたポップ・アート【アートのさんぽ】#07

          第二次大戦後の美術を考えようとする時、1950年代の革新的な動向を追うことが重要であろう。 たとえば、抽象的な傾向のアンフォルメルや具象的な傾向の新具象派の画家たちの動きが活発となり、世界の注目を浴びていた。日本の美術雑誌でもジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエ、ジャクソン・ポロック、ベルナール・ビュッフェ、アンドレ・ミノーといった画家たちが大きく取りあげられ、詳細に紹介された。 このような動きに呼応するように、日本でも新しい美術運動が起こり、さまざまな会派が結成

          吉原英雄:具体美術とデモクラートを駆け抜けたポップ・アート【アートのさんぽ】#07

          因縁の対決:ジョルジョ・デ・キリコvs.アンドレ・ブルトン【アートのさんぽ】#06 ジョルジョ・デ・キリコ

          イタリアのジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)は、その独特のスタイルでパブロ・ピカソやサルバドール・ダリとともに20世紀最高の画家と称されたが、毒舌家だったゆえに毀誉褒貶も多かった。 デ・キリコは、自らのスタイルを形而上絵画と呼んだが、シュルレアリスムと誤解されることが多く、彼自身も生涯悩まされた。 ここでは、デ・キリコとアンドレ・ブルトン(1896-1966)ないしシュルレアリスム勢力との歴史的に重要な諍いの話をしたい。 デ・キリコとアンドレ・ブルトン

          因縁の対決:ジョルジョ・デ・キリコvs.アンドレ・ブルトン【アートのさんぽ】#06 ジョルジョ・デ・キリコ

          パブロ・ピカソと鳩をめぐる話【アートのさんぽ】#05 パブロ・ピカソ 

          平和の象徴とは何か問われた時、私たちは反射的に「鳩」と答えるだろう。 それはなぜだろうか。 パブロ・ピカソ(1881-1973)が1949年にフランス共産党主催の第1回「平和のパルチザン世界会議」のポスターのために鳩の姿を描き、それが世界中に広まったためということがよく言われる。 ただピカソがなぜ鳩を取り上げたのか、その思いについては意外と知られていない。 ここでは、ピカソと鳩をめぐる話をしてみたい。 《ゲルニカ》を描いた理由 ピカソは、フランスで活躍したスペイン人画家

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          フランク・ロイド・ライトのジャポニスム【アートのさんぽ】 #04 フランク・ロイド・ライト

          近代建築の三大巨匠というと、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト(1867―1959)のことを指す。そのなかで日本にもっとも縁の深い建築家は、100年前に帝国ホテルを建てたライトであろう。 ライトといえば、世界遺産であるロビー邸や落水荘を思い浮かべるが、その不動の地位を勝ちとるのにとても苦労してきた建築家である。とくにチェニー邸の完成以後の1905年頃から、帝国ホテル完成の1923年頃までの時代は、不遇の時代といわれるが、そのなかで日

          フランク・ロイド・ライトのジャポニスム【アートのさんぽ】 #04 フランク・ロイド・ライト

          【アートのさんぽ】#3 坂茂

          坂茂 アンチミュージアムのミュージアム  坂茂という建築家は、建築への取り組み方が常に根本的である。 坂茂は、建築を考える時、それが成立すべき場所性や環境、気候などを考慮に入れ、あるべき姿をその構造を含めて新たにデザインする。過去の実績の延長ではなく、あるべき姿を様々な経験に基づきながら直感力を動員してデザインする。  それは建築的な常識を崩す時も、現状の技術水準では実現の可能性が低い時もある。坂茂はそれを乗り越えるべき壁と認識し、そのための新しい技術の開発や材料の採用にも

          【アートのさんぽ】#3 坂茂

          【アートのさんぽ】#02 金子國義

          金子國義の少女アリスが生まれるまで  金子國義は自らの美意識を貫いた画家ということで熱狂的なファンが多いが、世界の美術思潮とは離れたところで活躍していたこともあり美術界の評価が定まらない時期が続いていた。ところが近年、その独自の芸術性ゆえに有元利夫のような存在として再評価の機運が高まりつつある。  親友で人形作家の四谷シモンは金子を一種の天才だと言ってはばからない。下瀬美術館における「四谷シモンと金子國義」展初日(2023年10月1日)に開催された四谷シモン特別ギャラリートー

          【アートのさんぽ】#02 金子國義

          【アートのさんぽ】#01 四谷シモン

          四谷シモンの機械仕掛の少年をめぐって下瀬美術館で2023年10月1日から「四谷シモンと金子國義」展が開催され、その初日に四谷シモンのギャラリートークが行われた。全国から大勢のファンが広島県の片田舎に詰めかけ開演前から長い列をつくっていた。79歳となった四谷だが、その衰えない人気ぶりには驚かされた。  四谷の話が始まると、百人以上の観客が静まり返った。四谷はゆっくり間を置きながら、天国の澁澤龍彦や金子國義に語りかけるように話しはじめた。金子との出会いや別れについての語りは、一幕

          【アートのさんぽ】#01 四谷シモン