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カエサルの瞳

友人の牧田が校内でゲリラ的に開催するバザー(基本的には牧田の実家に眠っていたガラクタの叩き売り)、『マキタスポーツ』が、今日も懲りずに開催された。
マキタスポーツの品揃えは壊滅しており、大抵は2、3品しか売られていない。以前、牧田が母親と喧嘩をした際には、『活きのいい熟女』と称された牧田の母が3万円で売られていた。

「このコラショの目覚まし時計、なんで5万円もすんの?」

「バカ!小学生の頃の俺が、毎晩愚痴をこぼしていた相手だぞ。そんなに易々と手放せるかよ」

「なら売るなよ」

「俺のオススメはこれだ。ブルータスの生首」

そう言うと、牧田は机の上に石膏でできたブルータスの顔面をごつんと置いた。ブルータスの生首が、恨みがましい表情で僕を見つめている。

「なにこれ」

「ブルータスの生首だよ」

「そんなことを聞いてるんじゃない。これって確か、学校の美術室だかに置いてあったやつだろ。盗んだのか?」

「手刀で叩き折ったんだよ。生首だけゴツンとな。盗んだはいいものの、ほら、俺って飽きっぽいからさあ。欲しくて欲しくてたまらなかったのに、いざ手に入れた途端、邪魔で仕方なくなった。クソの役にも立たない」

「ブルータスになんの恨みがあるんだ」

そう言いつつ、僕はその生首から目を離すことができなかった。断片的に切り取られたその生首は、形容し難い妖艶とした謎の魅力に包まれていた。石膏で形取られたその顔面を、僕はどこかで愛おしいと感じていた。

「ときにこれは、いくらなんだ?」

「それは五百円でいいや。マジでいらねえから」

「お前っていろんな意味でヤバいよな」

しかして僕は、その生首を買ってしまったのだった。

マキタスポーツは、カスみたいなバザーのくせに領収書を切ってくれる。牧田は紙の領収書に間違えて焼印を押してしまい、彼の机には『お買い上げありがとうございます!今後ともマキタスポーツもとい、世界中の牧田姓に末長い幸福を! by MAKITA』と書かれた焼印がくっきりと残ってしまった。それを見た牧田は、卒業までこの焼印と共に勉学に励まなければならないという自身の未来に絶望し、発狂した末に窓から飛び降りて死んでしまった。

家に帰ると、僕は早速ブルータスの生首を勉強机の上に置いた。

眼球は無い筈なのに、じっと見つめていると、まるで瞳の中に取り込まれてしまいそうだ。そういえば僕は、この人物の歴史や背景をほとんど知らなかった。だから恐らく、僕がこの生首に惹かれる理由は、その辺りには無いのだろうなと漠然と感じた。ならば一体、僕はこの何の変哲もない石膏の、どこに惹かれてしまったのだろう。

ふと我に返った。

時計を見ると、既に深夜零時を回っている。帰宅したのは夕方の6時頃だったので、僕は6時間以上、この首を見つめることに没頭してしまっていたのか。

額には、じんわりと汗が滲んでいる。いまの僕に、いわゆる幸福感とか、達成感とか、そういった感情は一切なかった。僕はただ、首を見つめていた。ありとあらゆる感情が介入する余地もない程、ただただ、その行為のみに徹していたのだ。

そして、僕はその行為そのものを異常だとも感じなかった。まあ、そんなこともあるよねと思った。

それと同時に、気付いたこともあった。僕が惹かれていたのは他でもない、このブルータスの目だった。深淵の淵まで引き摺り込まれてしまいそうな、圧倒的な深みを宿したこの瞳こそが、僕の心を掴んで離さない原因だったのだ。

「これだ。この目だ。僕が愛してやまないのは、この死んだ魚のような目だ」

僕はブルータスのまなざしを、瞳のさらにさらに深淵を、そして、この世界の終焉を、もっとギリギリの際で感じたいと考え、顔を更に近づけた。すると、瞳の奥で何かが動いた。

「なんだ、あれは」

ブルータスの目玉の中で、何かがもぞもぞと蠢いている。目を凝らすと、それは見知らぬ男が、何かを解体している光景だった。男は出刃包丁を丁寧に動かし、切り離したいくつものパーツを、側にある瓶のようなものの中に詰めている。

瓶は、既に5つほど使用されていた。中身が何なのかは薄暗くてよく分からない。

「これは…」

恐らくだが、いま僕が、石膏の目を通じて見ている光景は、いま現在、どこか別の場所で実際に為されている映像なのではないか。どうしてそんな現象が起こっているのかは分からないが、石膏の中に人が住んでいると考えるよりは、幾分想像に容易い。

「ねえみーちゃん、大丈夫だから、すぐに終わるからね」

瞳の中から声が聞こえる。みーちゃんと呼んだ。みーちゃんとは誰だ。みーちゃんとは、まさか、そこに横たわるバラバラの物体のことを言っているのだろうか。ならば、みーちゃんはこの男、瞳の中に映るこの男に殺されたのか。

男はみーちゃんの頭部に手を伸ばした。そのまま、べりべりと頭の皮を剥がしていく。見るに耐えないと、僕が目を背けた瞬間だった。僕の脳裏に、いま映し出された顔面がフラッシュバックする。そして、僕の背筋にじわじわとした悪寒が走った。

みーちゃんの顔は、僕の母親にそっくりだった。そして、名をミキ子と呼んだ。

「母さん!」

僕は石膏の瞳の中に向かって叫んだ。こちらの声は届かないのか、男は淡々と、頭部の解体を終える。母の身体が細分化され、ミチミチに詰められた数十個に及ぶ悍ましき瓶を、男はただ、その場に放置して立ち去った。

「母さん、いや、そんな……まさか」

ブルータスが、僕を見据えている。

敢えて表情を失くしているであろうその石膏は、ただならぬ怒りを孕んだ眼差しで、僕のことを、力強く見据えている。ブルータスに裏切られたカエサルも、もしかしたら、いまの僕のような気持ちだったのだろうか。

脳髄が冷たく痺れた。意識が朦朧としてくる。以前背伸びして、飲めもしないお酒を大量に飲んで倒れたことがある。感覚としては、それに近かった。僕はブルータスの眼前で、崩れ去るように気絶した。

翌朝、僕は普通に目覚めた。

僕の体はベッドの上に寝かされており、ブルータスの石膏も、まるでただの石膏のように、ぽつんと机に置かれている。悪い夢を見ていたようだった。マキタスポーツが廃業したことに、無意識的にショックを受けていたのかもしれない。

台所に降りると、父さんが食事の支度をしていた。

「あれ、珍しいね。父さんが朝食を作るなんて」

「ああ。みーちゃん、仕事の用事でしばらく帰れないらしいから。その間朝食は、父さんが用意するよ」

そう言うと父さんは、手に持っていた見覚えのある瓶を、鍋の中にぼとりと入れた。

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