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ネズヴァル=マイェロヴァー=タイゲ『アルファベット』(1926)について

はじめに この覚書では、知る人ぞ知るブックデザイン大国のチェコにおいて最も高く評価されている書籍であり、チェコ・アヴァンギャルドの最高峰の一つとさえ評価されている『アルファベット Abeceda』(ヤン・オットー出版、1926年)について紹介する。 『アルファベット』は、ヴィーチェスラフ・ネズヴァル(1901-1958)の実験的な詩、ミルチャ・マイェロヴァー(1901-1977)のモダン・ダンス、カレル・タイゲ(1900-1951)のフォトモンタージュを含むタイポグラフィ

    • エヴゲーニイ・ザミャーチン「フィータについてのお話」

      「フィータについての一つ目のお話」フィータは警察署の地下室でひとりでに生まれた。地下室には過去の処理済の事件の書類が積み上げられているが、分署長のウリヤン・ペトロヴィチの耳に、誰かが何かを引っ掻き、コツコツと音を立てるのが聞こえてきた。 ウリヤン・ペトロヴィチがドアを開けた。埃が舞っている――くしゃみが止まらない。すると埃まみれで灰色のフィータが出てくる。性別は主として男で、数字が刻印された赤い封蝋が細紐にぶら下がって揺れている。赤ん坊のように小さいのに、威厳のある外見をし

      • エヴゲーニイ・ザミャーチン『洪水』(1929年)

        【全7章のうちの第3章までの翻訳】 1ヴァシーリエフ島を世界が大海のように取り囲んで世界が横たわっていた。そこでは戦争があった、それから革命があった。しかし、トロフィーム・イヴァヌィチの働くボイラー室では相も変わらずボイラーが同じように唸り、圧力計も相変わらず九気圧を指していた。ただ石炭だけは別のを使いはじめていた。前はカーディフのだったが、今はドネツクのだ。ドネツク産は砕けやすくて、黒い炭塵がそこいらじゅうに入り込んで、いくら洗っても落ちない。家に帰っても、この黒い塵が目

        • エヴゲーニイ・ザミャーチン「洞窟」(1920年)

           氷河、マンモス、荒野。どことなく家を思わせる夜の黒い岩山、その岩壁に穿たれた洞窟。深夜、岩山のはざまの石の路地で、いったい何ものなのか、鼻嵐を吹いて路地のにおいを嗅ぎ、白い雪の粉を吹き上げている。もしかしたら灰色の長い鼻のマンモスか、それとも風か――いや、その風は超マンモス級のマンモスの冷たい咆哮にほかならぬのか。ただ一つはっきりしているのは冬だということ。歯がガチガチ鳴らないように、これ以上ないくらいきつく食いしばっていなければならない。石斧で薪(たきぎ)を割らねばならな

        ネズヴァル=マイェロヴァー=タイゲ『アルファベット』(1926)について

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        • 書痴の物語、愛書家の語り
          3本

        記事

          エヴゲーニイ・ザミャーチン「ママイ」(1920年)

           毎夕毎夜、ペテルブルグにはもうアパートがなくなる――あるのは六階建ての石造りの船だ。その船は六階建ての孤絶した世界となって石の波を切り、やはり孤絶した他の世界のあわいを縫って疾駆して行く。荒れ狂う石の街路の大海原に向けて、数限りない船室の灯りが光りを放つ。もちろん、船室にいるのは住人ではない。そこにいるのは乗客だ。船に乗り合わせた者同士のように、互いに知っているような知らないような間柄だ――夜の大海に囲まれた六階建ての共和国の市民たちは。  毎夜毎夜、石造船40号の乗客は

          エヴゲーニイ・ザミャーチン「ママイ」(1920年)

          ヤロミール・ラシーン「書物について、人について」(1929年)

           親愛なる友人のみなさま! 本に対する愛、美しい本を望む心が私たちを結びつけている、この《チェコ愛書協会》において、今年の連続講演の幕を切って落とす光栄に浴することとなりました。ここで私は書物と人について、お話ししたいのですが、いきなり、中世の神学者の顰みに倣って区別と分類から話し始めるからといって、何とぞ私を非難しないで下さい。私たちは本を、その内在する価値によって文学性の長大な尺度の上に――主観的見解と客観的事実、印象と思想、感受と無関心、親愛の情と悪感情、流派、影響関係

          ヤロミール・ラシーン「書物について、人について」(1929年)

          ジョージ・ギッシング「クリストファーソン」(1902年)

          それは二十年前の五月のある夕方だった。その日は一日中、太陽が出ていた。疑いもなく、これから語ろうとしている出来事のために、はるか以前に消えてしまった陽光と暖かさは、今なお私と共に生きている。私の部屋の窓に区切られた細長い空を横切っていった、大きな白い雲を彷彿として見ることができるし、ロンドンの都心での独り仕事には差し障りのある、春の倦怠を今一度感じることができる。 ようやく日が暮れる頃になって、私は家を出た。大気中には、いつにない甘やかさが漂っていた。二列の街灯にはさまれ、

          ジョージ・ギッシング「クリストファーソン」(1902年)