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映画『花腐し』

 『春されば卯の花腐し我が越えし妹が垣間は荒れにけるかもはるさればうのはなぐたしわがこえしいもがかきまはあれにけるかも
 「春になると、あの子の家の生垣に卯の花が咲く。それを傷付けつつ、垣根を乗り越えて逢いに行ったものだ。しかし今や、その生垣もすっかり荒れ果てているなぁ。」という万葉集の歌。

 6年間同棲していた彼女が家を出ていって3日後、海岸で打ち上げられているのが見つかった。別の男との心中だった。なぜそんなことになったのか、主人公の男は茫然自失の日々を過ごしている。気力を失った彼には世界がモノクロームに見えるのだった。
 
 どこで何を間違えたのか。
 シナリオを辿って間違いの箇所が分かりさえすれば、そこを書き換えれば良い。そうすれば彼女は戻ってきてくれるかも知れない。
 しかし、亡くなってしまった彼女を取り戻すことは出来ない。
 彼は後悔を抱えたまま、思い出とともに生きていかなければならないのか。

 あいにく原作は読んでいないが、芥川賞を受賞した松浦寿輝氏の同名小説の映画化作品ということだ。主演は綾野剛。彼女には、さとうほなみ。
 その性描写から、女優は体当たりの演技とでも評されるのだろうが、そうした評価をさとうは良しとしないだろう。彼女の演技はセックスシーンの中ばかりか、日常のシーンでふと男の目を見る時の仕草や、微かな恥じらいの表現など、とにかく自然さが光っている。

 そこで描かれる映画や演劇を夢見る若い男女の日常は、端々で、こんなことあるよなと思わせる。非日常の世界を描いているようで、極めて日常に近い情景がそこにある。
 しばしば登場する雨や水は、単に涙を表現するのみならず、表面に付着する何かを洗い流して、奥にある本当を浮び上がらせるための小道具だ。舞台の転換装置としても機能する。
 腐るという現象は、時間の経過とそれによる事物の変化を表す。長い雨の末に彼の中に現れる変化は、彼を救ってくれるのだろうか。

 見終わってじんわりする映画は、私的にはとても心地よかった。

おわり

 


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