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生きていくのに必要なもの

 お金をつくっているのはどこだかご存知だろうか。
 硬貨は造幣局で紙幣は印刷局というのはもちろん正解だ。
 では質問を少し変えて、預金残高を無からつくることが出来るのはどこかと言えばどうだろうか。
 答えは銀行だ。

 銀行に許された重要な機能の一つに信用創造というのがある。信じられないかも知れないが、銀行が貸出をするとき、つまり融資する際は、融資先の通帳にその金額を書くだけで良い。これが信用創造だ。融資先に札束を渡すことは無いし、融資に先立ってそれと同額の現金を用意することもない。通帳に融資額を書き込むだけでそこにお金が生まれる。これが銀行が存在する理由の一つだ。

 お金は働いて手にするものと思っているだろう。生活にはお金が必要だし、そのためには自分の時間の一部を他人に提供して、その対価としてお金を手に入れる。それこそが経済活動だと思っているだろう。
 確かにそれも間違いではないが、それが全てではない。もしいま見えているものが全てだと思いこんでいると、なぜGAFAMの創業者たちが大金持ちになったのかは愚か、どこにでもいる自営業者が赤字だと言いながら高級車を乗り回しているのかを理解出来ないだろう。

 働いて生活のための糧を得よう、という標語は、ある種のセーフティネットの仕組みであると同時に、勤労者を量産するためのパワーワードだ。
 ここで言う勤労者とは企業に勤める人々のことだ。悲しいかなこの国では学力的に中庸かそこそこ優秀な人ほど企業に勤めることを目標に育つ。大企業に入社することがある種のステイタスとなり、更にはその中で出世することに人生の多くの時間を掛けることに疑問を抱かない。

 生きていくのにはお金が必要だど私達は信じて疑わないが、そう信じ込まされているのだという視点も忘れないようにしたい。本当に必要なのはお金では無いことに気が付かなければならない。お金は手段であり、お金だけでは何も生まれないし、なんの役にも立たない。世の中の全員が土日休みになったら休日にお金を使う場所がないということに気が付かなければならない。
 お金を使う場所には働いてくれる人がいることが前提になっている。そんなの当たり前だと思うだろう。その当たり前が見えなくなっている、あるいは見えにくい社会構造になっていることも事実だ。

 お金さえ払えば得られると思っている便利さの裏には、他の人が遊んでいるときに働かなければならない人々の支えがあることを忘れてはならない。
 あなたはその対価たるお金を払ってるじゃないか、と言うだろうか。本当に見合った対価が皆に払われているだろうか。
 金持ちにとってお金を増やすことは容易たやすい。お金がない人が一年掛かって稼ぐ金額を、金持ちは秒で稼げる。でもそれは、その金持ちの金を稼ぐ能力が凄いからではない。それがお金の性質だからだ。
 そして、単に給与を貰っているだけではお金は増えない。それもお金の性質だ。
 便利さの裏には、お金のアンバランスな性質による不遇者の犠牲が隠れているのだと憶えておいた方が良い。
 
 働かざる者食うべからずという。
 確かにその通りだ。社会に役立つことを提供しなければ食うに困ることになる可能性が高い。しかし社会に役立つことを何もしなくても食うに困らない人もいる。それは資産を持っている人だ。
 この記事の冒頭に銀行が預金通帳の残高に融資額を書き加えることでお金が増えると書いたのを思い出して欲しい。
 資産がある人はそれを担保に融資が受けられる。つまりなんの労力も無くお金を増やせる。もちろん融資は返済しなければならない。しかしお金はお金を生むから返済には困らない。ただ増えていくだけだ。

 だからもしお金で困っているのであれば、お金を稼ぐことではなく、どうやって資産を増やすのかを考えた方が良い。単にお金を貯めても資産は増えない。お金が貯まるだけだ。それでは資産は増えない。
 ここで重要なのは、資産は金融資産に限らないということだ。

 ただ単に働いてお金を稼ぐことを目的にするのではなく、自分の持てる能力を最大限社会に活かし、その過程であらゆるタイプの資産を増やすことを目標にしてはどうだろうか。
 そうすれば日本の未来も少しは明るくなるはずだ。

おわり

 

 
 

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