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大人になれない大人たち?

 西洋の人から見ると日本人は容姿が幼いばかりか精神年齢が低く見られがちと聞いたことがある。私の数少ない経験ではあるが、欧米はおろか日本以外の国の人々は、年齢以上に大人だなあと感じることが多い。当然ながら外国人の全てが精神年齢が高い訳では無い。しかし自分の意見をハッキリと言葉で主張する点においては、もじもじしていたり何を言っているか分かりにくい日本人との違いを感じる。

 コミュニケーションの仕方の違いと言えばそれまでだ。日本では思っていることの全てを口にするのは良しとされない。角が立つと言われる。こんなことを言ったら相手はどう思うだろうかと慮る。いわゆる配慮というやつだ。この日本流のコミュニケーションが悪いと言うつもりは毛頭ない。ただ、このコミュニケーション方法は必ずしも海外の人には通用しないということは理解しておく必要があるだろう。また、ビジネスシーンや個人であっても契約ごとなどでは配慮よりも意見を述べられる方がスムーズに運ぶ場面が多いのではないだろうか。

 もっとも、何でもかんでもただ口にすれば良いということではない。
 理屈が通っていなければならないし、感情をぶつけるだけでも駄目だ。そして何より大切なのは、その会話によって目指すべき着地点をしっかりと意識することだ。
 ただ言いたいことを言い合うのはコミュニケーションではない。
 お互いの考えや主張をまな板の上に晒し、どうやって調理するかを双方が考えながら話し合う姿勢が大切だ。最終的には美味しい料理が出来なければ、たんなる物別れになるだけ。
 こうしたコミュニケーションを行うためには、相手の言っていることを予断を持たずにしっかりと聞く必要があるし、それをじっくり吟味すること無くしては一方通行にしかならない。
 
 コミュニケーション方法とは別に、大人だと感じさせるもうひとつの要素がアイデンティティーだ。
 あなたが他の誰とも違うあなたであること。
 そこに疑いようもない自信を持っていること。
 多くの他者の中で際立つあなたを形作る要素。
 それは他者との関係性の中から浮かび上がるものというよりも、自分自身を源流とした泉のようなもの。
 強烈なアイデンティティーは時に衝突を生み出すから良いことばかりではない。しかし、そうした個が無ければ独自の主張やアイディアは生まれない。和を尊ぶ日本人が海外の人から没個性と言われるのはある意味で当然だ。しかし、だからこそ和が生まれるとも言える。

 日本以外から見た時の日本人は大人になれない大人たちということになる訳だが、これを受けて私たち自身が卑下する必要は全くない。なぜならそれが私たちのアイデンティティーであり、正しいやり方なのだから。
 仮に大人の国際基準があるとしたら、そこから大きくハズレた日本のやり方が駄目なのではなく、日本流を広めつつどうやって国際基準に織り込んでいくかを考えるくらいがちょうどいい。

おわり

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