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映画『逃亡者 カルロス・ゴーン 数奇な人生』

 起訴に至れば有罪率99.9%と言われる日本の刑事裁判。
 司法のあり方や勾留中の扱いついて疑義を唱えるのは良いとして、保釈中に国外逃亡するのは、日本人の感覚からすると悪人以外の何者でもない。
 「罪証隠滅や逃亡のおそれなどがなく、勾留しないで刑事事件を進行する事件」と判断して保釈してしまった判断は、結果論に過ぎないが間違っていた。そして、私達日本人が世界について無知だったことを思い知らされた。

 その人の名はカルロス・ゴーン。
 藍綬褒章を天皇から授かった人でもある。
 Netflixのドキュメンタリー映画『逃亡者 カルロス・ゴーン 数奇な人生』は彼の実像に迫るべく、様々な人たちへのインタビューによって構成されている。本人の言葉も登場する。
 そうした手法によって、この映画の製作者は中立(であろうとしているよう)に見える。彼が善人なのか悪人なのかを暴き出そうとするのが目的ではないのだろう。

 見終わったあとの私の率直な感想はこうだ。
 彼が心底つかみようのない存在か、はたまたこの映画が彼の実像を炙り出すのに成功しなかったか。どちらにしても、結局は何が真実か良く分からない。

 被疑者が逃亡した事件について、関係者が口にできることは限られているだろう。外部の人が憶測で物を言うのも違っているだろう。だから、フォーカスが合わせにくくピンボケになってしまうのは仕方が無い。とはいえ、視聴者としてはスッキリしたい。
 奴は悪人なのか、それとも実は悪人というのは作られた虚像なのか。私達が彼のリバイバル・プランに抱いた夢は何だったのか。希望に見えた光は影を作るための演出だったのか。
 仮にでも映画の立場を明確にしても良かったのではないか。その上で、エビデンスを提示しつつ反対意見も掲示する。そうした手法もありだったと感じる。
 彼は断罪されるべきか、救われるべきか。その判断を見る側に委ねるのもやり方のひとつだとは思うが、彼が正しく裁かれる日が来ると見通せない現状では、引っ掛かりが残るだけだ。
 最初から悪意があった訳ではなかろう。そうだとしたら、何が彼を変えてしまったのか。倹約家であったはずの彼が巧妙に仕掛けられた金策に走る理由は何だったのか。家族を守るためか。社会への復習か。誰かに騙されたのか。利用されたのか。

 おぼろげなままでは終われない。特に自国を嘲笑われたかのような日本人にとっては。
 そんな思いに駆られた。

おわり

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