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そして誰も来なくなった File 13

夢を見ていたのだろうか。

使い古した敷布団の上で目を覚ますと、しみで汚れた天井が目に入った。全身を脱力させて生暖かい息を吐く。大学進学を機に住み続けている、細田不動産のアパートの一室。光線銃のような夏の日差しが西の窓から燦燦と降り注いでいる。スズメが飛んできてチュッチュと鳴いて空気を緩ませた。窓の隙間から強い風が吹き込んで、白レースのカーテンをゆらりと躍らせる。

カレンダーを見れば、20××年8月19日。僕が孤島へ旅立ったのが8月12日だから、わずか7日しか経っていない計算になる。その間に二人の人が亡くなり、ずっと再会したいと願っていた女性と会話し、警察や新聞社の質問・尋問攻めを潜り抜けた。こうして、安穏とした気持ちで布団に寝転がっていられるのは久しぶりのことだし、また奇跡だとも感じる。警察の取り調べは完全には済んでいないし、面倒な裁判だって控えているのだけれど。

帰りの船便を頼んでいたギルバートとの連絡が取れなくなったことを心配して、契約していた船会社が救援にかけつけてくれた。そのお陰で、ギルバートが斃れた翌日には、僕らは孤島から脱出することができたのだった。館の状況を見て腰を抜かした船長の顔をきっと忘れないだろうと思った。面倒な取り調べをこなして、ひとまず無実だろうと判断された僕と美里、マーガレットさんの三人は昨日のうちに解放された。

問題は、他の招待客だった。次々と明るみに出た事実に衝撃を隠せずにいた。

まず、浜内エリカ。彼女は中学校の教員をしていた。受け持ったクラスのなかに、学校を休みがちな男の子がいたという。蓮田譲くんと言った。彼はクラスメイトから苛められており、毎日登校する度に靴にゴミを入れられたり、給食のごはんに牛乳をかけられたりしていたそうだ。しかし、浜内はそれに気づかなかった。担任から見えない領域で繰り返される悪行に堪えかね、ついに男の子は長期にわたり登校しなくなった。

彼の自宅へ電話したとき、譲くんがまっさきに応対に出た。ご両親はと問うと、仕事や夜遊びで普段は家にいないという。なぜ学校に来ないのか、浜内はゆっくりと尋ねたが、彼は真相を話そうとはしなかった。言えば、自身の弱みや失態の分まで話さねばならないとわかっていたのだ(後の調査で、彼への苛めの原因は、彼が好きになった女の子の噂を広められたことであると判明した)。しかし、彼の過去や境遇にまで掘り下げて彼を理解できなかった浜内は「明日、来なかったら怒るわよ、先生」と言ってしまった。

その翌日、彼は窓から身を投げて亡くなった。

電話した事実をひた隠しにしたまま、教員を続けた彼女は、とうとう自責の念に堪えかねて職を辞し、パートで働く主婦となった。そんな彼女に届けられたノイ・テーラーからの招待状には「蓮の花」があしらわれていた。すぐに蓮田くんの記憶を思い出した彼女は、この誘いに応じたという。

次に、今藤はじめ。今藤が不正で社長のポケットマネーからお金を得ていたのは掴んでいた。だが、それにはつづきがあったのだ。彼の妻・安子さんの友人による証言から明らかとなった。

彼の不正に、勘の鋭い安子さんは早くから気づいており、その追及の機会をじっと窺っていたという。真面目な彼女は、たとえ横領が家計の経済にとって都合のいい行為でも、夫の不正を赦せなかった。そこで、ある日、こっそりと夫の財布の中身を写真に撮り、不正をしたと思った夜に、パンパンに膨れた財布をまた撮った。数日ではありえない増額の仕方なので、これみよがしに安子さんは夫を責め、人にあるべき道を説こうとした。

だが、今藤はじめは「お前は俺の嫁でしかない。俺が居なければメシも食えないような、弱い立場だ。そんなお前が俺に文句があるのなら、早々に家を出ればいい。どうなっても知らねえぞ」と罵った。

専業主婦という不安定な立場を突かれた悔しさに堪え、安子さんは家を出た。正式に離婚したのだけれど、自尊心と人道をかき乱された辛さは計り知れないものがあった。子どもはいなかったが、慣れない仕事で体調を崩し、過度のストレスで眠れない日々が続いた。そしてある日、元々弱かった心臓に限界がきて、急性心不全を起こし、亡くなった。

公的にはなんら犯罪の気配がないので、今藤は大手を振って街を歩いていたらしい。しかし、ノイ・テーラーから「モルディブの海」が印刷された招待状を受け取ったとき、いやが上にもかつての妻を思い出したのだった。二人の新婚旅行がモルディブだったからという。

なぜ、ギルバートはこのようなことをしたのだろうか。

答えは案外すぐに見つかった。ギルバートの手記が発見されたのだ。その結果、時間と金をもてあましたノイ・テーラーの性癖を、僕たちは明瞭に知るに至った。あの執事は、かつての主人の悪趣味をそのまま受け継いだだけに過ぎなかったのである。

ノイ・テーラーは昔から、人間の秘密を知ることが好きで堪らない性格をもっていた。誰にも言えない過去を背負った人間の素性を調べあげては悦に浸った。その情報は、彼の不動産・金融業で名を成した財力と人脈から引き抜いたものばかりだった。生前、政府や警察、学校関係者、そして米国の大手IT企業であるGAFAの各幹部ともつながりがあったテーラーに、知ることの出来ないものはなかったそうだ。

抱える過去が重たいほど、彼はその者たちを呼び集め、告発し、競わせた。それぞれに忘れられない記憶を呼び覚ます印章を刻んだ招待状を送りつけ、かなりの確率で館に呼び寄せた。招待状に機械仕掛けを施し、館に入ったが最後、玄関先のレーザー装置で出られないようにした。元々、気候の荒れやすい地域であるのも相まって、招待客が館から脱出する方法は一つしかなかった。かつての過ちを認め、潔く招待状を自身の体から遠く離れた場所へ投げ捨てること。そうすれば自ずと扉が開き、頃合いを見計らって元の生活に帰していた。たいそうな悪趣味だが、胸に傷を負った招待客が、自らの力で過去を克服していく過程が心地よかったらしい。

これをテーラーの死後に殺人の道具へと歪めたのがギルバートだったのだ。仕事を確実にこなす彼は、当然テーラーからの信望も篤かったという。しかし、彼は一つ、過ちを犯した。後で知ったことだが、主人の本来の遊戯にはなかった殺人という要素を、ギルバート自らが追加したのである。

彼は今藤の殺害を実行した。ダイニングで謎の『声』が響いたとき、ギルバートの番になって「あなたは若いころから付き従った主人に対して、たった一つの過ちを犯した」と言っていた。わざわざ自分の過去を自分で暴いたのだから、ご丁寧といえばご丁寧だが、他の招待客と同様に自らの過去を暴露することで、容疑の枠から外れようとしたのだろうと警察は考えていた。彼は主人の遺産を利用してでも、今藤を殺害する必要があったのだ。なぜなら…。

警察の取り調べで聴いた真相を反芻しながら、また溜息が出た。最近、溜息ばかりついている気がする。まだ二十代前半なのだから、明るい気分で世の中を渡ってみたいのであるが、元来の性格が邪魔をしてそうはさせてくれないのだ。

そのとき、机の上に寝かせたスマホから通知音が鳴った。SNSを開くと、名前に「みさと」と書かれたアニメキャラクターのアカウントが、一番上のトーク画面で踊っている。何だろうと思って、僕はその部分を指先でそっとタッチした。

「はあ?」

僕は唖然として画面を見つめる。美里からのメッセージに、目が点になった。

「こんにちは~! お元気ですか? あの、突然つかぬ事をお聞きするのですが。飛鳥がもし女だったとしたら、好きな人をデートに誘うときはどうするのでしょうか? 合理的で成功度の高い方法を百字以内でお答えください」

ある意味、孤島の事件より難解だ。


                            (つづく)





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