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生か死か

最近いろいろ彷徨ってますが、とりあえずプログ名を【はまちゃんの心臓ブログ】に変更します。どうぞよろしくお願いします。

ちょっと重いタイトルかもしれませんが少しでも「生と死」を考えるきっかけになってくれればなと思います。僕がTwitterやnoteで情報発信しようとしたきっかけの出来事でもあります。

プロフィールにあるように僕は心臓病を患わっています。ここ数年で何回も死にかけました、特に2022年1月に心臓が本当に止まりそうでした。その時に心臓移植の話が出ました。
その心臓移植の話です。

心臓移植と言っていますが、実はまだGOサインは出ていません。心臓移植は大きな治療となるのですごく慎重に決定されます。今までの治療などで心臓移植しか方法はないと主治医から言われているのでそうなると思ってますが。なんな立派なことっぽく言っていますが、そんな奴が何言ってんだかと気楽に読んでくれればと思います。

「生か死か」
ほとんどの人は出来ることならもちろん「生」を選ぶと思います。
時間や感情、人は何かしら犠牲を伴って生きています。
この心臓移植という治療にも犠牲があります。その犠牲は自分は自由と時間だと思います。

もちろんドナーさんが見つからなくては心臓移植は成立しません。
そして日本の心臓移植は海外と比べて遅れています。
ドナーさんが見つかるまで(待機期間)をどう過ごすかが重要です。待機期間はその時によりますが約5年です。心臓移植が必要と判断されているわけなのでそのままでは待機期間を待たずして死を迎えるかもしれません。だからと言って、待機期間をずっと病院にて点滴するわけにはいきません(その人の状態や状況によってはあるかもしれません)。

通称VAD(植え込み型人工心臓、Ventricular Assist Device)を付けなくてはなりません。簡単に言うとVADとは弱った心臓を助けてくれるポンプのことです。

VADを入れると介助者が24時間ずっと必要です、そのため実家に帰らないといけない。それが先ほど話した犠牲です。VADを付けないと心臓移植へと進めません。
その犠牲は嫌ですが同時に死になくはない、ずっと悩みました。

極論言ってしまえばVADを入れなくても(心臓移植しなくても)すぐに死ぬことはありません。ただ絶対に死にグッと近づくのです。余命宣告を受けても長生きすることもありますが、稀です。
悲しいことに、嫌でも人はいずれ死を迎えます。

VADを付けることで別に監禁されるわけではありませんが自由が奪われるのが嫌だ、だったら自由を貫き死んだほうがいい。
命を粗末にする、自分の中ではそんな感覚は1ミリもありませんが人によってはそう感じるかもしれません。
結局はVADを入れ心臓移植を待つという選択肢を取ったのですが。

なぜそんなに自由が奪われるの(実家に帰る)のか嫌かと言うと、学生の頃から自由に一人暮らしをしたかったからです。就職し一人暮らしするタイミングなんていくらでもあったのでしょうがそんなお金や余裕なないと言い訳をして気付けば社会に出て10年が経っていました。それでもやっと1人暮らしを開始出来たのに、そんなタイミングで心臓病になり中々一人暮らしも出来ない状況が続きました。まだまだ一人でいたい、それだけでした。

両親や祖父母のこと、周りの人、これからの人生、たくさん悩んでいました。別に親や周りの人のために生きてるわけではないし僕は自由を生きると一旦決断しました。

決断はしたものの女々しいと言うのかずっと心の中では疑問符が出ていました。

その決断は崩れました。もちろん最終的には自分で決めましたが、周りの影響が強かったからです。その時は入院してほぼ1人で考えてましたが、退院し周りの人と話し心は動いていきました。

そして今があるのです。

いろんな状況はあれど、どうか「生」を選んでほしい。生きていけば何かしらいいことがあると思います。

最後に
ここまですごく長々書いてきましたが、果たして僕が伝えたかったことは伝わっているのかと疑問符は残ります。すこしでも共感してもらえたら嬉しいなと思います。読んで頂きありがとうございました。

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