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心臓病

その時は突然やってきた…
僕が心臓を患ったのは今から4年前の8月のこと。婚約破断、裁判、これから心機一転するために一人暮らしの準備をしているところだった。

少し飲みすぎたのかもしれない、いろいろあったので精神的に疲れていたのかもしれない、今までそんな素振りもなったのに。
飲み会後に仲間と別れてからものすごい動悸がしてきた。最初は酔いがいつもより回ってきてるな、そんな感覚だった。少し立ち止まって休憩しよう、そして目を覚ますと「大丈夫ですか?動かないで下さい。救急車呼びましたから」目の前には通りすがりの女性だった。その後、刈谷総合病院に緊急搬送された。

目が覚めてからは全然何ともなかった、倒れた時に顎や口を切って少し血が出てたくらいで。点滴や多少の検査をして、明日には帰っても大丈夫と言われた。翌日、いろいろ調べるからと約1か月の検査入院になった。動悸の原因は不正脈、診断の結果はウイルス性心筋炎。

そこから通院生活が始まり、1年後の11月に意識こそ失っていないが動悸がして自力で救急車を呼び緊急搬送された。
病院で言われたのはすぐ手術だと。
少し前に弁の手術を勧められていたが、それは突然にやってきた。
これは愚痴にはなるが、ずっと通院を続けてきて弁が悪くなってるなんて一言も言われなかったけどなと今になってはそう思う。
そして緊急入院から2,3日後に機械弁の置換手術が行われた。心臓の動きが悪いこと、電気ショックで命を取り止めるためCRT-D(両室ペーシング機能付き植込み型除細動器)の埋め込み、同時に不正脈の元を排除するカテーテルアブーション(カテーテルの管を心臓まで持っていき不正脈の元を電気で焼き切るという治療)が予定された。
治療のことを考え名古屋大学病院への転院が決まり、無事にカテーテルアブレーションにCRT-D埋め込みが行われた。不正脈の元は治療出来ても再び起きることはあるし、僕の場合は不正脈の出どころの関係で完全に治療できたわけではない。
少し脱線するが、CRT-Dはその年の12月25日に行われたので先生からのクリスマスプレゼントとなった。
年が明け少ししたらやっと退院、2つの病院で約2か月入院してたことになる。

退院した1か月後に、再び不正脈が起きる。今度も自力で救急車は呼べたものの連続して起きた電気ショックで意識を失い、目が覚めた時には刈谷総合病院のベット上だった。点滴により治ったが、病院についてからも不正脈と電気ショックを繰り返していた。再び名古屋大学病院へ転院。不正脈を抑える薬の調整をし退院。

退院して数ヶ月して仕事にも復帰していたが、6月頃に不正脈がチラホラ起きていると言うことでカテーテルアブレーションを受けに名古屋大学病院へ約1週間の入院。

12月頃、休憩中とは言えど職場で意識を失った。そう、また不正脈だった。病院空き状況とかもあり年明けすぐにカテーテルアブレーションすることで入院、1週間くらいだ。
ここから約1か月間の記憶はあまりないが、退院当日に不正脈で意識を失い心臓が止まりそうだったらしい。目が覚めたときにはICU(集中治療室)だった、コロナで話題となったECMOや血液ポンプなどをしてたとのこと。
鎮静剤等の影響で意識は朦朧としていたが、その時から心臓移植の話は出ていた。
点滴や検査、リハビリが続き退院したのは6月9日。なんの運命なのか僕の誕生日だ。正直辛いことが多かったしとても長い入院だった。

退院後は一人暮らしは一旦禁止され、実家の三重に。正直体力がたいぶ落ちていたが、診察に行くたびに一人暮らしの許可を先生に求めた。
努力の末、10月には一人暮らしを再開出来た。

それも長く続かず、約2週間で息切れがしんどくなり診察の際に緊急入院となった。次入院したら移植だよと言われていたがそれを拒否し続けて、その中でもいつでも用意はいつでもしておくねと言ったくださった先生には感謝でしかないです。年末に退院し前回同様実家に帰ることに。入院も含めいろいろ悩み考えました。そして年明けに心臓移植に向けて再び入院することに。

最後に

今までを振り返ってたらこんな長くなってしまったし、作文とか苦手だった僕には文章書くのはすごく難しいなと感じた。
だが、実体験だからこと刺さる部分はあるのかなと思うのでこれが同じく病気で苦しんでいる人に届けばいいなと思います。

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