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言葉と人間の進化について調べてみました。

昨日紹介した記事の中で、言葉を話す事で将来という不確実な妄想をしてしまう・・・という内容があって興味を持ったので調べてみました。

仕事しないで一日中本を読んでいたい今日この頃ですが、たぶん時間に余裕があればあったで、結局何もしないまま一日を過ごしてしまいそうなので、こうして仕事でも忙しくしながら限られた時間であれこれ調べたりする方が集中できるような気がします。

実在しない「想像の産物」をほかの誰かに伝えることができたとき、人類の文化的歴史が幕を開けた──。

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人類の文化って、ただ普通に生活を繰り返している中で始まって発展してきたものだと思っていましたが、想像の産物をほかのだれかに伝えることができたときが幕開けだったのか・・・と思うと、普段何気なく想像している事を誰かに伝えるというのはとても重大な事なんではなかろうか、と思いました。

約60万年前には、すでに現代のような音声器官が備わっていたと考えられている。

洞窟壁画、住居の建設、副葬品を伴う埋葬、骨製の針などにみられる道具の専門化など、現生人類の想像力を彷彿とさせる「文化的創造性」は、7万年前よりも以前には発見されていない。

この“文化的空白”の50万年間──現代的音声器官の発達と現代的想像力の獲得の間に横たわる長いギャップは、何十年も科学者たちを困惑させてきた。

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60万年前には話せる人類の祖先がいたけど、文化的な痕跡は7万年前以前には発見されていないという事で空白の50万年、という事ですが・・・。
50万年って・・・途方もない時間をかけて、僕たちは想像する事や文化を手に入れてきたという事になりますね。

ヴィシェドスキーは長年、「言語」と「想像力」の脳神経プロセスを研究してきた。論文によると、脳の外側前頭前野には「記憶にあるもの」と「単語」や「文法」を統合し、まったく新しいものを頭のなかで想像することを可能にする機能がある。

興味深いことに、外側前頭前野に損傷がある場合、人は物と物の関係や、相対性を表す文章が理解できなくなるという。例えば「犬は賢い」というシンプルな文章は理解できても、「犬は猫よりも賢い」となると、どちらが賢いのかわからなくなる。「円の上に三角を描く」「春は夏の前に来る」なども同様に、物事の上下関係や前後関係の理解がなくなってしまうのだ。

このように、記憶のなかの複数の単語を意味のあるメンタルイメージとして合成するプロセスは、「前頭前野統合(Prefrontal Synthesis)」または「メンタル統合(Mental Synthesis)」と呼ばれている。

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メンタル統合というのは初耳ですし、単語のイメージなど、もっと単純に考えていたので、犬は猫よりも賢い、という文章を読んで、どちらが賢いのかわからなくなる事自体がちょっとよくわからないのですが、そういう理解をする処理を脳が全自動で行っていて、そこに障害があると、そういう事ができなくなってしまう、という事ですよね。
認知症の症状も脳の障害によるものですので、たとえばこういう単語の意味や文章のつながり自体がわからなくなってしまっている、という事はよくあるので、特に外側前頭前野に障害がある方については、こういう能力がそもそも失われているという前提で対応する必要がありますね。

メンタル統合能力だけは、だいたい5歳くらいまでの幼児期に再帰構造のある言葉に触れておかないと、大人になってもこれを習得することはできないという。

ヴィシェドスキーは、13歳までいっさい言語に触れることのなかった少女をはじめとした10人の子どもたちの特異な例を挙げている。興味深いことに、10人全員が何年もの言語トレーニングを経たあとでも、英語の「in」「on」「at」などの空間的前置詞、動詞の時制、および文章の再帰構造を完全に理解することはなかった。

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社会的サポートがままならない途上国で、再帰構造のある手話に触れる機会のなかった聴覚障害のある子どもたちも同様だ。こういった子どもたちは、あとになって補聴器をつけたり徹底した言語療法を受けたりしても、「緑の箱を青い箱に入れる」などの簡単な指示をこなすことができないという。

このような子どもたちに特徴的なのは、次のような行動だ。子どもたちは正しく緑色と青色の箱を持ち上げ、合っているかどうかのヒントを得るために、“実験者の顔色を見ながら”2つの箱を空間移動させ、トライ・アンド・エラーを繰り返す。

これが「再帰言語」と「メンタル統合能力」の切っても切り離せない関係である。つまり、こういった指示を頭のなかで想像して理解するには、5歳までに難しい再帰言語に晒されることで鍛えられるメンタル統合スキルが必須なのだ。これこそが、人類の「現代的行動」の基盤となる発想力や文化的創造力に大きく貢献した──そうヴィシェドスキーは考えたのだ。

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再帰言語というのは、たぶん普通の日常会話とかだと思います。
そういう会話やコミュニケーションをとれるような環境を5歳までにしっかりと整えてあげる事で、メンタル統合スキルが鍛えられるという事で、そういう環境下で育たなかった子供たちは、緑の箱を青い箱に入れるという指示をこなすことができないという状態だったようです。

現在、すべての人間がもつ「前頭前皮質遅延」は、生存という視点で見ると有害だったと思われる。論文によると、3歳のチンパンジーの子どもは母親からよく離れて冒険するが、水場に近づくことはめったにない。前頭前皮質の迅速な成長が、水は危険なことを理解させるのだ。

これとは対照的に、4歳未満のヒトの子どもでは溺死が主な死因である。ヒトの3歳児は、ほかの3歳の動物と比較して未熟であり、ひとりで幼児期を生き延びる可能性が低い。

親が子どもに再帰言語を教えられなければ、子どもがそれを習得することはないことだ。この障壁をクリアするには、前頭前皮質の突然変異を持ったふたり以上の小さな子どもたちが、互いに会話しながら長い時間を過ごし、再帰言語を“発明”したはずだ。

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前頭前皮質遅延という事自体知りませんでしたが、そういう脳の発達遅延があったからこそ、言葉を話し想像するという能力が獲得できたのだとしたら、一見自然界で生き残るには弱点になりそうな事でも進化の過程では重要な要素であるという事ですよね。
弱肉強食の自然の中で、本来は自然の環境に対して弱いはずの人間が生き残れて繁栄できたのは、こういった脳の発達遅延が大きな役割をもっているとすると、そういうハンデを全員がもっている事になるし、そういうハンデを互いに支えあいながら社会を維持している事になるので、やっぱりみんなで支えあって生きていくという事自体は、間違ってないな、と思えます。

そして、そういう生存率が低いとてつもない確率の中で、そういった僕らの先祖になる脳の発達に遅延がある子供たちが成長して大人になって、どんどんと社会や文化をつくっていって、今ではそういう脳に遅延がある人が普通な状況になっているというのは、すごいな、と思いました。

「メンタル統合のプロセスで可能となった脳内で対象物の素早い並置ができる新たな能力は、“試作品”の想像を劇的に速め、それは技術進歩の急激な加速をもたらしたでしょう。どんな計画でも頭のなかでシミュレートする前例のない能力と、それらを仲間に伝達するという同じく前例のない能力を備えた人間は、一気に支配的な種になる準備が整ったのです」

このあとに何が起きたかは、歴史が証明している。人類は大型動物を狩る知恵をつけ、栄養上の大きな利点を得た。人口が指数関数的に増加すると、人類はアフリカの地から新たな居住地を求めて拡散し、地球上で最も住み心地のいい場所に住み着いた。これらの人々は、われわれ現生人類と非常によく似ていたはずだ。そして文化的な要素を備えた再帰言語と、「前頭前皮質遅延」の突然変異によって可能となったメンタル統合の素質を兼ね備えていたのだ。

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ちなみに論文には書かれていないが、ブラジルのアマゾン川のほとりには、ピダハン族と呼ばれる「再帰言語を話さない」狩猟採集民族が暮らしている。この部族の言語と文化を研究してきたダニエル・エヴェレットによると、ピダハン語には数や左右、色彩、それに性差の概念がない。

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こういう民族ってアフリカのマサイ族とかが最後かと思ってましたが、すごい民族がまだいたんですね。
ちょっと僕には理解できないのですが、数や左右、色彩、性差の概念がないというのは、どういう事なんでしょうか・・・。

数の概念がないという事は、数を数えない・・・という事ですよね。
ということは、通貨とか年齢とかも存在しないという事でしょうか。
今日は何日とか時間も存在しない?朝昼夕とか、そういう時間はあるのかもしれませんね。
左右がないというのも・・・全然想像できないですね、左右とかではなく方角で位置を知らせたりはあるのでしょうか。
色彩がないというのもさっぱりわかりません、色は見えていると思うんですけど、赤い色を赤という手段がないという事でしょうか。
性差の概念がないというのは、多様性を認めていく流れの中では最先端じゃないでしょうか?男と女も関係なく人間だ、という事なんでしょうか。

ピダハン族は実際に見聞きしたことしか話さず、架空の話はしない。文法には過去や未来の概念もなく、“いま”を生きている。そのためか宗教をもたず、未来への不安もなく過去からの後悔もないという。まさにヴィシェドスキーの考える、再帰言語がなかった時代を彷彿とさせる人々と、その暮らしぶりなのだ。

この部族についてヴィシェドスキーは、ピダハン言語についてもっと勉強しなくてはならないと前置きしながらも、次のように説明している。「ピダハン族は主語と目的語の概念を表現できるようなので、おそらくメンタル統合の能力はあると思われます」

エヴェレットも、ピダハン族は過去の出来事や遠い未来を想像できないわけではなく、根拠に欠けることを語ることを好まない文化なのだと説明している。つまり、現生人類と同じ脳をもちながらも、再帰言語の獲得を必要としないライフスタイルと独自の文化があるのだ。ちなみにピダハン族は自らを「真っ直ぐな民」と呼び、外部の人間を「ひねくれ頭」と呼ぶという。

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実際に見聞きしたことしか話さない、架空の話はしない・・・、これは報連相は最高に上手そうですね。

今しか生きていない、というのはすごく難しそうな気がしますが、未来への不安や過去の後悔もない、というのはどういう事でしょうか。
未来への不安がないというのは、まぁ今しか生きてないので不確定な先の事など考えない、という事で理解はできそうな気もしますが、過去の後悔もない、というのはなかなか難しいです。
記憶自体を失うわけではないはずなので、そういう経験はあったけれど後悔はしない、という事だとすると、後悔するような考え方をしないというか、そもそも後悔するという事自体が存在しない生き方なのかもしれませんね。
どうなったらそうなるのかはわかりませんけど、今だけを生きるという事をすれば、そういう境地に至るのかもしれません。

脳の構造自体は同じだけど、そういう生活環境や文化で育てば、そういう風に育つというのは本当に面白いですね。

自分たちを真っ直ぐな民と呼び、僕らをひねくれ頭と呼ぶというのも正直な感じでいい感じですね。
彼らからすると、いろいろと考えすぎなんでしょうね。

なにはともあれですよ、やはり言語的であっても非言語的であってもだれかとコミュニケーションをとるというのは、人間らしい生活にやはり不可欠な要素ですよね。

QOLを高める事が目的である介護の仕事では、しっかりとコミュニケーションを取る事が必要最低限のハードルなんだろうな、と思いました。

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