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きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」。

僕がきのこエスポアールの取り組みについて初めて知ったのは、認知症実践者研修を受講した際の動画教材の中で紹介された時でした。

それなりに認知症ケアの歴史や、認知症ケア自体の発展の経過はしっていたつもりですが、それを映像で見た時の衝撃は今でも忘れられませんし、何より、佐々木院長が認知症ケアをどのように考え工夫してきたか、というロジック(考え方や理論・論拠)も紹介されていて、非常に感動したからです。

ですので、講義が終わったあとに、この教材は購入できないのかと問い合わせましたが購入できず、貸出のみ、との事でした。

興味のある方は、福祉ビデオライブラリーのホームページから予約すると借りれます。
僕自身は、何度か着任したデイサービスで職員向けの研修で活用しました。

コード:10-12-01
NHK厚生文化事業団 福祉ビデオ 『認知症ケア』(3枚)
1巻:74分 手探りで切り開いた認知症ケア 30年の取り組み
2巻:92分 自分らしく生きぬくために 小規模多機能拠点 大畑の家
3巻:105分 早期診断そして人生は続く 太田正博さんの10年

福祉ビデオライブラリー オンライン予約

結構なボリュームなので、何回かに分けて視聴しました。
僕が実践者研修で視聴したのが、1巻の認知症ケアの30年の取り組みでした。貴重な映像が見れるのでお勧めです。

今日は、そのきのこエスポアール病院のホームページから、1巻の内容が紹介されているページがありますので、そちらの内容を紹介していきたいと思います。こちらのページも、いろんな事業所の研修資料として活用させてもらいました。

当時は認知(痴呆)症についての情報も無く暗中模索の時代でした。
今になって振り返ればずいぶんまわり道や失敗を重ねたものです。
間違ったケアもたくさんありました。
それをあえてお伝えするのは、
「その頃の我々の悩みを、いま抱えている方がいるかもしれない」
「認知症に対して以前のままの認識の方がいるかもしれない」
「現在では色々な方法で認知症との関わり方が変わって良くなってきている」
といったことを理解して戴きたいと考えたからです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

1984年からの取り組みの歴史です。今から38年前の話ですね。
当時は認知症自体が認知されておらず、専門の病院もない中で佐々木医院長が何とかしたいと立ち上げたのが日本で初めての痴呆症専門病院のきのこエスポアールでした。

この失敗したロジックを学べる事が非常に大きな学びであると考えていますし、佐々木院長は、そういう仕掛けでDVDやこういうページを作成されているのだと思います。
さすがに医師の視点ですよね、しっかりと研究できるように記録を残しておくという点では、介護職に足りない視点なのかもしれません。
また、ケアの記録を映像で残しておくというのも、文字での記録には限界があると考えておられたのかもしれません。実際、文章と映像では見え方が全く違いますので、そういう意味では、介護記録で質と効率化を考えると、映像での記録がベストではないかとずっと考えていました。
たとえば映像記録が可能になれば、ヘルパーは一対一でのケアになりますが、その映像記録で情報を共有できますし、ケアの質や接遇の向上にかなり効果があると思いますし、さまざまなトラブルを未然に防ぐ事ができます。
デイサービスでも同様ですが、プライバシー保護の問題もあるので、なにをどこまで、という線引きは同時に必要です。
そういう工夫もしていかないと、頭であれこれ考えているだけでは進みませんし、実際、さまざまな虐待が明るみになるのは、家族や本人が設置した隠しカメラという悲しい事実もありますので、こういう事は介護事業側からいろんな工夫を提案するべきだと思っています。
機能訓練の場では、動画でビフォーアフターをわかりやすく評価する取り組みはすでに進んでいますので、早くそういうシステムは導入したいです。

今、私たちは認知症を「一つの個性」と考えています。
「その人に必要な支援は何かを見つけ見守ること」

そのために必要な知識、理解、協力を得られるよう、

私たちは情報、施設、環境を

患者さんと周りの方に提供していくことを重視しています。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

僕自身、この言葉に影響されて成長してきたと思います。
認知症を個性と捉える。
認知症だから・・・、という先入観を捨て、そういう個性の人にとって何が必要なのかを追求する、そういう視点に変わったと思っています。

暮らしを支えるためにはどうすればいいかを一緒に考えます。

そうすることで、医学的な治癒がなくても、認知症の方の症状と、本人やご家族の苦しみは軽くなったのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

何十年もの経験から語られる言葉ですので説得力があります。
本人と一緒に考える。
これって今の僕らでもなかなかできてないかもしれません。
やりきった先で、そこにたどり着くのかと思っています。

ここまでは『はじめに』の紹介部分でした。
これからは『創設期』という事で、最初の認知症ケアの取り組みの紹介です。

老人性痴呆は不治の病とされ医療と福祉の谷間をさまよい続けてきました。しかしきめ細かい治療と愛情のこもった介護があれば岸辺までたどり着ける人もいると信じています。

当時はまだ痴呆は医療保険制度の対象ではなく行政の支援は現在のように手厚いものではかったのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

信念があって新しい病院づくりに挑戦されています。
困っている人をなんとかしたい、という思いが伝わってきます。
特に制度がなにも無い状態で新しい事を始めるのは相当な勇気が必要だったと思いますので、どれだけ大変だったかと思うと想像ができません。

(佐々木) 私達は戦後第一世代で「団塊の世代」とも言われています。大学生の時には学園紛争だの好き勝手なことをさせてもらった世代でもあります。誰のおかげかと考えれば、私達の親父の世代が戦後すごく働いてくれて高度成長があり今の世の中を作ってくれた。
今、ぼけてこられた世代というのは戦後一生懸命働いてがんばってこられた方なんです。だから、ぼけたからといって、その人の今までの人生を考えず、ぼけたなりの世話をすれば良いんだというようなことはどうしても納得がいかないのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

テレビのインタビューの紹介ですが、これは僕も介護福祉士の資格を取る動機になった理由です。
好き勝手大学まで行かせてもらえるような世の中を作ってくれたお年寄りに、何か恩返しがしたいと思って資格を取りましたので、非常に共感できるし、どうしても納得できない、という思いも同じように持っています。

今は、その団塊の世代がサービスを受ける立場になっています。
僕としては、これからが本番だと思っています。

(篠崎) 学生時代から「老人のユートピア」をつくろうと話していた。卒業後商社に就職はしたが、自分の人生に納得の行く道に戻ったのだと思う。

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僕はデイサービスの研修では、お年寄りにとってのディズニーランドにしろ、と言ってきました。
これからは超高齢社会ですので、高齢者が楽しく過ごせる社会を作ることが、日本の発展に必ず直結すると思います。

(中尾) 今までの病院は、医者、看護婦、事務、そういったエキスパートに分かれていたが、私達は全員が一丸となって患者さんをお世話するんだという思いで、そこからそれぞれの役割が始まるのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

1983年にすでにこういう連携を想定されていたのはすごいですね。
実際は、より分業が進んでしまっているように感じます。
全員一丸となって、というのは本当に難しいのかもしれませんが、そこを一致させるには、やはり理念の共有が欠かせない要素だと思います。

(佐々木) 私は非常に楽天的なもんで、どうにかなるであろうと。ジョンレノンの歌がありますが、「レット・イット・ビー」。

なんとかなるさ。それは消極的なレット・イット・ビーではなくて
積極的な意味として、そんな気持ちでがんばりたい。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

佐々木院長が折れなかったのは、この”なんとかなるさ”精神があったからだと思います。
僕もなんとでもなる、と思っているので、介護現場のみなさんも気軽な気持ちで頑張ってほしいと思います。

あの頃はまだ未熟でした。単に医学的に、生物学的に、化学的に、適切に対処すれば患者さんに良い影響を与えられると考えていました。独りよがりでした。向精神薬でコントロールできると思っていたのは開院から3カ月で破綻しました。
色々な問題が起きました。
病院から抜け出してしまう人、
ケアへの抵抗や暴力、
生きる気力が萎えてしまったように見える人
壁紙を剝す、畳を毟る、ベッドを分解してしまう人、
病棟は汚れ混乱しました。
それによって看護師たちも徐々に疲弊していきました。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

こういう振り返りが重要だと思いますし、この事を知れてより確信を持ちました。
ここで諦めずに認知症にしっかりと向き合って対応を繰り返していった事自体が本当にすごいと思います。なんの制度の保証もない中での運営ですから相当な胆力と信念がないと無理だと思います。

やむを得ず、向精神薬や、眠れないときには睡眠薬を処方していました。
そうしていると、歩き回りすぎで疲れてしまったり、食事を十分摂れずに体力が弱ったりする人が続発してきました。認知症の人は自分の体調の変化に気付けないことも多いためです。
認知症に対して当時はまだ我々が未熟だったため気付いてあげられなかったのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

気づいてあげれなかった、という事に気づけた事がすごいと思います。
自分たちが未熟だった事をちゃんと消化しているから言える言葉だと思います。

1年やってみて、最初は予想していなかったんですけれども、退院して家に帰ることができた人がたくさんでて、ある程度の改善ができるという感触を得てきたと言えると思います。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

1年の取り組みの中で、大変な事も多かったでしょうがある程度の改善ができる実感も得られたという事です。
うまくいっている、という実感が次の問題を用意してくれたともいえると思います。

自主制作ビデオ『もし痴呆が起きたら』の作成(1986年)
今回このビデオを作りましたのは、我々はここ一年半、毎日痴呆の方を見てきました。この経験をもとにして様々な工夫や経験を積むことができました。これをもとにして困られている家族の方、或いは痴呆になったかなと不安に思っている方に見ていただいて痴呆というものがどういうものであるか或いは、痴呆になったとき、こんな工夫があるぞ、ということを色々考えてほしいと思いこのビデオを作りました。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

家族や本人の役に立つと思って1年の取り組みを総動員して作成したビデオですが、佐々木院長はこう振り返っています。

しかし、このころの「ケアと思ってしていたこと」はケアとは言えない、患者さんを苦しめていただけのことでした。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

ここに気付けるという事は、日々の取り組みの中で”本当にこれが正解か”という視点が常にあったからだと思います。
結果として、これまでケアだと思っていた事はケアではなかった。
気付いて認める事でさらに前進できるのだと思います。
次は『停滞期』という事で様々な取り組みが紹介されています。

徘徊の癖のある人は回廊になっている廊下を歩き続けます。思うだけ歩けるように、と設計したのですが、後から思えば「いつまで歩いてもどこにも行けない」申し訳ないことでした。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

回廊型の施設はこの頃(1986年)からあったんですね。
いつまでも目的地に着けないというのは本当にそうですが、設計の理念が思うだけ歩いてもらおう、という本人のための設計だった事も興味深いです。
徘徊という行動や認知症自体の研究がまだまだ進んでいない時期ですので、どうしようもなかったと思いますが、こういう取り組みがあり、そこからの分析や振り返りがあるから認知症や周辺症状の研究が進んだという面もあるはずです。

看護婦の毎日の負担も大変重いものでした。
一日6回、80人のおむつ交換が行われます。
噛まれたり、蹴られたりの悪戦苦闘です。老人医療に情熱を持ってここにやってきた看護師さんが挫折する第一の関門です。

この頃から向精神剤などの薬漬け医療をやめ、一人ひとりの症状に応じた心理療法に取り組み始めました。
また、食事と入浴の時間を除いてはできるだけ自由にのびのびと行動していただくことで患者さんのストレスを軽減したいとも考えていました。

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当時は、介護職なんていなかったのですべて看護師さんがこなしていたんですよね。看護師の取り組みが評価されていくのもこういう経験を看護師全体で頑張ってきた上で勝ち取ってきた成果だと思います。
集団的なケアではなく、個別に対応していく事にケアがシフトしていきます。

(佐々木)痴呆性老人の方は特殊な方ではなくて、知的な能力の低下があるために、知的な適応ができなくなって、それでも適応しようとして一生懸命努力して、上手くできないから、困惑をしている人、と捉えれば、医療も特殊なものではなくて、一般の老人医療の延長として考えて、当たり前のことをしていくということが大事です。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

特別な事はしなくてよくて、当たり前のことをしていくことが大事。
今の認知症ケアの基本的な考え方ですよね。

この頃になって、やっと、認知症患者さんのことを正しく理解でき始めてきたのだと思います。問題行動にはそれぞれに全て意味があり、それをわかってあげて、寄り添ってあげることが必要だったのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

認知症の方の行動にはすべて意味があり理由がある。
これは座学で必ず学びますが、それをちゃんと理解して現場で意識してケアを提供できている職員は、ちょっと少ないと思います。
その上で寄り添う、という事ができるんですけど、多くの職員が、その前提である理解するをすっ飛ばして寄り添おうとするのでうまくいかないんだと思います。
たとえば、本当に理解しようとしていればその人の隣に座っているだけで落ち着いてくれる人もいます。寄り添うというのは、本当にその人を理解しようとする気持ちや心が行動に現れた対応だと思っています。

知人のある方が、スウェーデンに行ったことがある。どうもあちらでは老人介護が進んでいるらしい。だったらすぐにでも、ちょっと行ってみて、参考になれば。というぐらいの気持ちでしたが...

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1995年にスウェーデンの事を知った佐々木院長は、そこでびっくりする光景を目にしたそうです。

(篠崎)非常にびっくりしました。同じように認知症の人なのに、まず格好が違うのです。普通の普段着を着て、化粧もして、椅子に座って本を読んでいました。

(佐々木)重篤な痴呆の患者さんを隠しているのではないかと疑いました。「徘徊する人はどうするのか」と尋ねたら、「一緒に散歩してあげたり、一緒にお茶を飲んであげたらいいじゃない」と言われました。「そりゃそうだな」と思いました。それまでは、病気を持つ特別な人だと思っていました。病気しか見ていなかったのですね。そういうところをスウェーデンに行って一番感じました。
また、バリデーションについても知ることができ、医療と介護の双璧を立ち上げていくことになります。求めていたものが、そこにありました。

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今でもスウェーデンのようにおしゃれをさせてもらえる認知症の方は少ないと思います。
佐々木院長の、隠しているのではないか??という疑問は、結構先進的な取り組みをしていて自立支援や認知症ケアで効果がある事業所に見学に行った人がよく言われる言葉ですよね。軽度の人しか受けてないんでしょ、とか。そして、だいたい帰ってくる返事は、どこも受けてくれないような認知症の症状の方でした、という感じです。
佐々木院長の病気しかみてなかった、という言葉は今の現場にも刺さると思います。本当にその人個人をちゃんと見れているか、という点は何度も何度も僕も現場職員に伝えましたが、これがなかなか伝わらない。難しいです。

求めていた事がそこにあった、とうのは結構いろんな経験で僕自身も思う事があります。
本当に必要な情報は、必要な時期に必要なタイミングで降ってくると思っています。それをちゃんとキャッチできるかどうかが重要だと思っています。

次は『改革期』という事で、スウェーデンんでの学びを現場で生かしていく取り組みの紹介です。

試行錯誤の結果、一番大切なのは、なぜそういう行動になるのか、どうしてあげれば、そういう行動と共に我々が一緒に上手くやっていけるのか、という考え方に転換したところにあるのだと思います。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

認知症ケアの基本の考え方です。
こういう先進的な取り組みの中の試行錯誤や失敗例が、こういう到達につながっているのがよくわかる内容だと思います。
重要なのが、思考の転換ですよね。
間違っていたのなら考え方を変える。これが成功の条件だと思います。

食事
以前は、栄養の摂取としか考えていませんでしたが、食事の支度をしている匂いとか、雰囲気とか、食事を楽しむという、本来誰もが望んでいることを取り戻すことが大事だと気付いたわけです。

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今までの生活の延長ですよね。
食事を楽しむ、これは本当に大切です。

排泄
オムツの交換は廊下だろうと部屋の片隅だろうと構わずその現場で替えていた。今考えれば患者さんの気持ちも考えず非常に恥ずかしい思いをさせていました。痴呆がいくら進んでも羞恥心は残っているのですから、今は専用の部屋をつけて、恥ずかしくないように配慮しながら交換するようになっています。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

昔は、気持ち悪いだろうと考えてすぐにどこでもオムツを変えていたそうです。失禁したままにしておくのはよくないから、という善意ですよね。
でも、本人の恥ずかしい気持ちはそっちのけだった、という部分がすごく刺さりました。
やっていた側も善意なんですよ、だけど至らなかった。
今では当たり前に思う事でも、こういう経過があって気付けた事でもあるのか、と思うと、本当に前例がない中での取り組みに頭が下がります。

入浴
以前は限られた2時間ぐらいの間に20人も30人も入らなきゃいけないということで職員のほうもあせるし早く済まそうとする、患者さんのほうも、どこに連れて行かれるのか何をされるのか判らないまま服を脱がされて恥ずかしい思いをするから抵抗する、職員も苦労するという状態でした。

何のための風呂かといえば、ただ清潔にするためだけだったわけです。
でも、お風呂というのは生活の中でゆったりとするという目的もあるわけですから今のような小さなお風呂に入りたいだけ入れるということが大切なわけです。なぜ今まで気付かなかったんだろうと思ってみますと、生活を大切にするという考え方がかったんだなあと反省しています。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

2時間で20~30人って、どんな状況ですか。と思いましたが、そりゃ焦りますよね。患者さんも何もわからないまま脱がされて洗われて・・・という感じだったのでしょう。

記事には紹介されていませんが、たしかマンツーマン対応に変えても効率はほとんど同じだったという事で、マンツーマン対応の入浴にした、という話が紹介されていたと思います。

お風呂って日本人は特にゆったりリラックスできる大切な時間ですよね。
生活を大切にする視点では、やはり入浴での満足度は大きなポイントになると思います。

環境
以前は、花を飾れば、それを食べる人がたくさんいたんですね。だから花を飾らないという時代もあったんですが、発想を転換しまして、食べられてもいいから、我々も花があったほうが気持ちが良いわけで、改めて飾ってみますとだんだんと、なじんできて、職員も飾る、患者さんも摘んできて飾る、そんなことを通じて、協力してより良く生きるという気持ちが芽生えてきていると思います。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

食べられてもいいから花を飾る。
僕はいいと思います。
ただ、異食での行政報告が必要だよなぁ・・・なんて考えてしまいます。
個人的には、利用者さんの為なら何枚でも書いてやると思うのですが、同じ内容の報告が多いといろいろ言われるので難しい所です。
今では花くらい飾るのは当たり前ですもんね。
たぶん、昔のケアの現場では看護師さんは本当に少数で多くの患者さんを見ていたはずなので(制度化されていないので人員基準もないはず)、そりゃ見守りしきれないだろうな、とは思います。

こうした変化が患者さんにも変化を与えました。
乱暴さが消え表情は穏やかに変わってきました。
それにつれて退院する患者さんも増えてきました。

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ケアが変わる事で認知症の方も変わる。
ケア=環境ですから、周囲が変わる事で認知症の症状も落ち着いていったのでしょうね。
自分たちのやっている事は変えられるという良い事例だと思います。
認知症の人の行動を変える事なんて不可能ですから、それは誰か他人を変えようと努力するのと同じ事です。無理な事は無理なんです。

職員の意識も変わってきました。
「より良くともに生きる」という意識が芽生えてきました。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

これは好循環のよい例ですよね。
ケアが変わる事で、ケアを提供している職員もいい事をしたという体験をするので意識もそういう良い方向へ向いたんだと思います。
そうなれば、もっとよりよい生活のお手伝いをしたい、というような方向につながっていくのだと思いました。

多くの痴呆性老人の方々と接してきて試行錯誤の中で一番強く感じることは痴呆性老人の方々も我々と同じように欲求を持っているのですが、社会の中でそれを抑圧されているということがあります。
抑圧されればされるほど、色々な困った行動を起こすことになります。
それを理解しどうしたらいいか考えてあげることによって、痴呆性老人とともに暮らすことができると思うのです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

抑圧されればされるほど・・・という部分は本当にそうですよね。
介護の現場では、なんでも制限です。
いろんな法制度が足かせになっているケースも多いです。
認知症ケアをよりよくしようと考えれば、さまざまな制限は取っ払っていくべきです。
特に、これからの地域包括ケアシステムの中で、地域で認知症の方を支える、という方向で本気で考えるのであれば、ヘルパーはあれはできないとか、デイは施設内でしかサービスを提供できない、とか、そういう制限がある時点で多くの可能性をつぶしていると思います。
制度自体をしっかりと見直す時期にきていると思います。

(佐々木) 北欧の国ではもう10年も前からこういう形態をやってきています。
そうなった理由というのは1970年代に、私が経験したのと同じ経験をし、これではだめだということでグループホームというものができた。
同じ道をとおってきたのかなあと思えて、非常に嬉しく思いました。
我々も色々悩みを重ねた結果、今の炉端の家という形態にたどりついたという、答が同じところにあったということが楽しいというか、そういう気持ちがありますね。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

グループホームについてのインタビューです。
スウェーデンでも1970年代に同じような経験をしてグループホームという方法を編み出したようですね。
やはり、つきつめていくとたどり着く先は同じなのかもしれません。
だって人生を支える仕事ですから、国籍や人種が違えど、やる事は同じはずです。

買い物したり、洗濯したりする。
普通の生活の中で、痴呆であっても人間の尊厳を大切にして生活してもらいたい。という願いからスタートした施設。

痴呆性老人の方と、ここに通ってくる職員の方が、一つの家族としてごく当たり前の生活を送りながら、ともにより良く生きるということを目標に毎日の生活が営まれています。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

認知症の方が互いに協力して助け合いながら、それぞれが出来ない事を補いながら生活をしていく。職員は、そこでちょっと支える。そういうのがグループホームの良い所ですよね。
なので、本来なら地域では生活が困難だった重度の認知症の方でも、そういう環境下ではちゃんと自立した日常生活を送る事ができるはずなんですが、たとえば当法人のグループホームも複数あるのですが、会議のたびに重度化が進んで介護が大変だ、という報告です。
外出したり日常生活の中で利用者さんの役割というか何か取り組みはしてるんですか?と質問すると、全くそういう事をしていないようでした。
そりゃそうなるわ・・・。としか思えませんでした。

形だけ真似ても成果は出ません。
何のための仕組みなのかを理解しないとダメでしょう。
実地指導(現在は運営指導)でも、書類の中身や書類があるかばかり重箱の隅をつつくような事をしていますが、実際の取り組みが自立支援やユニットケアを提供できてないなら指定取り消しとかしてほしいです。
せっかく良い制度なのに活用しきれていないのは歯がゆいです。

しかし、グループホームの管理者は認知症実践者研修や管理者研修は受講が必須だったはずですが、なんで理解してないんだろう・・・、と残念無念な気分になってしまいます。やはり途中から起動修正は難しいのでしょうね。

職員の意識改革
ある介護士の話...
突然、「これからは、こうしてね」と言われ驚きました。
「なんで今までの方法では駄目なんですか?」
4年もやってきて上手くいっているし、お年よりもみんな笑っているしそれを否定されたみたいで自分の中で抵抗感があったんですね。
でも、新しいやり方を試したら、こっちのほうがいいじゃないってことに。

そして、院長や園長がお年寄りと話をしてって言う。仕事はしなくて良い、食事介助や入浴介助やそいういうのはしなくてもいいから一緒にいなさいって言われました。
いざそうなってみると何を話していいかわからない、会話ができない、どうしよう。
カルテ書こう、ケアプラン立てようって業務に逃げ込んでいました。

でも、逃げられない、話さなきゃってことになったら、
昔の話を聞いたらいいじゃない、女性だったらご飯の作り方を教えてもらったらいいじゃない、教えてって、一緒にご飯つくったりして、生活暦聞いたらいいじゃない。とアドバイスを戴きました。
聞いて表にして、そうすると意味が繋がってきて、こういうことを言ってたんだなって判ってきたんです。話の糸口が見つかってきました。

その人らしい当たり前の生活を大切にして、それに沿ってケアをしていくこと。特別なことじゃないということを皆さんにぜひ知っていただきたいと思います。
世界の先進国での痴呆のケアも、このような流れの中ですでに変化を遂げているわけです。
そう思いますと、わが国における痴呆性高齢者へのケアというのは間違っていた、誤った方向に進んでいたということを思います。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

僕も常に仕事しなくていい、利用者さんとしゃべってて、という感じで指導します。
職員が逃げ場にしているような場所があれば、そこをつぶします。
それでも、なかなか意識が変わる職員は増えませんでした。
特に経験を積んでいて、あまり見守りやコミュニケーションが得意でないベテランさんに多いです。変にいろんな仕事がある事が分かっているからなのかもしれませんが、現場の職員は時間があれば利用者さんと一緒に過ごしてほしいというのが僕の考えですし、それはこの教材の影響も大きなものだったと思っています。

最後は『新時代』という項目です。

介護保険の導入から間もなく1年。施設でのケアが大きな転換期を迎えています。
特別養護老人ホームなどの大規模施設ではケアの質の向上が大きなテーマになっています。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

これまでの話は、介護保険が始まる前の話でした。
これからは介護保険が始まってからの話です。
まだまだケアの質の向上を課題に取り組まれていて、大規模入所施設でのユニットケアの導入の紹介です。

きのこ老人保健施設は16年前に全国で初めて痴呆専門病院として設立した きのこエスポアール病院に併設されています。
介護保険から間もなく1年、ケアの質の向上を目指して去年9月頃からユニットケアに取り組んでいます。

以前は大きなフロアだったのを現在は8つの家に分かれて生活しています。
スタッフからは、お年寄りを10人、スタッフは5人なので、一人ひとりを深く知ることができ、信頼関係ができて来たと感じます

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

ケアの質の向上を目指したユニットケアの導入です。
10人の入居者に対して5人の配置なので、現在の基準の3:1に満たないですが、当時は先進的な配置だった事がうかがえます。

食事もスタッフが部屋でご飯や味噌汁を作ります。
ご飯の炊ける匂いが食事の時間を知らせています。
スタッフも同じものを一緒に食べます。ここではみんな家族の一員です。

(篠崎)20人のときは食器もみんな同じものを使っていましたが、10人になると、一人ずつ自分の食器が使えるようになってきました。

それぞれ自分の茶碗や汁椀があることで本当の家のようになってきて、そんなことから個人が尊重されるのも本来の生活の姿だと思います。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

個別ケアの提供で認知症の方も落ち着いて過ごせている様子がわかります。
ただ、職員の休憩も同じ場所で過ごします、というのは労働基準法的にはダメなのですが、それも昔は一緒にご飯食べたりして休憩時間なのか仕事なのかよくわからない現場でしたよね。

(佐々木)ユニットケアはグループホームの考え方を大規模施設に取り入れたものです。
ですが、建物を小さく区切るというハード面の変革よりもスタッフの意識の変革という意味が非常に大きいと思います。

スタッフの役割や意識はどのように変革したのでしょう。

以前と違い今は、お年寄り「その人を知る」ということです。
病気ではなくその人を見ることができるようになってきました。そうすると問題行動は起きなくなります。

(篠崎)認知症高齢者の問題行動は、コミュニケーションが成立していないから生じてくると考えていいと思います。介護者が寄り添い関わるケアが一番大事なんです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

重要な視点ですよね、ハード面よりもスタッフの意識を変える事が重要という事です。
そして、その人を知る事が何よりも大切だ、という事です。
そうすれば問題行動は起きなくなる、と断言されています。これは、これだけの実践を積み重ねてきたから言える言葉だと思います。
また、コミュニケーションが非常に重要だとも示されています。
言い換えれば、認知症ケアにおける認知症の方の行動の原因は、介護者側にあるという事です。

(篠崎)本当に深くお年寄りのことを解ろうとするならば、ぼろぼろになるまで自分の心のドアを開けてしまわないとお年寄りとの人間関係って出来てこないんですね。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

この言葉は、とことんやりきった人しか言えない言葉だと思います。
現場職員でうまく対応できない職員の多くが、この域までコミュニケーションはとれていません。
僕なんかが実感として思うのは、これ以上は無理だ、と思う限界のレベルが3段階くらいあって、何度もその限界を乗り越えた先でしか、寄り添うケアはできないと考えています。

残念なことに、現在わが国でユニットケアが語られるときに「ユニット」という言葉に重点が置かれています。本当は「ケア」に重点が置かれなければなりません。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

本当にそうだと思います。
ただ、ちゃんとやってる所は本当に良いケアを提供しているので、行政はそういう所をちゃんと評価してほしい。
書類しか見てないから周辺業務に専門職が関わる時間が減らないんです。
どうすればよいケアと周辺業務が両立するかをちゃんと考えて仕組みを作ってほしいです。
そのためには、本当に現場の介護職の動きや業務量をちゃんと知ってもらわらないとダメです。
ケアに重点を置かない限り、要介護認定の重度化は防げませんよ。
介護予防を本気でするのであれば、ケアを評価するシステムにしないとダメです。それは書類の中からは見えてきません。現場を見るしかありません。

本当は、世界的な流れで見ても成熟していく過程の中でユニットケアという形態となり、ケアの内容も変化していくという世界的な流れで見れば、まだまだ私たちのケアの内容は発展途上国の状態にあると言えます。

ですが本当に大切なことは、そこでのケアのあり方で、それがユニットケアの一番根本にあるものです。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

ユニットケアをしていればいい、という思考停止ができる時期ではまだない、という事ですよね。
まだまだ発展途上で、もっと良いケアがあるはずだ、という事だと思います。

(佐々木) 始めたころは、認知症は脳の疾患だから医学の問題であるし、いずれは科学が解決する、なかなか難しいだろうけどチャレンジしてやっていこうという気持ちで始めたのです

ですが、もっと人間的なところにベースを置いて、その人の人間に、認知症という病気がひっついている、そのような考え方で、医学で見ていくにしても、もっと幅広い見方をして認知症を見ていくことが必要であるし、認知症というのは医学だけの問題ではない、ということがわかってきました。

世間では年をとっても記憶力がよくて、なんでも覚えているのが価値があることなんでしょうかね。僕にはそうは思えないけど。

歳が何歳か判らなくてもいいじゃない。
おばあちゃんが今日はデイサービスに行って、楽しく、帰ってきたけど、訊いたら何も覚えてなかった。「そんな所にはいってない」とか言われて、家族の方が嘆かれたり、がっかりされたりするけど、いいじゃない、と僕は思います。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

僕がこの話を研修資料にして伝える時に、一番大事なこととして伝えるのがこの部分です。

特にデイサービスでは、本当によく言われるんです。
帰宅した後に、家族さんから電話で、『おばあちゃんがデイに行ってない』『何もしてない』と言っている、ちゃんとサービスを提供してくれてるんですか!?、という話は本当に結構あるんです。

多くの職員は、あんなに頑張って対応したのに甲斐がない、なんて言うんですけど、僕はそんなのどうでもよくて、ちゃんとやりきってるならそれでいいし、もっと自分のやったことに自信を持て、と伝えています。
家族さんにはちゃんと説明しますよ、こんな事をしていました、とか、こんなことをおっしゃってました、とか。
そもそも、そういう家族さんともコミュニケーション不足が生む課題なんですよね。

そして、最後に佐々木院長の言葉で、僕もすごく気に入っている言葉です。

いいじゃない、

明るく楽しく、

毎日を暮らせば、

それだけで。

きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」

人間らしい生活って、こういう事だと思います。





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