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あらためて死に向かう人間として絆を、考え生き抜く

こんにちは。
生き浮くうえで必要なものとして
絆を思い浮かび、日々の気づきをもとに、
考えたことを記している昨今です。
私が生き抜くうえで必要なものとして
絆をあげたのは、
困難や、限界を前に、そこに寄り添う、共にいる
イメージしたからだと思います。
私が医療の現場にいて
時に死に向かう人間のそばにいさせていただき
命の回復を皆で、サポートしあう臨床にいるからだと思います。


特に、何らかの障害、何らかの限界を
目の前にしたとき
人は試される。
死を目前にしたとき、
人はどう動くのか、周囲の家族、関係性があった人
そして、本当に困ったとき人がどう、関係性を持つのか
そしてそれぞれがどう生きるのか。
そんなことを、看護師というだけでなく
一人の人間として
まざまざと見せつけられていたからかもしれません。


またスタッフ間でも
時に強く、お互いに指摘しあう。
お互いが譲れないところについて
葛藤したり、時に争いにも似た対立もある。
ですがなぜそこに逃げないのかというと
自分とは何か
自分は何のためにこの現場にいるかが
それぞれが、アプローチの側面は違っても
同じ目的があり
そして譲れないためなわけです。
~私は看護師で、
命を救う、人が自らの生き抜く力をサポートし
そこに着目し、共この場にいる~


 その中で起こる摩擦の中で
その摩擦や、時折相互理解するためのやりとりが
時に疎ましく、
時にその当時苦痛となり
被害者意識を募らせることもありましたが
振り返ると
それは、限界の場面に近い状況に対して
それぞれがベストを尽くすための大切な絆
ありがたいものなのだと思うのでした。


 時に人は、関わる事、対立することを避けることが多い。
でも、関わる事の中で起きる化学反応が
後にその絆を新しい場へ、いざなうこともあると思う。

また、人は限界や、限定した場において
自分の存在意義を考えざるを得ず
人との関係性が、自分が望まなくとも濃くなり、
時にそれが、葛藤や争いともなりますが
その基盤に、愛情があれば、必ず、創造的なものへ
つながっていくと私は信じています。

~限界、限定した場とは、
大きな場であれば
災害や戦争、死などの困難
小さな場であれば
子供や学生であれば、いじめ問題
職場であれば、ハラスメントなどの
日常の中の疎外感、関係性の摩擦なども
該当するかと~


そしてその日常の
小さな限界や限定する場に逃げずに
お互いにかかわることを実践しあうことで
絆を構築することを重ねて

やがてくる大きな限界や限定する場に対し
皆で絆をもって
対処する。
大きな単位で、
組織として、会社として、地域、国として
絆を構築し、互いに生き抜くことができればと
願い、祈りにも似た、感情を抱きます。


そして誰もが死を迎え自分も死をいずれ迎え
そこに皆向かっている同士だと思うと
すべての葛藤や憎しみを
赦し、慮ることをして
乗り越える努力をしていこうと思うのでした。



今日は日常の私の構築している絆が
日々限定した場、死に直面することもあること
そこから生まれる葛藤や、困難感に逃げずに
作られた、厳しいでも稀有なものであること
そしてそこから波及する
気づきを書かせていただきました。

絆が強く濃くなる時というのが
どういう時なのか考えた時
人が自分の限界にさしせまったとき、
もしくは、何らかの困難に直面した時
そこでどう動くか
どのようにかかわり続けるか
そこに、正念場というか、転機となるときが来て
そこで真意が問われる。
そして、それは
一人の人間がどう関係性を構築するか、
つまり絆を自覚し行動するかで
組織や集団、コミュニティがどう変化するか
影響する、それがたった一人だとしても。
小さな影響が波及すること、それを忘れずに。

~まだうまくまとまってませんが、
一人の人間が絆を感じどう行動するかが
どう波及してその周囲
集団、組織に影響していくのか
その波及について
小さな視点から大きな視野のものについても
記しました~

今日のこのnoteを読んでくれた皆様が
いずれくる限界死を少し考え
今ある、何気ないでも貴重な絆のもとに
今日も命を生き抜いていることに感謝です
ありがとう。
そして私も今日も
たくさんの絆に支えられ、今あることに
感謝したいと思います。
ありがとうございます。
そしてよい夜を。



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