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芥川賞受賞作『東京都同情塔』(九段理江)

多様性に配慮するということは、すなわち言葉を捨てることなのかもしれない。差別的な言葉はもちろん、断定的な物言いやカテゴライズする分析的な発言も慎むべきとされる。これまで使っていたが、今は使うべきでないとみなされた言葉を捨てるように言われる。

何かを言ったらすぐさま炎上する世界では、何も言わないことが最適解となる。言葉を多く持つことよりも、言葉を少なく持つことこそが多様性への配慮とされる。

そして、気づけば意思疎通が不可能になるのだ。言葉は、「画一性」に価値がある。世界中の人間が同じ言語を話せれば意思疎通は誰とでも可能になり、言語の有用性はこの上なく高まる。

反対に、ひとりひとりが個人的な言語を持つようになれば、地球上の誰とも意思疎通ができないことになり、言語の有用性は無価値に等しい。

つまり、言葉は多様性が増すほど無力化する。

認識は、人それぞれ。十人十色。
その多様性を分かりあうために、言葉は画一的である必要がある。

認識は、曖昧。境界線は朧気で、今日と明日では異なる。
だからこそ、言葉は断定的で、カテゴライズする物言いが必要なのでは。そこから見えることもある。

帯に「あなたは、犯罪者に同情できますか?」と書いてあったが、僕はそこにはあまり興味がなく、上で書いたようなことを考えてしまった。生成AIが物語に出てくるのも、この物語が「言語」についての物語であることを示しているように思う。

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