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複雑で難解なものは複雑で難解なままで

こんにちは、とび少納言です。
今日は、複雑で難解なものを複雑で難解なままで摂取した方が楽しい、という話をしたいと思います。

「複雑で難しいことを、単純で簡単にして話すのが本当に頭の良い人だ」という意見があったりします。確かに、難しいことを誰にでもわかりやすく説明する能力は貴重です。

しかし、そもそも「複雑で難解なこと」は、そのまま「単純で簡単なこと」に変換可能なのでしょうか?
僕は、そんな甘い話はない。それは、不可能だと思うのです。

このことを考える時に僕は、「嘘も方便」という言葉を思い出します。
物事を進めるためには多少の嘘は許される、的な意味です。

これの元々の由来は仏教用語で、仏がみんなを救うために持ち出した嘘らしいです。複雑で難解な仏教の教えをそのまま教えても、一部の人しか救えない。

なので、皆んなを救うためには、仏教の教えからは少し離れてしまうけど、最終的には救いに繋がるということで、仏も嘘を付いたのだと思います。

多くの人に伝えるために、厳密に言えば不正確な内容でも簡単にして伝える、この作業こそが「複雑で難しいことを、単純で簡単にして話す」ということだと思います。

ワインを炭酸水で薄めたら、ワインやアルコールが苦手な人でも飲めるようになるでしょう。
間口を広げるという意味では効果的ですが、ただ、それはもうワインではありません。

ネットが普及した昨今、あらゆる「複雑で難解なこと」が「単純で簡単なこと」に変換されます。ネットでは、基本的に短いコンテンツが好まれるためです。ネットには、薄められたワインが溢れているのです。

薄められたワインでも、一応ワインの味はします。何となくワインを飲んでいる気分になるかもしれません。しかし、一度もワインを飲んでいません。

僕は、小さい頃から読書が好きでした。
小説だけではなく、実学書や学術書なども好きで読みます。
読書をお勧めする理由はいくつかありますが、そのひとつが「複雑なものが複雑なままになっている」という点です。

先ほども言ったように、SNSやYouTube、Webサイトなど、ネット上にあるものは基本的に簡略化されています。
複雑で難しいものでも、なるべく短く簡単に説明されます。
もちろん、何も知らないときの最初の最初にはちょうどいいかもしれないですが、あくまで簡略化された別モノです。

その点、本は400ページくらいあることも多く、しかも全部文章です。
複雑なものを複雑なまま、結論だけでなくプロセスまで懇切丁寧に説明されています。

もちろん、難しいです。でも、当たり前です。だって、難しいことを学ぼうとしているのだから。難しくて分からない、をもっと楽しもうよ!と思います。

また、これは小説にも言えます。小説も、複雑で難解なままです。
人間の心情は、複雑です。「嬉しい」「悲しい」などの一言では到底表すことはできません。

小説は、一冊分の文章を使って心情を表現します。何万、何十万文字ならなる文章で表現されるので、難解で複雑です。
ただ、これも人間の心情が難解で複雑なので当然です。「嬉しい」だけでは、何も伝わらないのです。

まあ、とはいえ、生きていく中では簡単に伝えることは重要です。仕事でも、簡潔に結論を伝えることが求められます。

なので、それはそれでいいとして。
自分自身との対話では、簡潔な表現を使わなくていいのではないでしょうか?
難解なものを難解なまま表現したり、難解なものを難解なままで摂取したりすることは、想像以上に楽しいことです。

では、とび少納言でした。

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