映画『PERFECT DAYS』の感想
僕はこれまでいつも何かしらのコミニティーに所属してきたな、と振り返って思った。
小学校から大学まで、期間を空けることなく進学し続けた。また、大学卒業後もすぐに今いる企業に就職したので、僕がどこのコミニティーにも所属していなかった期間はほとんどない。
僕は人付き合いもそこそこ上手くできる方であるため、各コミニティーではそれぞれ友達ができた。しかし、大人になるにつれて、特に就職してからの知り合いは、特別友達とは言えないのではと思うようになった。
コミニティーに所属している、というのは継続的な人間関係があるということだ。定期的に同じ人に会う、ということだ。
映画『PARFECT DAYS』の主人公には、所属するコミニティーが無い。いや、無くはない。ただ、トイレ掃除の仕事仲間であるひとりの若者だけだ。それも途中でいなくなってしまう。
所属するコミニティーが無いと、客観的には「孤独」とみなされる。この映画を観た人の中には、主人公に「孤独」を感じた人もいるのではないだろうか。
しかし、僕は主人公に孤独は感じなかった。
主人公には、継続的な人間関係ではないかもしれないが、確かに日々関わりあう人間関係があった。いきつけのお店の店主と常連、毎日行く銭湯の顔馴染み。
また、瞬間的な人間との出会いもある。
長年会っていなかった姪っ子との再会、カセットテープの違いがわかる若者、同年代のガンに侵された男性。
企業や家族など、確固としたコミニティーに所属していると、その人間関係は継続的である。今日会った人に明日も会う、ということは当たり前のことだ。
その反面、功利的な人間関係ともいえる。
家族は生活を送るために必要な団結ともいえるし、企業なんてのは利益を求める集団というのが本質だ。
確固としたコミニティーには、それだけの意味があり、生産性がある。だから、継続的で強い。
しかし、この映画で見える人間関係は、それとは対極にあるものだ。瞬間的で、弱い。
だからこそ、人間的な温もりのある人間関係といえると思った。
今日会った人とはもう会えないかもしれない、という瞬間性や偶発性があるが、そういったものを孕むのが本来の人間関係であるように思えた。
僕は、常に確固としたコミニティーの所属してきた。家族、学校、会社、、。
しかし、功利性に基づかない、自然発生的な人間関係に身を落としたことはあるだろうか。
明日会えるかは分からないし、そんな継続性なんてどうでもいいと思える、瞬間的な人間関係は誰とも築いてこなかったように思える。
一見、「孤独」に見えるこの映画の主人公だが孤独ではなく、一見、「孤独」に見えない僕こそが孤独なのかもしれないと感じた。
映像、音楽ともに最高の映画で、淡々と進んでいくが、観た後に重厚感の残る、思わず考えてしまう良い作品でしたので、ぜひ映画館で見てほしいです!個人的には、『ドライブ・マイ・カー』『怪物』と並ぶ名作だと思いました。
https://www.perfectdays-movie.jp
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